「な……何なんですか……これ……」
それは大きな穴だった。十一階層奥、岩へ囲まれ吹き抜けになった場所に突如出現した底が見えない巨大な穴。まるで全ての深淵を呑み込む顎門。谷底へと続く階段だけが、道筋を示していた。
「谷底から異常な迄の邪素が溢れているわね。放置するには危険すぎる」
「これ以降は、防御結界を展開した状態で進んだ方が良さそうですね」
メイさんが前方をライトグリーンの瞳を光らせた状態で警戒し、妖狐姿のブレアさんが四人を囲む結界を展開させる。
「あれ見てよ。吹き抜けになっているね。夕刻の空が見えるし」
「それ、まずいんじゃないですか? 吹き抜けって事は、あの上の穴から邪素が漏れ出しているんじゃ……」
クレイさんが指差した天井遥か上部には紅く染まった夕刻の空。あの穴が地上と通じている証拠だ。迷宮は岩山の麓に位置してする。となると、岩山の途中にあの穴がある事になる。
「急ぐわよ。この谷底に、この
メイさんが先陣を切って、階段を降りていく。後に続く私達。魔界の深淵へと続いているかのような深い穴を下へ、下へと進んでいく。
「ねぇ、クレイ」
「なんだいメイちゃん」
長き回廊を降りていく途中、メイさんが背を向けたまま後ろへ続くクレイさんへ何やら話かけていた。
「貴方とマイちゃん。どうやら偶然知り合った訳ではなかったようね?」
「なんだ……マイが嘘をついていた事を気にしているのかい?」
(メイさんと、クレイさん……何の話をしているんだろう?)
「いいえ、そんな事はどうでもいいわ。私が聞きたい事……分かってるでしょう? 貴方の雇い主である教会の事よ」
「そうか。マイを審判した際に
どうやらクレイさんにも色々事情があるみたい。メイさんはそれ以上、振り向いて追及しようとはしなかった。
「分かったわ。今後は貴方達、
「別に構わないさ。僕はあくまで僕の意思で自由に立ち回るつもりだから」
こういう深刻な話題って苦手なんだよなぁ……。マイさんの事があった後だから仕方ないとは思うけど。
「ねぇ、皆さん。もっと楽しい話しません? 例えば美味しいものの話とか?」
うちが話題を逸らそうとすると、背後に居たブレアさんが乗ってくれた。ありがとうブレアさん!
「メイさんとの甘い物談義なら大歓迎ですよ?」
「今はサンストーン姿だものね。付き合ってあげてもいいわよ?」
この後、うちはアルシューン公国の美味しいスイーツが食べられるお店をひたすら紹介された。どうやらメイさんと今ブレアさんが変身しているサンストーンさんは、無類のスイーツ好きらしい。
「という訳で、
「あ、はい。今度機会があったら食べに行ってみますね」
メイさんって取っ付きにくい人かと思っていたんですが、こんなに饒舌な方 (※ スイーツの話限定) だったんですね……。気づけば本当に最下層迄辿り着いていた。
「ここが最下層か。さすがに邪素が溢れているね」
「皆、気を引き締めていくわよ」
恐らく五階層~十階層分は降りたのではないだろうか? それほどまでに深い大穴。谷底のように深い最下層は、邪素の濃度が今迄で一番高かった。
ブレアさんの結界が、邪素の直接的な影響を和らげてくれているが、生身の人間なら邪素を浴びただけで狂ってしまい、正気を保てなくなるレベル。中には人としての原型を留めておけない者も現れるだろう。
「これだけ邪素が溢れている環境だと……精霊さん出て来ないかもしれないです」
「
翠色のツインテールと耳でうちが感情を表現していると、メイさんが同情してくれた。ありがとうメイさん。
高い天井の洞窟は、邪素を吸い込んだかのように黒く染まっており、暗い回廊をメイさんが火属性の創星魔法で照らしつつ進んでいた。
「本当はルビーちゃんで照らしつつ進むのはうちの役目なんですけどね……ははは」
「まぁまぁカルア、そんな卑屈にならないで」
クレイさんもメイさんも皆優しいですね。この世界は優しさで溢れてます。うちが優しさに包まれていると、周囲を警戒していたブレアが眼前の異変へ気づく。
「メイさん、視てください……あれ!」
「……結界が……破られているわね」
炎を周囲へと展開させ、眼前を照らすメイさん。巨大な天井から地へと伸びる黒い鉄格子のような檻。檻の中央が打ち破られた後があり、破られた箇所は蒼い炎が揺らめいていた。
「この炎、何なんでしょうか?」
「カルア、触っちゃだめよ!」
「ふぇえっ!」
メイさんが突然叫ぶものだから横へ飛び上がるうち。どうやらこの炎は大変危険な代物らしい。
「どうやら、この先の
「元凶が近いようね。皆、準備はいい?」
炎を上空へと展開させたまま、メイさんが漆黒の鎌を構える。
「嗚呼、勿論さ。僕は今あまり気分がよくないからね。少しストレス発散させて貰うよ」
「いざと言う時は、私の力を添えてお二人の力を強化します」
皆やる気だ。あれ? 何かうち、仲間外れになってない?
「あ、あの……うちもやる時はやりますから!」
「精霊召還出来ないんでしょ? 危険だから大人しく隠れていて構わないわよ?」
いや、精霊を召還出来ない訳じゃない。この環境下で召還出来る精霊が
「いえ、ここまで来て足手纏いにはなりません。う、うちも戦います」
「分かったわ。好きにすればいいわ」
前方から何かとてつもなく迫って来る威圧感。重い。自然と蹲るか、後退りしてしまいたくなる。押し潰されそうな重圧に耐えつつ、皆歩を進めていき……。
「あ、あれは……!」
「来るわ!」
漆黒に包まれていた世界が刹那明るくなったのだ! 一瞬何が起こったか分からなかった。
うちは避ける事も気づく事も出来なかった。
洞窟内を紅色に染め上げる紅蓮の豪火は、うち達を消し炭にしようと襲いかかっていた。メイさんが漆黒の鎌を前に防御結界を展開しており、その手に妖狐姿のブレアさんが手を添え、力を加えていた。
「サンストーンの能力の真髄は他人へ自身の力を重ね、付与する力。咄嗟の判断。流石ねブレア」
「ふふふ、今はサンストーンですよ、メイ様」
何者かが放った炎による洗礼に、メイさんとブレアさんが咄嗟の判断で防御結界を二重に展開したのだ。クレイさんとうちは護られる形となっていた。
「こいつは……とんでもないものが出て来たね、メイちゃん」
「ええそうね、相手に取って不足なしね」
クレイさんとメイさんは嗤っていた。眼前には普通なら立ち竦んでしまいそうな、人間の何十倍もの体駆を備えた魔物。
「黒竜、
ブレアさんが眼前の魔物、迷宮へ邪素を振り撒いていた元凶の正体を教えてくれる。
黄色く光る虹彩の中央には爬虫類のような黒き瞳孔。深淵を呑み込んでしまうかのように巨大な顎門には人間を一瞬で噛み砕いてしまいそうな牙。全身黒光りする鱗と漆黒の翼を携えた魔物は、うち達迷宮への来訪者を悠然と見下ろしていた。