「パンケーキが食べたいのです!」
まさか泰然自若な俺の侍女、サンストーンからそんな言葉が飛び出すなんて俺も想像していなかったよ。普段如才無く仕事を
「で、どうしてパンケーキなんだ?」
俺がそう尋ねると、彼女は頭上の耳をヒクヒクさせ、こう答える。
「明朝、私が贔屓にしていたシェフが独立して創ったパンケーキの店がオープンするのです。これを食さずして、三日後の王女様生誕祭を迎えるなどという暴挙を許す訳にはいきません!」
興奮したせいか、狐色のモフモフした尻尾がメイド服のスカートをたくし上げ激しく上下に揺れている。
成程、メイド長自ら育てたシェフが店を開くという訳か。それはつまり……。
「……異世界の味が愉しめる店って訳か」
「流石ご主人様、御名答です」
俺にはない力を持つ彼女――サンストーンは妖狐であり、創星の力を持つ獅子座の守護者だ。俺はかつて少年だった頃、獅子座の加護を彼女より受けた契約者の人間だ。
守護者は契約者を探すため、地球という異界の星へ渡る力を持っている。まぁ、俺はそこ
「あのクレープって代物とどう違うんだ? 俺、あんまり甘い物は……」
「何をおっしゃいますかご主人様。最早噂を聞きつけ、数日前から並んでいる者も居るのですよ。これを食さずして一体何を食すとおっしゃるのですか!」
琥珀色の瞳を煌めかせる彼女。甘い物の話になると彼女は止まらない。尚、彼女が着ている袴と呼ばれる白い羽織に赤いスカートは異世界の服をモチーフに彼女が手配した衣装らしい。サンストーンは、普段尻尾を上下運動する事のない落ち着いた面持ちの妖狐であるともう一度補足しておこう。
「分かった分かった。明日の朝そこへ向かえばいいんだろ? 三日後にアレキサンドル王女の生誕祭を控えているんだぞ? 準備は大丈夫なのか?」
「そこはご心配なく」
即答するメイド長。どうやら問題ないらしい。警備隊としてもまぁ問題は無いと言いたいところだが……ここ最近多発している事件を考えると問題は山積みなんだよなぁ……。頭を抱えていると、俺の執務室へ
「隊長ぉお~~レオ隊長! 大変です! ガーラン卿がぁ~~!」
「ん、どうした! ガーラン卿が自供したんじゃないのか?」
「そ、それが……」
「な、なんだって! 分かった、すぐ向かう。サンストーンは業務へ戻ってくれ!」
「畏まりました」
副隊長であるヴェガは、ガーラン卿を捕えた後より、取調べを担当していたのだ。彼の予想だにしていなかった報告を受け、俺は急いで彼を拘束していた城の地下牢へと急ぐ。
「どうなってやがる! おい、ガーラン卿、目を覚ませ!」
牢獄の扉を開け、虚ろな表情で座り込んでいた彼の胸倉を掴み、思い切り揺さぶる俺。ガーラン卿は虚ろな表情から一転、今にも雫が溢れ出しそうな表情で双眸を潤ませる。
「……おじちゃん誰なの? 僕、何もしてないよ? 此処から出してよぅ……」
「な……っ!?」
声はガーラン卿の皺がれた声から変化していない。しかし、何を言っても彼から返って来る言葉は、幼くあどけない子供そのものであった。
「今日の朝からずっとこの様子なんですぜ隊長。あれですかね? 屋敷消し飛ばした奴が証拠隠滅したんですかね?」
腕を組んで考える様子を見せるヴェガ。まぁこいつは基本本能で動くタイプだから、考えているようで何も考えていない訳だが。
「お前、本当に何も覚えていないんだな? 名前は?」
「〝何も〟って何の事? 僕の名前はドリップだよ。よろしくね、おじちゃん」
自分の容姿を見てから俺をおじちゃん扱いして欲しいね。しかし、可笑しな事がある。ガーラン卿の屋敷を消滅させた黒幕の手口なら、こいつの命は既にない筈だ。
「ドリップ、お前よく生きていたな。怖い思いをさせて済まないな。訳あって君を閉じ込めていたんだよ。君の安全が確認されたら外へ出る事を許されるだろうから、それまで我慢して欲しい」
「ほ、本当に、おじちゃん?」
自身の両手を握り、喜々とした表情へと変化する。おっさん、おっさん姿でそんな無邪気そうな顔するの止めてくれ。
「隊長、ガーラン卿、どうするんですか?」
「こいつは恐らくあの屋敷を葬った上級魔族の手口じゃねー。犯人は別の誰かだ。こいつはきっと……」
――ガーラン卿としての記憶だけが奪われた
そう考えるしかない。
まぁ、何となく犯人の目星は付いてるんだがな……。
ヴェガへ念のため、ガーラン卿を安全な場所へ移動させ、監視するよう小声で指示をする。
「ドリップ。怖い思いをさせたお詫びに外へ出たらおじちゃんが好きなものを買ってやるよ? 何か欲しいものはあるかい?」
「え? いいの?」
髭面のおっさんが誕生日プレゼントに好きなものを買ってあげると言われてはしゃぐ子供のような表情をしている。
「ああ、いいぜ。おじちゃんに二言なない。何がいい?」
「じゃあパンケーキが食べたい!」
一瞬、耳を疑う俺。
「え?」
「パンケーキ食べたい。パンケーキ食べたい。パンケーキ食べたい……」
呪詛のようにエンドレスで反芻する中身だけ子供化したおっさん。まるで音楽が脳内に流れているかのように踊り出す子供。これは何か? パンケーキの呪いか何かか?
「何すかそれ? 楽しそうですね。おいらも混ぜて欲しいっす! パンケーキ食べたい、パンケーキ食べたい……」
「ヴェガ、お前までやめんかーーーー!」
透かさずツッコミを入れる俺。よし、この一連の事件が片付いたら、『パンケーキ・パニック』として後世に語るとしよう。そう思いつつ、嘆息を漏らす俺。
そう、俺にとって怒涛の数日間――おっさんにとって地獄のパンケーキ・パニックはここから始まったのである。