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26 カルア・ヘルメス 元凶顕現③

 うちにはクレイさんが何を言っているのか分からなかった。

 異形の姿となった彼女――マイ・ダークソウル・ヴェガは、最早クレイさんという存在に執着し、人を捨ててしまった狂気の塊に視えたからだ。


「……何を言っているの? クレイ様……」


 真っ赤に染まった双眸、口角を吊り上げ、顔を強張らせたまま最愛の人へ返答を求める。


「君は君のままでよかったんだよ。君は充分認められていたんだから」

「でも……そうだとしても! クレイ様は……私と居て本当は満たされていなかったんじゃない?」


 斬り捨てられた触手が再び蠢き、少しずつ生えていく。再び斬り払おうと漆黒の鎌を構えるメイの前へクレイが左手を出し、静止する。


「……マイ。それは僕自身の問題さ。僕の心はいつも渇いている」

「分かっていた。だから私は……クレイ様の全てが欲しかった!」


 何の話をしているんだろう? 先程まで音と水による二重奏で対話をしていたマイとクレイさんがゆっくりと距離を詰めていく。今双方に相手を攻撃しようとする動きは感じられない。


「そうか……僕が君を追い詰めてしまったのなら謝る。だからもう、苦しまなくていい」

「苦しんでなんかいないわ。だってぇ~。こんなに素直になれたんだもの」


 再び愉悦の表情で自身の頬へ手を添えるマイ。クレイさんはそんな彼女の様子に目を細める。


「クレイ、時間よ。下層からの邪素が漏れている。これ以上は待てない」

「メイさんとは友達だと思っていたのに……お前は私を止めるのねっ」


 鬼の形相となったマイが竪琴を掻き鳴らし、耳を劈くような音と共に黒い弾丸が放たれる……が、迎撃は、透明な結界に阻まれる。それは漆黒の鎌による打ち消しではなく……。


「焦りは綻びを生じる原因となります。この程度の〝悪意〟であれば私の結界で充分防ぐ事が出来る」


 そう言い放つは妖狐姿となったブレアさん。彼女はどれだけの姿を模倣コピー出来るのだろうか? 攻撃を防がれた隙にメイさんが動き、刹那場の空気が一変する。須臾の間にまるで空間を切り取られたかのようにメイさんとマイの足許へ魔法陣が展開され、洞窟にある筈のない天井の空間へ満月と白銀の天秤が君臨した。


「待って! 待つんだ、メイ」

「待てないと言った筈よ、クレイ」


 魔法陣から天上へと伸びる光。光は外と内を隔てる壁となり、外よりクレイが障壁を叩く。続けて掌から放たれたレーザー状の水戟も、障壁によって全て弾かれてしまった。


「創星の加護の下、審判者はの者へ継ぐ。汝の罪は正義か悪か?」

「や、やめろぉおおおおおお!」


 叫声をあげつつ蠢く触手をメイさんへ向けて放つマイ。しかし、触手は審判者へ届く事はなく、彼女の前でピタリと止まってしまう。そっか……これが〝天秤座の加護〟――〝終焉の天秤〟の力。


 天秤はゆっくりと終焉トキを刻むかのように左右に揺れている。揺れる度に重い空気が、大地が震動する。これからメイさんは……悪魔と化したマイを裁くんだ。それが審判者としてこの地に生きる魔女の宿命なんだ。


「そう……。分かったわ。貴女には自分が無かった。生きる意味が欲しかったのね」

「わ……わたしは……わたしは……」


 金縛りにあったかのように動けなくなった彼女の心を見透かすかのように訴えかけるメイさん。彼女の朱く染まった双眸が、真っ赤なルージュを引いた口元が、震えているように視える。


「クレイ。後は頼んだわよ」

「メイちゃん、まさか!?」


 (え? 今、メイさん……一瞬笑ったような……)


 今まさに命を刈り取ろうとする瞬間に笑う事があるのだろうか? 白銀の天秤が揺れる。迷宮へ挑む者達を捕え、嗜好品として食べ、命を弄んだ罪。悪魔と化した彼女は……もう……。



 ――終焉の天秤は静かに傾く



 審判の魔女は漆黒の鎌を思い切り振り下ろす。次の瞬間魔法陣内は漆黒の靄に包まれ、終焉の天秤が白銀の光を一瞬放ったかと思うと、迷宮内に出現する筈のない月は消滅し、元の星鍾石せいしょうせきが囲む迷宮の姿へと戻る。が、邪素ダークマナを取り込んだのか、それともマイが持っていた苦痛や悲哀の感情を吸収したのか……本来蒼白く輝く星鍾石せいしょうせきは黄昏時の色へと染まっていた。


 うちはこの戦いに於いて何も出来なかった。只々その終焉を見届ける事しか。


「マイ。マイ! しっかりしろ……」

「え?」


 クレイさんの声に思わず反応してしまう私。マイはもう死んだんじゃ……?


「……クレイ……さま……ごめん……なさい……」


 桃色に染まっていた肌は透き通るようなミルク色の肌に、髪の色は白いままだったが、産まれたままの姿で抱き抱えられた彼女は人間の姿それだった。しかし、植物のように蠢く触手は消滅し、失った両脚の後から滴り落ちる液体により赤い溜まりが出来ていた。


「謝らなくていい。やっぱり穢れていない今のマイが一番綺麗だよ」

「……嬉しい……クレイ様。ずっと貴方の事が好きでした……ありがとう」


 クレイさんは黙って彼女の艶やかな唇をそっと塞ぐ。そのまま一筋の涙を流した彼女は薄っすらと笑みを浮かべ、双眸を閉じるのだった。


「クレイさん! メイさん……これは一体どういう事なんですか……」


 クレイさんは彼女を抱き抱えたまま動かない。事の顛末を見届けていたメイさんは漆黒の鎌についた液体を払い、こちらへ振り向き答える。


「私はただ、あの子の罪を裁いただけよ」


 それだけ言い残し、彼女は迷宮の奥を見据え、歩みを進めようとする。


「待って下さい! だって命を裁くだけなら、マイの最期……辻褄があいません」

「カルア様。メイ様は彼女を陥れた悪意を消滅させた。彼女の罪を裁き、そして、彼女自身も救ってあげたんですよ?」


 ただ命を刈り取るんじゃないって事? メイさんの能力チカラって一体……。


「悪魔化した彼女は既に罪を犯していた。命を冒涜した罪は償わなければならない」


 そっか……。せめて最期は人間として……マイさんとして最期を遂げるようにしたという事か。重々しい空気を断ち切るかのように、私達に背を向けたまま、彼女はこう告げる。


「悲しんでいる暇はない。下層からの邪素ダークマナが異常。この迷宮にはまだ何かが潜んでいる。急がなくてはならないわ」

「メイさん……」


 彼女の言う通りだ。でも、こんな現実あんまりだ。うちにはそんなメイさんの姿が非情にも思えて、思わずクレイさんを見てしまう……。きっと亡くなった彼女を抱いたまま、クレイさんは泣いて……あれ……泣いてない?


「ん、どうしたんだい、カルア」

「クレイさん……あの……悲しく……ないのですか?」


 いや、クレイさんはきっと悲しい筈だ。彼女を抱き抱えた姿がそう訴えかけている。


「ん? 嗚呼。何だろうね。言いたい事は分かるよ。僕は失う事には・・・・・慣れているんだ。僕の心は渇いている。だから涙も流れない」

「でも、クレイさんにとってマイさんは……」


 気づくと私は双眸に雫を溜めていた。こんなの悲しすぎるよ。


「嗚呼。そうだね。でもメイちゃんが彼女の本来の姿を最期に取り戻してくれた。僕にとってはそれで充分だ」


 クレイさんがそう告げた瞬間、光に包まれマイさんの姿が風化したかのように消滅していく。魔物化した際取り込んでしまった邪素に耐えられなかったのだろう。クレイさんは黙ってゆっくりと立ち上がる。


「お別れは済んだかしら?」

「嗚呼、お陰様で」


 横へ立つクレイさんへ声をかけるメイさん。


「この先、今迄にない憎悪と悪意を感じます。気をつけて下さい。危険故、私はこの姿サンストーンでいきます」


 狐色の両耳をピンと立て、意識を集中させた妖狐姿のブレアがメイさんへ告げる。


「皆、気を引き締めていくわよ」

「待って下さい、私も行きます!」


 先へ進もうとするメイさん達を慌てて追い掛ける私。

 マイ……天へと昇りしマイさんの魂へ、極星の女神様のご加護があらんことを。


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