私は唯々使命を全うするのみ。
それが、この地に生を受けた私が存在する理由。
天空に浮かぶ無量の天秤は月光を浴び、銀色に煌めく。
私の背後に浮かぶ、今にも傾かんとする天秤に、哀れな男が怒号する。
「き、貴様! 許されると思っているのか!? 儂をアルシューン公国のグレイグ家、エスプレッソ侯爵と知っての愚行か……!?」
「愚行、そうか。では汝と敵対するバルログ家のティラミス姫暗殺を企て、クーデターを決行する事を愚行とは呼ばないのですね?」
淡々と事実を述べる私。尚、男の計画は全て未遂に終わっている。すると、先程まで怒号を放っていた男が屈々と嗤い出す。やがて声は闇夜に漏れ出し、月光の下妖しく響く。私の肩に乗った黒猫が地面へと飛び降りる。
「くくくくっ……はははははは!? そうか、全てお見通しという訳か。では、お前は国家反逆罪を取り締まる警備隊の者か? 証拠がない限り、儂を捕える事は叶わぬぞ?」
「勘違いしているようだけど、私は警備隊の者でもバルログ家の差し金でもないわ。私は世界の均衡を乱す輩へ審判を下す者。汝はこの〝終焉の天秤〟によって裁かれる」
命の灯を量るかのように天秤が再び左右に揺らぐ。眼前に起きる異様な光景。天秤が僅かに動いただけで、胸倉を掴まれたかのような衝撃を受ける男。左胸を押さえ、男はゴスロリの衣装に身を包む私を
「くそっ、お、お前は正義の女神か何かか……!?」
私は蔑むように男を静観した後、彼にこう告げた。
「私はメイ・ペリドッド。審判の魔女よ」
「……!?」
********
「芽衣、お帰りぃ~~」
「ただいま」
母と私が住む2LDKのマンションは、一般的には二人暮らしには丁度いい広さだ。しかし、居住スペースと呼べる場所がほとんどない我が家は、何に使うのか分からないモノで溢れている。私は唯一のパーソナルスペースである私の部屋へと今日も籠る。
「芽衣! 芽衣! 芽衣ちゃぁあああん!」
ゴンゴンゴンゴンゴン!?
しばらく現実逃避するため蒲団に籠っていると、部屋をノックする音に呼び出される。嗚呼、今日も
段ボールに巨大な彫刻、壺、散乱した洗濯物。一見ハロウィンのコスプレ衣装と見間違えそうな魔女のローブに鍔つきの帽子。様々な物を踏まないように避けつつ、母がいつも座っている
「ほら見て見て! 幸運を呼ぶ魔法陣を描いてみたの!
「……私の事はほっといていいから」
日本式のマンションに似つかわしくない光景。まだ日も暮れていないのに陽光は黒いカーテンで完全に遮られ、頼る光は魔法陣を囲むローソクの灯だけ。魔女の衣装を身に纏う母は私の腕を掴み、パーカーの長袖を思い切り捲る。腕の痣が剥き出しになり、思わず私の顔が歪む。
「ほら! 痣が増えているじゃない! 先生が早く処置しないと大変な事になるって、儀式のための壺を用意してくれたのよ。これで幸運を呼び出せるんだって!」
「……いくらしたの、それ?」
「先生がね、今なら三十六回払いでいいってお安くして下さったのよ! 月五万円なら払えるでしょう?」
「……もういい」
母の腕を振り解き、私は我慢の限界を迎える。母の顔が悲哀の表情へと変わる。その顔でどれだけの人間を傷つけたと思っているのだろうか。
「え? どうしたの芽衣ちゃん、学校が辛いの?」
「もういい! 一体誰のせいで私が虐められていると思っているんだ! あんなエセ占い師にお前が騙されているからだよ! 化粧品セールスがちょっと成功したからってホストクラブに没頭。お金使い果たして、パパにも愛想つかされて、縋るように占い師を頼った! それが騙されているとも知らずにね!」
ネックレスや人形。床に落ちているあらゆる物を母へ投げつける。黙って下を向き、的となる母。勢いで花瓶の水をかけると、母の黒髪から雫が涙のように零れ落ちた。
「……芽衣ちゃん、それだけ?」
うっすらと笑みを浮かべる母に思わず背筋がゾクリとなる。
「学校であんたがなんて言われているか分かる? 漆黒の魔女よ! 私が毎日虐められている理由はあんたよ! 私が稼いだバイト代も全部何に使うか分からない物に消えていく! あんたなんか……消えてしまえばいい!」
今までの恨み辛みが積み重なり、私は思わず呪詛を吐く。
「そう、分かったわ……」
母が寂しそうにそう呟いた瞬間、テーブルにある化粧品のスプレーのような物を私の顔へ噴きかけた。
「え……!?」
そして、私は気を失った。
「★☆@#$%&’<~*……降臨せよ! パラライパラライ!」
次に私が目を覚ました時、眼前は真っ赤な炎に包まれていた。魔法陣の上に縛られたまま寝かせられている私。正面には母が謎の呪文を唱え、祭壇の前に置かれた壺から炎があがる。部屋は紅蓮の業火に包まれ、最早助かる見込みはなかった。
「んーーーーんーーんーーーー!」
口にガムテープをされ喋れない私へ母が振り向き、この状況で微笑んだ。
「芽衣ちゃぁああん、おはようーー。もう大丈夫よぉおお。ほら、魂が解き放たれるわ。最初からこうすればよかったのねぇーー」
「ん゛ーーーーん゛ーーーー」
次の瞬間、壺から巻き上がる炎が紫がかったように視えた。炎は母へと降りかかり、呑み込む。まるで悪魔が生贄を丸呑みするかのように。
「あははははは、あははははははははははははははははははははははは!」
猛火の中、母の高嗤いが木霊する。
そして、炎は私を取り囲み、こう
「生贄ハ確カニ受ケ取ッタ。オ前ハ連レテイク」
私は炎に呑み込まれる。私の人生とは何だったのだろう。幸せなんてどこにもなかった。どうして私はこの世に生を受けた? 私はどうすればよかったの……こんなのあんまりだ……酷い……こんな世界ならもう……。
ふと私の脳裏に幼い頃の姿が浮かぶ。真っ白な世界。背の高い人間に左右から手を繋がれている。私は笑顔でその大人を見上げる。あれは誰? 振り返った笑顔は……。
「……パパ、ママ……」
私は一筋の涙を流した……。