過去のことはぼんやりとしか覚えていない。
毎日、帰宅は25時頃だった。仕事でだ、残念ながら。
そして、死んだ。たぶん過労だ。
次に目が覚めたときには、道ばたに立っていて動けなかった。
僕の前で知らない女性が 『大きな雪だるま作ったね』 と子どもに言っていなかったら、僕は自分が何に転生したかわからなかっただろう。
しかし、雪だるまとは。
春になれば溶けて消えてしまう運命。それも、何もなさないままに。
毎日同じ場所で、じっと時が過ぎるのを待つ…… この人生、いや物生に意義はあるのだろうか。
日がな、舞い降りる雪を眺める。
目の前を、たくさんの車と人が通る。僕は何もしない。
僕を作った子どもが毎日やってきて僕に新しい雪をつけ、メンテナンスしてくれる。僕は何もしない。
時々、僕の前を通る人たちが 『大きいね』 『すごいねえ』 とほめてくれる。僕は何もしない。
あるとき、鳥が僕の目のりんごをつついていった。子どもは新しい目をつけてくれた。僕は何もしなかった。
あるとき、ボロボロのかっこうをした汚いお婆さんが、僕のマフラーをとっていった。子どもは新しいマフラーを巻いてくれた。僕は何もしなかった。
あるとき、酔っ払いが僕に抱きついて泣いた。溶け落ちてしまった雪を子どもはまた、つけてくれた。僕は何もしなかった。
子どもは僕の右腕に、りんごの入ったカゴを持たせた。
左の腕に、マフラーをたくさん掛けた。
僕の隣に、椅子を置いた。
僕は何もしなかった。
鳥がたくさんきて、賑やかにカゴのりんごをつついていった。
ボロボロのかっこうをした人が何人も、腕にかかったマフラーを嬉しそうに取っていった。
酔っ払いは僕の隣の椅子に座って、色んなことを喋っていった。
僕は何もしなかった。
やがて、寒い日の合間にふと、暖かい日がやってくるようになった。
暖かい日は少しずつ増えていった。
僕は溶けだした。
子どもは、道端に残った雪を僕にくっつけてくれた。
毎日くっつけてくれるその雪には、次第に泥が混じるようになった。
僕は、だんだん小さく汚くなっていった。
日差しがすっかり明るくなる頃。
もうマフラーもカゴも持てないくらいに崩れた僕の足元から、いくつもの緑が芽吹いた。
溶けた僕の身体を吸い上げて、芽は伸び、いっせいに花開く。
すみれ、たんぽぽ、ふきのとう。
色とりどりの花に埋もれ、僕はついに最後のひとかけらになった。
子どもが走る足音と、笑い声を聴きながら、僕はゆっくりと消えていった。