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第1-2話 林間学校(2)

「ヒメちゃん、待ってたのにー」

「そんなにすること多いなら、言ってくれれば良かったのに!」


「うん、ごめんね」


 林に囲まれたレンガ造りの調理場。


 女子たちが口々に言う社交辞令に、彼女は少し申し訳なさそうな顔をした。


 僕たちのグループの調理台の上には、切った材料や洗ってザルにあけた米、カレー粉などがきちんと並んでいる。


「ダシをとると美味おいしい、って書いてあったから、火の番をしていて」


「ダシ!?」

「ウソ、めちゃすご!」

「ママみたいや!」


 今度は社交辞令の含まれていない歓声。グラグラ煮えた鍋からは、ふくよかな白鶏スープの匂いが漂っている。


 きっと下準備の当番にあたった時に、美味いカレーの作り方を一生懸命調べたんだろう。

 小さめに切られた材料。人参とじゃがいもはややいびつな星型だ。

 得意じゃなくても、一生懸命に切ったんだろう。

 僕らのことを好きでもないくせに、僕らが喜ぶように、頑張ったんだろう。


 こういう真面目さが、彼女と僕らをつなぐ1本の糸なのだ。


(やっぱり無理にでも、手伝えば良かったな)


 そしたら、少しは好きになってもらえたかもしれないのに。

後悔だけは、そんな風に勇ましい。


 僕たち男子は、先生の指示に従って米を炊く。


 向こうでは女子たちが賑やかに、野菜と肉を炒めている。その端っこで彼女はやっぱりニコニコとスープのあくを丁寧にとり、鍋にトマトジュースと砂糖を入れていた。


 こうしてできた僕たちのグループのカレーは、文句なく美味かった。


 隣のグループにも分けて鍋は空っぽになり、先生からも表彰された。


「やった!」

「いや当然やろ!まじ美味かったし!」

はしゃぐメンバーの端っこで、彼女はやっぱり黙ってニコニコとしているだけだった。



 片付けが終わると、すぐにキャンプファイヤーに集合だ。


 『遠き山に……』

 定番の歌を歌って、日没と共に点火する。


 パチパチと炎の爆ぜる音。

 枯れ枝と燃料の焼ける匂い。


 夜闇を照らし燃え盛る炎と、舞い上がる火の粉は、原始から人が大いなるものに抱いてきたであろう憧れと畏れを掻き立てる。


 歌やゲームで進行していく行事の途中で、ふと、氷芽ひめの顔が目に入った。


 僕は、小さく息を呑む。


 炎に照らされたその顔からは表情が抜け落ちて、美しい人形のようだ。


 ただその瞳だけが、火を映し込んで息づいている。

そこにあるのが『憎しみ』だと思ったのは、凶悪な金の光と火の燃える匂いのせいだろうか。


 ―――その瞳は、他愛のない笑い声やお気楽な司会の声よりよほど、焚き火の炎に相応しいように感じられた―――



「怒ってる?」

 キャンプファイヤーの後の肝試し。

 2人1組のペアになった彼女に、そう尋ねずにはいられなかった。


「なんで?」

 森を並んで歩きながら聞き返す氷芽ひめの声は普段通りに穏やかに笑みを含んでいる。


 キャンプファイヤーのあの表情と瞳は、やはり炎が見せた幻だったのだろうか。


「さっき恐い顔してたから」

「そうかな」

 もしかしたら気持ちを傷付けるかも、と恐れつつ、より深くに入り込みたくて放った言葉は、普通の台詞で返された。


「そんなつもり、無かったんだけどな」


 暗くても、彼女が小首をかしげているのが分かる。肩で切り揃えられた髪も、きっとサラサラ揺れているんだろう。


「だってひとりでカレーの準備させたし」


「当番だから」


 柔らかい土を踏む、軽い足音。

 濃い緑と土の、森の匂い。


 昼間に下見したはずの単純な道なのに、そのまま迷い込んで帰ってこられない気がして、僕は氷芽ひめの手を掴む。


 少し引き寄せるようにすると、森の匂いに混じってふっと彼女の汗がかおった。


「1人になんなや」

 言ってしまって、まるでナンパみたいだ、と慌てて付け足す。

「危ないから」


「うん」

 素直にうなずかれたのが意外だったが、普段の彼女ならそうする、ということにもすぐ思い当たる。


 手をつないだまま黙って歩いていると、不意に氷芽ひめがぽつり、と言った。


「カレーの準備のことは、本当に、気にしないで」

 言いにくいことを頑張って言っている。

 そんな話し方だ。

「皆がすごく喜んでくれたみたいで、たぶん、嬉しかったから」


「たぶんって何やねん」


 思わずツッコミを入れると、一瞬、彼女の足が止まった。


「ヘンだよね」

 歩き出した時にはその声は、普段の笑みを含んだ穏やかなものに戻っている。


「うん思いっくそヘンや」


 上手な答え方など知らなかった。

 ただ、ヘタにフォローしない方がまだ、マシに思えたのだ。


 そうして出した返答は、またしても沈黙に迎え撃たれ、僕は焦ってしまう。


「あんな、夏休みな、一緒にどっか行かへん?」


 なんとか空気を変えようとして、自分でも意外なことを言ってしまっていた。


 どうしようか。さらに焦っても、回収は不可能だ。

これで断られたら、恥ずかしすぎるんだけどな。


「お盆過ぎまでは家族で旅行したり帰省したりしてるから」


 平坦な声が、少しばかり戸惑っているように聞こえるのは、勘違いだろうか?


 ああ、恥ずかしい。


 僕は覚悟して、次の言葉を待つ。


「20日頃からなら、大丈夫かな」


(うっそやー!断られなかったやん!)


 僕の中に残っていたキャンプファイヤーの炎が大きな音を立てて爆ぜ、火の粉がキラキラと舞い踊った。


「よっしゃ、約束な!」


「はい、じゃあまた、連絡下さい」

事務的に答える彼女の声が、やっぱり戸惑っている、と思うことにする。


 それからゴールに着くまで、僕は調子に乗って喋りまくり、氷芽ひめはそれに時々、短い返事をくれたりした。


 ゴールに着いた時、僕たちはまだ手をつないだままで、メンバーから散々にからかわれたのだった。


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