翌朝、ワシは覚悟を決めた。
ユキナに声をかけ、小僧とレイラがデートから帰ってくる場面を見せることとした。駅からデートに行く場面ではなく駅に帰ってくる場面をじゃ。
別にお互いが出会うだけなら、
帰ってくるときは、遠くから少しずつこちらに向かって近づいてくる、そして別れる。時間が長いんじゃ。
熱された鉄板の上に正座をする時、例え短い時間でも永遠のように長く感じるじゃろう。
◇ ◇ ◇
小僧とレイラがデートを終えて駅に戻ってくる。
案の定、ユキナは二人のことを見入っていた。
ワシはユキナにレイラのことを説明しながら準備を進める。
九本ある
そこで、護身用一本を除いた八本の矢印の力を弾丸に巻き付け、そして拳銃に
つまるところ、拳銃の弾丸をワシが自由自在に操れるというわけじゃ。仮に真上に発射しても、探索機能と同様に念じたところ――例えば相手の
巻きつける本数の分だけ追尾性能も精度が上がり、一本でも十分すぎるくらいじゃが、八本巻き付ければ確実に的中させることが出来る。
そのためにも、相手の隙を多くする必要があるのじゃ……。
欠点があるとしたら、探索に出している時と同じく、一時的にワシの手元から八本分の能力が離れることになる。攻撃に力を割いた分だけ、防御が弱くなる……。
普段生活する分には一本あるだけで十分じゃが……。何じゃこの漠然とした不安感は……。
ユキナという小娘に
◇ ◇ ◇
遠巻きながらも、ワシとユキナが小僧とレイラのお互いに視認出来る距離まで近づく……。
「ねぇ? ヨーコ……聞いてるの……?」
ユキナがワシの方を振り向こうとした瞬間――。
「……
ワシが拳銃のトリガーを引くと、パンッという軽い破裂音がした。
矢印の乗った弾丸はユキナの顔の近くを通り、後ろにある壁に軽い音と共に命中した。
「な、なぜじゃ……。撃ち慣れた銃に能力まで
弾丸は自在に操ることができる。矢印を直接叩き込むよりも、数倍は殺傷力も操作性も高い。だから、ユキナの
まるで何かに防がれた――いや、外すように仕向けられたかのように弾丸が外れていった……!
「……ヨーコ、あなた何をしたの……?」
レイラに対する怒り、憎しみ、その感情を
「殺すならあの女からでしょ!! なんで私を撃ってるのよ!!」
ワシは思わず眼を
失敗するはずがなかった……。
小僧をこれ以上苦しめないためにも、せめて苦しむ前に戻すためにも、ユキナを殺さなければならなかったのに……!
ワシは弾丸に用いた八本の矢印に帰還命令を出しつつ、護身用の一本を全力でユキナの腹部に突撃させた。
音速で矢印を突撃させれば、針程度の大きさではあるが、身体を貫通させることが出来るじゃろう。そして、その力で心臓を射抜けばユキナを殺すことが出来る可能性はある。
しかし、先程八本も矢印を使った弾丸の軌道が
腹部に突撃させる矢印は最低でも確実に当たる大きさ。ただし、それでは威力なんぞせいぜい子供が全力で蹴ったくらいの威力にしかならぬ。
だが、今逃げるだけであれば、それくらいでも問題はなかろう……。
◇ ◇ ◇
ユキナからの逃亡には成功した。
ユキナは不意打ちでその場にうずくまり、
残り八本の矢印も帰還し、ユキナを蹴り飛ばした一本もすぐに帰ってきた。これで
「な……! なんじゃ
ワシは軽く走る程度だった速度から、全力疾走まで速度を上げた。
しかし、集団はまるで疲れを知らぬゾンビのように、明らかに当人の限界を超えた速度を出し続けて追いかけてくる。
やむを得ぬか……。
ワシは九本ある矢印のうち、両足に四本ずつを筋肉と関節に貼付け、改めて走り出そうした。
「見よ! これが
駆け出したワシの
一歩ごとに、石で出来た地面のタイルを割って進み、ワシの走った後にはタイルの
オリンピックに出れば金メダル間違いなしの
ただし、やっていることはそれぞれ矢印で衝撃を吸収しつつ強制的に動かしているだけであるため、後の反動――絶望的な筋肉痛がある。今回のような緊急時以外ではまず使うことは無い。
それ
今度は後ろだけでなく、前から数十人以上の人々がワシを追ってきておった。総勢で百人以上はいるのではないだろうか。ちょっとどころではない異常事態じゃった。
「どうなっておるんじゃ……」
事態が飲み込めぬまま、とりあえず逃げなければならないと本能が言っておった。
ワシは両足の四本ずつに貼り付けていた矢印を、少しずらして異なる配置にした。
「い、一瞬じゃなからな! よう見ておけ!
ワシがそう叫び両足でジャンプすると、ジェットエンジンを積んだかのように
「ひ……ひぃいい……」
まずは地上から五階建てのビルの屋上へ、そのまま近くにある三階建てのビル、次は六階建てのビルと近くにあるビルの屋上を次々と移動していった。
この跳躍に特化したモードは先程と同様、後の反動が大きいというものもあるが、最も辛いのは単純に移動が怖いという点じゃ……。
仮に落ちたとしても着地出来れば大丈夫じゃし、確実に落ちない距離と分かっていようと、十数メートル程度の高さの建物の屋上を
◇ ◇ ◇
結局そのまま跳んだり走ったりして拠点まで戻ってきた。
途中から明らかに追われている様子はなくなっていたが、念の為能力を使いながら帰ってきた。駅のパーキングエリアに停めた車の駐車料金が
それから一週間ほど筋肉痛で全く動けなかった。
最低限の食事や生理現象などは矢印の力を使ってこなしておったが、それくらい犠牲の大きい能力の使い方じゃった。
そして、その一週間で小僧がこの拠点に帰ってくることは無かった。
帰ってくる場所としてこの拠点を認識していたにも関わらず帰ってこなかったのは、単に認識が変わってしまったのか、あるいはそもそも帰るつもりがなくなったのか……。
更に筋肉痛が治まって数週間経ったが、ワシの心は
しかし、何週間も経っているにも関わらず、ワシは特に小僧のことが心配ではなかった。
ここに帰って来ていないなら、恐らくユキナのところにいるのじゃろう。
小僧にとってユキナと共にいるということは、小僧が何より望むことじゃ……。結果的に三つ目の選択肢『ユキナと小僧を添い遂げさせること』になっただけのことじゃし、ユキナは小僧を治そうとすることはあっても苦しめるようなことはしないはず。
対立してしまった関係であるにも関わらず、どこかそういった信頼は出来ていたから、小僧がユキナと一緒にいるということに対して、そこまで不安感は抱いていなかった。
そう、不安感は無かった。代わりに心が空っぽになるくらい大きな
それ故、何度もレイラから着信があったが、出る勇気もやる気もなかった。