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第6話 こんなに早く


♦︎♢♦︎♢


 打ち上げの翌日、ようやく訪れた以前の日常。今日からはしばらく研究会にも行かなくて良いだろう。花崎には許可取りしていないが、別に良い。家に帰ってしまえばこっちのものだ。

 花崎はクラスの女子たちと教室を出て行ったから、呼び止められる心配もない。この約1カ月はマジでほぼ毎日アイツと連絡を取り合っていたから、さすがにうざったくなっていたのが本当のところ。


 依頼中とかは『松澤君ー!』って花崎の声がよく廊下に響いていた。思い出すだけで憂鬱ゆううつな気分になるが、これからはきっとそんなこともない。

 教室を出て廊下を見渡しても、花崎の姿はない。それだけで心が躍る。違うクラスの男子と肩がぶつかっても、ソイツは当たったことすら気づいていないようだ。俺は幽霊と同じレベルで存在感がないらしい。別に良い。今日はそのまま帰れるから機嫌が良かった。


「――ま、松澤さんですか?」


 下駄箱で革靴は履き替えた時だった。

 信じたくはなかった。どうしてだ。どうして俺の名前を呼ぶんだ。今までだったら絶対にあり得ないであろう、

 女子の声だが、花崎ではない。だったら無視すれば良い話。そう、別に嫌われたって良いんだ。無理に人と関わる必要がないって、自分でも分かっているじゃないか。

 そんな自問。時間にしてほんの数秒である。けれど――俺は声のする方に視線をやった。あぁくそ。


「そうだけど……えっと」

「2年C組の桜庭鈴さくらばすずです。ごめんなさい急に」

「あぁいや……」


 第一印象はすごく小柄な女子。銀色フレームのメガネをかけていて、ボブヘアが特徴的。ザ・図書委員みたいな見た目をしていた。同学年であるが、一度も同じクラスになったことがない。

 そんな桜庭が俺に何の用だろうか。雰囲気的にはな気がしないでもない。図書委員への勧誘なら断固として断るつもりだ。

 だが、彼女は俺を呼び止めたというのに中々言葉を紡ごうとしない。「何か用?」と急かしたいが、あまり会話が得意じゃなさそうだったから、とりあえず待ってみることにした。


「――」

「え?」


 ボソリと小さな声で何か言う。全く俺の耳に届かない。だから必然的に聞き返すしかない。

 すると彼女は、意を決したかのように俺の目を見つめてきた。思ったよりも大きな瞳をしていた。


「ジュテーム」


 ……うん。知っている。フランス語で「愛している」という意味だ。英語で言う「アイラブユー」と同じ。イタリア語なら「ティアモ」だ。

 ――いやいやそうじゃない。俺は耳を疑った。一人の女子が俺に愛の告白をしてきたことではない。その言葉の裏に隠された意味を、俺は知っていた。昨日、花崎が見せてきたスマホの画面が頭に浮かんだ。


 桜庭の表情を見る限り、照れとかは一切ない。やはり俺に対する愛の告白ではなさそうだ。下駄箱で言うようなことでもないし。

 となるとやはり、彼女は知っている。初恋相談所のことを。何なら、花崎が昨日作ったホームページのことすら知っている。そこにしか合言葉は書いていないからだ。


「……依頼?」


 恐る恐る聞くと、桜庭は安堵したように頷いた。どうやら彼女自身も本当に俺が窓口になっているのか半信半疑だったようだ。

 だけどマジかよ。これで桜庭は初恋相談所のことも、ホームページのことも知っていると証明された。冷静に考えて、非常に面倒な事態である。


「あ、あの……私はどうすれば」

「あ、あぁ、えっと」


 知らんふりをするのが一番だ。依頼かどうか聞いてしまったことは撤回できないが、別にホームページにある「M」が俺と決まったわけではない。適当にあしらえば、桜庭だって俺に追求できるほど口が達者なわけでもないだろう。


相談するなんて、よっぽど追い詰められているか手段が分からない人に決まってるじゃない』


 けれど、昨日の花崎の声が頭に響いた。

 再び桜庭に目線を落とす。俺の胸元ぐらいまでしかない身長に、自身の胸の前で手を握っている。俺に話しかけるまで、ひどく悩んできたのだろう。

 ――あぁくそ。貸しだからな。


「分かったよ。3階に行こう」

「あ、は、はい!」


 桜庭の不安気ふあんげな表情はすぐに消え去った。まるで初恋が叶ったかのような明るい顔になる。その自信は正直持っていないけれど。

 職員室に鍵があったから、花崎もどうやらには行っていないらしい。だが急な依頼人なわけだから、アイツも呼び出さないといけないわけだ。

 その旨をメッセージして、俺と桜庭は3階に上がる。俺の足が部室に向かうたび、彼女が不安そうな声を漏らした。


「ここで話聞くから」

「オカルト研究会……? それにここって……」

「まあ、気にしないでよ。いま責任者呼んでるから」

「は、はあ……」


 俺が部室に足を踏み入れると、彼女も恐る恐る後に続いた。カーテンを開けて電気をつければとてもとは思えないだろう。

 来客用の椅子に座るよう促して、俺はもう一つのパイプ椅子に腰を落とす。花崎用の机と椅子は空けておいてやる。


「なんか……少し怖いですね」

「オカルト研究会だから」

「あ、あはは……」


 理由になっていないな。桜庭は愛想笑いを浮かべる。

 彼女はすごく気を遣っているようだった。俺にではなくて、この教室全体に。多分だけど、言いたいことは山ほどあるのだろう。キョロキョロしては口元が何か言いたそうにしている。

 花崎からは5分前に返事が届いていた。『今から向かう!』とのこと。まだ来ていないということは、もしかして学校の外にいるのではないか。だとしたらご苦労様である。


「それにしても、相談所のことよく分かったね」

「へっ!? あ、あぁえっと……」


 俺が言えたことではないが、世の中には変わり者もいるものだ。初恋相談所なんて、存在自体がみたいなもの。多くの人間は遠ざけるだろうが。

 花崎の言う通り、こじらせた人間にとっては最後の拠り所なのかもしれない。だからと言って、俺が体を張る理由にはならないのだけど。


 桜庭はそれ以上何も話そうとしなかった。俺とも視線を合わせようとしないし、ずっと俯いたまま花崎の到着を待っている。

 なるほど、これが相談してきた理由か。俺は頭の中で勝手に推測する。

 彼女は俺と同じような部類に入る。おとなしくて自分の感情を上手く伝えられない人間。そういう奴がここに来るということは、やはり相当な意を決した行動である。


「そんなに叶えたいの?」

「え……?」

「初恋」


 お互いが様子を伺っているせいで、空気の音すら聞こえてきそうな静寂が包む。普段は気にしないが、この部屋の雰囲気が気色悪い。思わず問いかけてしまった。

 桜庭は明らかに戸惑っている表情だった。分からないが、おそらく男である俺には言いづらいのだろう。

 返事を期待せず自分のスマホに目線を落とすと、彼女がおもむろに口を開いた。


「……叶えたいです」

「そう。詳しいことはヤツに話せば良いから。話しづらかったら俺は退室するし」

「……お気遣いありがとうございます」


 そうやってしれっと帰宅するのが狙いなんだけどね。感謝されてしまったら、そんなよこしまな考えをしている自分がみっともなく思えてきた。


「というかタメ口で良いよ。同い年なんだし」


 同級生から敬語を使われると、妙に背中が痒くなる。別に部活の上下関係に憧れているわけではないが、少なくとも敬語で話される理由はない。

 桜庭は少し考えて答える。


「きょ――く、癖なんです」

「ふーん」


 言い直しが気になったが、まあそういうやつなんだろう。俺が言えた口ではないが、やはり彼女も変わり者である。

 それからすぐ、廊下の足音が大きくなってくる。ここに向かってくる人間は、この状況では一人しかいなかった。


「お待たせ……! ごめんなさい待った?」

「めっちゃ待った」

「あなたには聞いてないの。――ごめんね、桜庭さん」


 俺を適当にあしらった花崎は、どうやら桜庭のことを知っているようだった。それは彼女も同じで、俺に対してよりも少し優しい笑みを見せた。

 花崎は一番奥の指定席に腰を落とす。カバンを地面に雑に置いて、依頼人である桜庭鈴と向かい合う。


「さて――」


 田中が初めてここに来た時を思い出す。

 オカルト研究会が強制的に始動したあの日に『依頼人が来たら言いたいことあるんだ』なんて笑いながら言っていた。


「ここはオカルト研究会です。でもそれは、かりそめの姿」


 田中の時はここで思い切り咳払いをした。そうしたらコイツマジギレしやがって、それから1週間何かと俺を授業中に指名するようになった。本当に迷惑だったから、もう何も言わないでおこう。


「本当は――初恋に悩めるあなたを手助けする組織です」


 桜庭は黙って聞いている。気を遣っているのか、引いているのかは分からない。

 花崎は完全に悦にひたっている。ミュージカル女優にでもなったらどうだ。


 最後のセリフは聞かずともわかる。俺たちに課せられた使命で、花崎の何よりの願いである。


「――あなたの初恋、私たちが叶えます」



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