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第3話 きっかけ


♦︎♢♦︎♢


 職員室に鍵を返しに行くと、鍵置き場の前に担任の村島むらじま先生が立っていた。


「先生」


 話しかけると、その隆々りゅうりゅうとした肩がびくりと跳ねた。


「お、おう松澤か。同好会帰りか?」

「はいまあ」


 完全に俺の存在に気づいていなかったようだ。別に良い。いつものことである。

 180センチを超える身長に刈り上げた黒髪。これでだと言うのだから人間見た目で判断できない。本人もそれを売りにしているようで、合コンでは毎回自己紹介に使っているらしい。全部花崎が教えてくれた。どこからそんな情報を仕入れてくるのかは知らない。


 壁時計に視線をやると、夕方の5時を過ぎていた。


「先生も部活ですか?」

「いま手芸部の連中に呼ばれてさ。仕事溜まってるから今日は勘弁してほしかったんだけど。――ってお前に愚痴っても仕方ないな。忘れてくれ」


 立てた人差し指を口元に当てて「シィー」と言う。職員室内で言うべきセリフではない。それも生徒相手に。

 先生は頭を掻きながら苦笑いする。33歳独身。家事全般一通りこなせるのだからモテるはずなのに、と花崎は評価している。

 この見た目で手芸部の顧問なんだから、それはそれで面白い。でも人当たりは良いし、ホームルームで長々と喋ることもない。一生徒としてはすごくやりやすい人だった。


「楽しんでるか? オカルト同好会は」

「まあ……ぼちぼちです」


 本当は「辛いだけだ」と言ってやりたいが、それを言うと変に突っ込まれるだろう。現にオカルト研究会っぽいことは一切やっていないし、そもそも興味もない。これで年一回発表会でもしろなんて言われたら、それこそおしまいだ。


「花崎は優秀だからな」

「……ソウデスネ」


 勉強ができることは否定しないが、それよりも人をこき使う人間性を矯正きょうせいしてほしかった。まあ、先生も彼女の本質を見たことないから知らないのだろうけど。


「仲良くなれば勉強も教えて貰えるかもよ?」


 先生の言葉にはそれ以上の意味が込められている気がした。勉強を教え合う関係、友達よりももっと深い何かに変わる可能性――それを茶化しているように。男同士だからか、教室とは違う雰囲気につい言葉を探る。


「悪い、そろそろ行くから。寄り道せず帰れよ」

「あぁはい。また明日」

「おう。気をつけてな」


 余計な返答をしなくて済んだ。良かった。その大きな背中を見送って、部室の鍵が並んでいるところに相談所の鍵を返却する。そのまま職員室を出て、1階の下駄箱を目指した。

 階段には窓から夕陽が差し込んでいる。まぶしくてつい手すりを掴んでしまう。1年の頃はこんな時間まで学校に残ることがなかった。

 職員室のある2階から1階に降りようとしたとき、夕陽に照らされた踊り場が目の前に広がった。周囲には誰もいない。その光景には見覚えがあった。


 清流沢高校に入学してから、俺はずっと帰宅部だった。中学の頃から部活はやったことなかったし、今さら新しくスポーツを始める気にもなれなかった。

 だから別に、部活をやっていない自分を変に思うことはなかった。なんなら今だってそう思っている。


 それに俺は、他人と少し違った。悪い意味で。

 とにかくのだ。その場にいるのに、無視されることが多い。まるで存在すらしていないかのようにあしらわれてしまう。存在感が全くない。1年の頃は隣の席だった女子に『今日居たんだ』とか平気で言われたし。

 だから友達は居ない。小学校の頃からずっとそうだった。別に他人との会話が苦手なわけではない。普通に話すけど、一緒に帰ったりはしない。クラスメイトはあくまでもクラスメイトで、それ以上の関係になることはなかった。


『――松澤君』


 約1カ月前、俺は2年に進級した。友達もいないからクラス替えは全く気にならない。教室の雰囲気がどうなるかが気になるだけで。最初のホームルームを終えて、これまでと変わらず教室を出た。

 花崎歌琳に話しかけられたのは、そんな時だった。この階段の踊り場で、俺は2階に立っている彼女を見上げたことを覚えている。

 正直、戸惑ったのが本音だった。学校にいる間、誰かに話しかけられることなんて滅多になかったし、名前を呼ぶのだって先生以外に無かったから。


『……えっと』

『クラスメイトの花崎歌琳だよ。さてはまだ覚えてないな?』


 花崎は今と変わらない様子で俺に話しかけてきた。今よりも黒髪のポニーテールが輝いて見えたのは、彼女の人使いの荒さを知らなかったからだろう。


『ごめん。どうかした?』

『冗談だよー。ごめんね呼び止めて』


 駆け足で階段を降りてくる彼女からは、ほんのりと甘い匂いがした。

 俺が謝ると『真に受けないでよ』なんて言ってきそうだった。今では絶対にあり得ない。

 花崎は学年の中でも目立つ方だった。1年の頃はクラスメイトじゃなかったけど、何回か告白される場面にしたことがある。存在感がないせいで、その結果も全て知っていた。

 だから、そのことがバレたのか――なんて頭がよぎった。そうじゃなくても、彼女が俺に話しかけてくる理由がなかったのだ。たぶん、無意識に相当身構えていたと思う。


『何か用?』

『松澤君って、部活とかやってる?』

『何もしてないけど』


 何を期待しての質問だったのか分からなかった。分かったとしても、適当なことを言って俺が出し抜けるとは思えなかった。だからすごく正直に返答をした。

 その時の彼女は、安堵あんどに近い表情をしていた。俺が部活をやっていないことがなぜそんな顔につながるのか、その時は理解出来なかった。


『じゃあさ、同好会立ち上げようと思うんだけど……どうかな』


 まず頭に浮かんだのは『どうして俺なんだ』という疑問である。

 こういうのはが同じ、いわゆる同類の連中を誘うイメージがあったが、そういうわけではないのだろうか。

 いや、大前提として俺を誘ってくる理由は一切ない。花崎のことは見たことある程度で喋ったのはこの日が初めて。ホームルーム中に目線が合ってニヤニヤしたようなこともない。


『いや、遠慮しとくよ』

『早くない!? まだ何の同好会かも聞いてないじゃん!』


 声のトーンが一つ上がった彼女は、一瞬だけ幼い雰囲気をまとっていた。花崎の言うことも分かるが、まともに聞き入れるつもりはさらさらなかった。


『オカルト研究会なんだけど』

『……そういうのに興味あるんだ』

『な、なにその目。別に良いでしょ?』

『良いけど、なんで俺なんだよ。陰キャだからか?』

『………………違うよ』

『なんだ今の間は』


 彼女は俺から目線を逸らしたから、事実だと確信した。喋ったこともない人間から馬鹿にされるのは気分が良くない。『他を当たってくれ』と言って、その日は花崎の誘いをハッキリと断った。

 クラスメイトだからとか関係ない。多少キツく当たるぐらいが関係性を断ち切るにはちょうど良い。


 ――何か随分と昔のことに思えるな。踊り場での会話を思い出しながら、俺は1階に降りる。すぐ下駄箱が視界に入るが、そこにはさっき別れたばっかりの花崎が立っていた。


 あぁそうだ。ずっと忘れようとしていたのに思い出してしまった。

 花崎の誘いを断った翌日、今日みたいに下駄箱で鉢合わせになったんだ。その時、ヤツは俺を見るなりニヤニヤしてて、一枚の紙を俺の前に差し出してみせた。


『入会届、受理されたからねー!』


 本当に、最初は言葉の意味が分からなかった。いや、言っている意味は理解出来たんだ。俺がオカルト研究会に入会したと。でも、俺が同好会に入ったという事実を受け入れるのにはひどく時間を要した。


『はっ!? 断っただろ!?』

『あははー!』


 あの時の笑い声は思い返してもムカつく。結局マジで入会する羽目になったし、なんならオカルト研究会よりもっと面倒なことに巻き込まれることになった。


「あ、松澤君も帰るんだ」


 いま俺の目の前に居る花崎は、俺が当時のことを思い返しているとはつゆ知らず、のんきに話しかけてくる。当時の暴挙を許したつもりはないし、この先許すこともないだろう。


「ムカつくな」


 唐突だったせいか、花崎はぽかんとして俺が靴を履き替える様子を観察している。――っていうか、なんでコイツはいちいち俺に気づくんだ?

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