焙煎していた機械を止めるマスター。眉尻を下げたマスターは双眸を細めて続ける。
「せっかく来て貰ったんだけど、メイちゃん。今日は仕込んでないからケーキもないんだよ。他の子達も休みだしね。話なら今度ケーキを交えてじっくり聞くよ?」
「ええ、お構いなく。残念だけどマスター、今日じゃなきゃ駄目なの」
眉を顰める事なくマスターは後頭部を掻きつつ言葉を紡ぐ。
「いやぁ……済まないメイちゃん。今日おじさんは今から用事があって出掛けないといけないんだよ」
「そう……王女様を殺しに行くの? それとも街に爆撃でも堕とすつもりかしら?」
彼の珈琲豆を仕込んでいた手の動きが初めて静止した。
「メイちゃん、何の話をしているんだい?」
「喫茶ショコラ――表向きは、上級貴族にも商人達にも、私のような住民にも人気の喫茶店。その真実は、上級魔族である貴方を通じ、商人や上級貴族が裏取引をするために訪れる密約、照会の場」
妖気も悪意も放出する事なく、あくまで冷静に彼は私へ返答する。
「冗談きついなぁメイちゃん。おじさん困ってしまうよ。そろそろ行かないといけないので、これで失礼するよ」
「今日はいつになく饒舌ね、マスター。因みに今
カウンターから入口へと向かうマスターの前へ立ちはだかる私。ようやく観念したのか、マスターは嘆息を漏らした。
「おかしいな。メイちゃん、魔族が持つ
「ええ、そうね。マスターは完璧だったわ。でも可笑しいと思わない? 爆発事故が起きた瞬間もマスターは全く動揺していなかった。さも起きる事が分かっていたかのよう。それに私が最近裁いた商人、貴族は皆、一度はこの店を訪れている」
笑顔を崩さず私の解説に耳を傾けるマスター。
「今日はやけに饒舌だね、メイちゃん」
「マスターもね。決め手はガーラン卿の記憶に出て来た黒ジャケットの男。そして、奴が取引していた行商人と、貴方が豆を仕入れていた行商人が同一人物だった」
黒猫はマスターの一挙一動を監視している。マスターはまだ妖気を出していない。
「へぇー、それで
「何を言ってるの? 監視していたのは
姿を変える事なくマスターの口調が変わる。ようやく本性を現して来た。
「貴方がどれだけ妖気を隠匿してようが関係ないわ。貴方が営むこの店は欲望に塗れた貴族や商人達の悪意で溢れていた。そんな店を私が警戒しないと思う?」
灯台下暗し。敵のアジトに潜入し、あたかも素知らぬ振りをして客を装う。彼が此処を拠点にしている間、私の審判は此処を
「そうかい。残念だ。メイちゃんの事、おじさんは気に入っていたんだよ?」
「私もよ、マスター。貴方の珈琲とケーキは至高の逸品だった。もう味わえないと思うと残念でならないわ」
最後にマスターの口調となり、彼と私が別離の挨拶を交わす。
「最早この姿で居る必要もない訳だ。蝶ネクタイは窮屈でね。ようやく本来の姿で闇に紛れる事が出来るよ」
瞬間マスターが漆黒の煙に包まれたかと思うと、黒ジャケットに全身漆黒の衣へ身を包んだ褐色肌の男が顕現する。紅く分厚い舌を長く伸ばし、指先から向けられた黒い爪が私の体躯を貫かんと真っ直ぐ迫り来る。
「ようやく本性を現したわね。その姿、上級魔族ね」
「俺様の名はジューク。人間と亜人の国を裏で支配し、闇の王として君臨する者だ」
それがこいつの目的って訳ね。マスターの五指から伸びた異形の
「さて、このまま最大火力で街ごと吹き飛ばしてやろうか?」
ジュークが先日の事故により壊された窓の跡より外へ出ようとするが、黒猫が電解力による障壁で行く手を阻む。
「無駄よ。心配しないでいいわ。街を吹き飛ばすより面白い事をさせてあげるわよ? トルマリン!」
私がその名を呼んだ瞬間、黒猫は道化師のような姿となり、同時にジュークの脇腹へ蹴りを入れる。そしてそのままトルマリンは両手を広げ、渦巻く漆黒の靄を店内へと顕現させる。闇に包まれた私と守護者はジュークを引き連れ喫茶ショコラより姿を消した。
「何処だ……此処は……」
周囲は見渡す限りの平原。障壁となる建物も岩肌も見当たらない。
「アルシューン公国西、亜人の森近くの平原よ。此処なら誰にも邪魔は入らないでしょう?」
言葉の意図を汲んだのか、マスターの姿では想像もつかなかった高嗤いを披露した。
「クハハハハハハ! そんなに俺様と戦いたいか! 良いだろう。そこまで死にたいのなら、俺様が直々に相手をしてやろう」
それまで隠していた
「メイ、この羽虫、我が黙らせようか?」
「手出し無用よトルマリン。この程度の相手、私は気後れしないわ」
漆黒の鎌を出現させ、既に雷套を纏わせていたトルマリンを制止する。
「嘗めるなよ、小娘が!」
両手の五指より放たれる十本の
「俺様の糧となれ! 創星魔法、炎熱力・インカフレイム!」
「無駄よ、創星魔法、氷結力・フリーズバレット!」
背後へ左腕を出し、インカローズよりも強力な巨大な火球へ氷による無数の弾丸を放ち、威力を相殺する私。相殺された火球は白い靄となり、再び伸びる黒爪による攻撃を鎌で弾いた後、私とジュークは互いに後方へと飛び、一旦距離を置く。
「そうか。街を破壊するための取っておきだったが、使うしか無さそうだな」
「何をしても私へ届く事はないわよ?」
どうやら何か仕掛けて来るらしい。漆黒の鎌を構え、相対する私。
「俺様を愚弄する事は万死に値する。塵となり滅びるがいい! 創星魔法、極大爆発力・ペテルギウス!」
悪しき笑みを浮かべた上級魔族は私へ向け、火属性最大魔法を放つべく両手を翳すのだった。