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03 栗林芽衣③ ゴスロリ美少女とエロ猫

 私がまだ魔女として名を馳せる前

 全ては此処から始まった――


********



「ここは……」


 呼吸が出来る。どうやら生きているみたい。都会の廃棄ガスの臭いも、暖かな陽光の香りも、忌まわしい蝋燭の薫りもしない。


 ――無味無臭。


 空気の味がしない。ここは私が居た世界じゃないんだと実感させられる。針葉樹林を彷彿とさせる聳え立つ樹木に囲まれ、私は目を覚ます。せめて大自然の真ん中で感じるマイナスイオンくらい味合わせてくれたっていいのに……。


「イオンカ。電解力ナラ我ガ見セテヤッテモイイゾ」

「うわっ、びっくりした!」


 眼下に出現する喋る猫に驚く私。


「何ヲ驚ク。創星ノ加護ヲ与エタトキハアレダケ冷静ダッタノニ」

「嗚呼、やっぱり夢じゃなかったのね……」


 自身の肩にかかる髪を手に取ってみる。銀河を投影したかのように透き通る銀髪は、木漏れ日を反射して煌めいている。しかも睫毛は長いし、肌も綺麗。自分じゃない、異国の人みたい……。ゴスロリの衣装もあの時のまま。あの時手に持っていた鎌だけが消失していた。


「マダソノ姿ニ実感ガナイヨウダナ。ソノ姿ハ紛レモナクオ前ダ。――メイ・ペリドッド」

「メイ・ペリドッド……」


 黒猫が何かしたのか、眼前に光球が浮かび、鏡のように私の姿が映る。ぱっちりとしたライトグリーンの双眸は、黒猫が持つ瞳の色と同じだった。


 それにしてもこのゴスロリと魔女っ子衣装を足して二で割ったかのようなスカート、裾が短くてなんだかスースーする。若干胸の大きさも成長している気がするが、これも黒猫の趣味? てか、よく見ると衣装の下には上下黒いレースの下着を着用している私。どう見ても転生前の私が選ぶ下着じゃないし!


「ナンダ?」

「……このエロ猫」


 眼を細めて黒猫を凝視していたため、黒猫も気づいたらしい。


「ドウシテソウナル?」

「なんでもないわ」


 私が肩を竦めると、黒猫はひょいと私の肩に乗った。


「我ハオ前ト共ニアル。天秤座ノ守護者、トルマリン。ソレガ我ノ名ダ」

「エロ猫のトルマリンさんね、よろしく」


 私を映していた光球がパチンと弾け、黒猫は肩から飛び降り、歩を進める。ついて来いって事かしら? 


「コノ世界ノ事ヲ少シ教エヨウ」

「まぁ、あんたしか知ってる相手居ないしね」


 黒猫と私は森を抜ける。この世界は極創星世界ラピス・ワールドというらしい。人間と魔族、亜人が共存する世界。極星の女神が創世し、星の加護に護られた美しい世界……だったらしい。


「ん? どうして過去形?」

「世界ガ……残酷ダカラサ」


 その言葉に私の中に流れる血潮がなぜか一瞬滾ったように感じた。世界が残酷……私が居た世界も残酷だった。それでも希望を信じて生きて来た。その結果があのザマだ。私が死んだ後、悲しんだ人なんて居たのだろうか? 友達と呼べる存在すら居なかった私は、その姿を思い浮かべる事が出来なかった。


「え? あれ……?」

「ナゼ雫ヲ零ス?」


 なぜだか私の双眸から涙が流れていた。あんな世界に未練なんてなかった筈なのにな。


「なんでもないわ、汗よ汗!」

「ソウカ……」


 それ以上、トルマリンは干渉して来なかった。

 世界が変わっても、私は残酷な運命と戦う事になるのだろうか?


 世界の事を聞きながら森を抜けると、小高い丘に出る。麓に大きな城と街が見えた。


「アルシューン公国。オ前ノ審判ハ此処カラ始マル」

「審判? 何それ?」


 この時の私はまだ、自身に与えられた力の事なんて、これっぽっちも知らなかった。

 しかし、この後街で起きる出来事によって、私は嫌でも自身の能力について思い知る事となる。



 街に入ると石畳が敷かれ、白が基調の整った街並みが広がっていた。

 黒猫は道案内をすべく、私の肩に乗り、耳元で囁いている。


 私の銀髪とゴスロリの衣装は目立つのではないかと多少不安に思っていたのだが、何の事はない。

 最初にすれ違った相手、狼の顔をした男が皮のジャケットにベルトを腰に巻いており、こういう世界なのねと理解した。そう言えば亜人が共存する世界って言ってたわね。


 猫耳、狼さん、耳の長い綺麗な女の子、騎士風の男、魔導師のような黒いローブを纏った女性。行き交う人々とすれ違いつつ、トルマリンの案内に従い、街の中を進んでいく。


 そして、街外れ、中央に大きな噴水のある広場へ来た際、事は起きる。


「きゃぁああああああああああっ!」


 広場の奥から悲鳴が聞こえ、私は慌てて走り出していた。

 広場の隅、三メートルはある巨躯、豚の頭を乗せたまま鉄球を振り回した大男が、怯える猫耳の女の子を見下ろしていた。


「ブフォオオオオ! お嬢ちゃん、怯えなくていいんだよ、今から俺様が可愛がってあげるから、安心していいよ」

「た、たしゅけて……」


 つぶらな瞳に雫を溜めた猫耳の少女が眼前でブルブルと震えている。



 世界が残酷だから――――



 ふと、脳裏にその言葉が過る。

 なぜか身体が熱い。かつて私を葬った不条理な世界に私は怒っているのだろうか?

 私の二倍はある巨漢を前にしても、自然と恐怖の感情は出て来なかった。


「ねぇ、その子、怯えてるじゃない? 離してあげたら?」

「きさま、誰だ? って、ブフォオオオオ! よく見るといい女じゃねーーか!?」


 豚頭が臭い鼻息を巻き散らしている。臭い……あ、この世界の空気全てが無味という訳じゃないのね。せめて鼻じゃなくて、花の香りで知りたかった真実。


「その臭い鼻息を、せめて綺麗な花の香りに変えて、鉄球じゃなくて花束でも届けてあげたら、この子は怯えなかったかもしれないわよ。豚頭さん?」

「く、ブフォオオオオオオ! 嘗めやがって! よし、そんなに犯されたいんなら、お前を先に犯してやるブフォオオ!」


 身体中の血が熱い。なんだろう? 何故だか心地いい・・・・


「早く、逃げなさい!」

「でも……お姉ちゃん……」

「早く!」

「あ、ありがとう!」


 猫耳の少女は走って広場の向こうへと駆けていく。何をすべきなのか、身体が、血が教えてくれている気がした。


「さぁ、二人きりになったわよ? 私を犯すんでしょ? やってみる?」

「ブフォオオオオ! 言われなくてもやってやるブフォオオ!」


 私の頭より大きな鉄球を頭上で回転させ、思い切り振り下ろす。私は横に飛んで回避するが、衝撃で地面が抉れる。豚頭は構わず避けた私へ向け、鉄球を横へぶん回す。


 駄目……当たるっ!?


「我ノ名ヲ呼ベ、メイ」

「え? トルマリン・・・・・?」


 刹那、鉄球が漆黒の煙に包まれる。何が起こったのか分からなかった。豚頭も突然の出来事に目を見開く。

 漆黒の煙が晴れた時、そこに佇むは巨大な鉄球を指先・・受け止め、須臾しゅゆの間にその場の空気を支配する青年。


 吸い込まれそうな漆黒のマントと道化師のようなスーツを身に纏う黒髪の青年は、ライトグリーンに光る双眸で私へ振り返るのだった。

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