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第9話 いざ尾行


♦︎♢♦︎♢


 桜庭からの依頼を受けた翌日、授業が終わった俺は教室を出て、学校の正門近くで待機していた。片耳には1年前に買ったワイヤレスイヤホンを差し込んでいる。こんなことに使う予定ではなかったが、なんだかんだでこういう時に役立つ。


『いま教室出たよ。あとは頼むね』

「はいはい」


 花崎の声もイヤホンからしっかり聞こえる。スマホで通話状態にしたまま尾行を進めることになった。

 俺よりもはるかに華がある彼女花崎は尾行には不向きである。そこで駅に近い個室のネットカフェで状況を見るそうだ。尾行が終わったら駅で合流してまたファミレスで作戦会議というわけだ。

 だが、別にネカフェに行く必要はないのに。それこそ部室で一人待機していれば良いのに、花崎は『喉渇くだろうし』なんて理由付けした。この調子でやっていけるのだろうか。


 俺は正門から少し離れた場所に立っている。自販機が近くにあるが、誰も俺の方には目線すら向けない。うまく風景に溶け込めているようだ。

 桜庭が正門を出てくることは、すでに花崎がメッセージで確認している。彼女は帰宅部で委員会にも入っていないようだから、出てくるのは時間の問題だろう。


『私もいま下駄箱出た。桜庭さんは近くにいない』

「見てるけど、まだ出てきてない」

『職員室にでも寄ったのかな』


 その可能性は確かにある。同意しかけたその時、正門から出てくる一つの小さな陰。昨日見た髪型にフレームなしのメガネ。間違いなく桜庭だった。


「いま出てきた」

『OK。よろしくね』

「逐一連絡はする」


 彼女は一人だった。他の生徒には目もくれず、マイペースに歩みを進めている。彼女が10mほど先に進んだのを見て、俺も動き始めた。もう少し近づいても良かったが、万が一ということもある。前回はうまくいっただけで、今回うまくいく保証は全くないのだから。

 ますます小さい彼女の背中に意識をやりながら、花崎からもらった情報を整理する。

 桜庭鈴は俺たちと同じ2年生。身長は153センチと小柄で、肩に掛からないぐらいのボブヘアが印象的。という言葉が最も似合う少女だ。

 毎日徒歩で通学しているそうだ。学校と駅の中間地点にある住宅街に彼女の自宅があるという。清流沢高校は電車とバス通学の生徒がほとんどで、学校の近くに住んでいる生徒は珍しかった。俺もその住宅街には行ったことがないし。

 だがそのおかげで、こうして調査はやりやすい。バスや電車に乗られると見失う可能性が高くなる。まあ、徒歩だと振り向かれたりしたらおしまいだけど。

 ――って、別に乗り気になっているわけではない。俺としても、昨日の謎は解いておきたいし、アイツが何を隠しているのかが非常に気になるだけだ。


『どう?』


 通話はつないでいた。ただ5分ほど無言だったせいか、しびれを切らした花崎が問いかけてきた。


「バレてない。ただ生徒の姿が全くなくなったから露骨に動けない」

『怪しまれて通報でもされたら本末転倒だからね。無理しない程度で良いから』

「珍しく優しいな」

『通報されたら同好会なくなるでしょ?』

「褒めた俺がバカだったよ」


 俺よりも組織の存続の方が重要らしい。さすが所長。血も涙もないな。

 だが現に壁となってくれていた生徒たちの姿が見えなくなった。電柱だったり自販機の陰をうまく使いながらけているが、距離を縮めることができないでいた。

 そして花崎の言う通り、周囲は住宅街になっていった。いよいよ隠れ場所が電柱ぐらいしかなく、より慎重さが求められる。


『でも松澤君って存在感ないから、普通にしててもバレないと思うよ』

「うるさいな。花崎はネカフェ着いたのか?」

『こっちはあと少し。松澤君は?』

「多分もうすぐ家だろうけど……どうする?」


 正直こうして尾けているものの、彼女の家を探り当てたところで進展という進展はない。


『寄り道する気配もない?』

「ないな。まっすぐ歩いてる」

『まぁ家を知っていれば、張り込みだって出来るし。上出来だよ』

「お前はしないんだろ?」

『したいけど、目立つんでしょ』

「やってみれば案外バレないかもよ」

『考えておきまーす』


 実際、手応えという手応えは皆無かいむであった。

 ここまで変な行動とかもないし、後ろ姿は気が抜けているようにすら見えた。当たり前の行動過ぎて当人が何にも意識していないアレだ。

 意を決して少し距離を縮める。しかし、桜庭は全くの無反応で、振り返る気配すら感じさせなかった。電柱の陰に隠れて、少し彼女から視線を外す。

 周囲には一軒家しかなく、それも結構綺麗だ。結構新しめの宅地らしい。となれば、桜庭の家も同じような感じだろう。なかなか裕福な家庭かもしれない。

 意識を彼女に戻すこと数十秒。明らかに周りの家と異質な住宅が俺の目の前に広がった。


「で、でかっ……!」

『家についたの?』


 それは家というより、屋敷と呼んだ方がしっくりきた。花崎への返答が適当になった代わりに、俺はその立派な門構えに吸い込まれていく桜庭に視線を奪われていた。

 明らかに一軒家とは違い、車一台通れるような正門だ。清流沢高校と比べても良い勝負ではないか。きっとこの奥に彼女たちが生活する家があるのだろう。

 桜庭が俺の目の前から消えたことで、隠れる必要もなくなった。電柱の陰から出て改めてその門構えを見つめる。……こりゃマジのお嬢様じゃねえか。


「とんでもない――」


 家だぞ、と続けるつもりだった。しかし、その言葉は出てこない。なぜなら――誰かが俺の肩をポンポンと叩いたからである。


「なにがとんでもないんや? 兄ちゃん」


 ――バレた。直感でそう思った。俺の後ろに立っているは、今まで感じたことがないぐらいの圧迫感がある。背中には冷や汗が一気に浮かび上がる。

 気配だけでも見下されている感じがある。俺よりも身長は高いのか。確認したいけれど、このまま振り返ればそれこそ待っているのは――。


「おう? 兄ちゃんどうした?」

「い、いや……」

「兄ちゃん清流沢の生徒じゃろ。人様ひとさまの家の周りをうろちょろして何か用でもあるんか?」


 ドスの利いた声の主は、俺の肩に手を回してきた。横目で確認すると、額に十字傷が入っているように見える。見なきゃ良かったと心から思った。

 片耳からは花崎が『どうしたの!?』と慌てている。説明したいが、ここでそんなことをすれば尾行をバラしたも同然。万が一バレれば、ヤバいことになるのは目に見えている。一か八か、ズボンのポケットに入れたスマホに手を伸ばし、電源ボタンと音量ボタンを同時に押す。数秒後、花崎の声が途切れ、電源が落ちたことに安堵した。


「近くに友達が住んでるから来ただけです。そこでこの家すごいなぁって」

「ほう、それでここに立ち尽くしてたわけや」

「そ、そうです……!」


 俺の言い分に耳を貸したかのように聞こえたが、この大男は俺の肩に回している手に力を込める。少なくとも、痛さで顔をゆがませるぐらいには。


「あのなあ、俺がそんなんでお前みたいなガキに絡むわけないやろ」

「……どういう、意味ですか」


 勇気を出して聞き返すと、俺を取り囲む空気感が一気にピリつくのが分かった。


「とぼけんなや。人を尾けてたやろ。ずっと見てたで」


 その低い声は、俺の心臓を深くえぐってきた。背中にとどまっていた冷や汗が額に浮かび、抉られた心臓は鼓動を早くして全身に血を送ろうとしている。俺はいつしか、完全に言い逃れの出来ない状況におちってしまっていた。

 沈黙は肯定である。大男は呆れたようにため息を吐くと、タバコの匂いがして気分が悪くなった。


「それだけやない。お前、素人やないな? 気配を消すのがうますぎる。何者なにもんや」

「な、なんでもないですよ……! 昔から存在感ないだけで……」

「嘘吐くなや! まだこんな凄腕のスパイがおったとはなあ」


 多分めっちゃ褒められているけど、全然嬉しくない。

 生まれつきの体質でしかないのに、どうして俺がこんな目に遭わないといけないのか。というか、俺はこれからどうなるのだろうか。ここで大きな声で叫べば、桜庭が助けにきてくれるだろうか。


「まあええ。ちょっとツラ貸せや。詳しくは中で聞いちゃる」


 終わったな。俺はこのまま監禁でもされて、そのつまらない生涯を終えるのだろう。多分、俺が学校に行かなくても誰も気づきやしないだろうけど。

 大男が俺の肩に手を回したまま、その屋敷の正門に向かう。

 ――ってあれ? ここ桜庭の家じゃないのか……? え? どういうこと? 思考回路が全くと言っていいほど機能しない。いっそ気を失った方が楽なのではないか。

 そんなことを考えていると、一つの声が静寂な住宅街に響き渡った。


「――ま、松澤さん!?」


 視線を向けると、制服姿の桜庭が門の前に立っていた。恐怖のせいで思考と意識が定まらない。


、知り合いですか。コイツずっとお嬢のことを尾けていたので」


 ――お嬢? え?


「――」

「はい?」


 目の前の少女は、俯いたまま何かをつぶやいている。思わず大男が聞き返す。

 やがて――見たことがないほどの負のオーラをまとって、そのやりのような視線を大男に突き刺した。


「われェ……!! アタシの同級生に何てことしてくれてんだごらぁぁ!! タマ取ったろかぁ!!」


 ――そこで、俺の意識は途絶えてしまった。



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