「ヨーコ、いるかい?」
小僧が青白い円を通って、ワシのおる拠点の一階にやってきた。
こっちからはいくら呼んでも来ぬくせに、わざわざ小僧の方から来るとは珍しいこともあるものじゃ。こんなことなら室内に呼び鈴でも作っておくべきじゃろうか。
「なんじゃ、呼んでもおらぬのに来るとは。先に一言くらい声をかけぬか」
ワシが二階の廊下から一階へ降りながら声をかけると、小僧はへらへらと笑っておった。
相変わらず掴みどころのないやつじゃ。
「いや、大した用事じゃないよ。この前僕のアパートの鍵を探してもらってただろ? まぁ結局は隣町の鍵屋さんに開けてもらったんだけどさ、その礼でもしようと思ってね」
「はぁ? お主はそんなことでわざわざ礼をするような
「失礼だな、ヨーコは。僕はそれくらい殊勝な男だよ」
「自分で言うやつがおるか。たわけ」
礼を言われること自体は悪い気はせぬが、大した事でもないのに礼を言われるとそれはそれで気持ちが悪い。
意識的か無意識か知らぬが、もう千年と付き合っておるんじゃ、何かやましいことがあるに違いない。ワシは詳しいんじゃ。
「それで、なんじゃ。何か美味い飯でも食わせてもらえるのか? 肉が良いな、肉じゃ」
「うーん、まぁ。ヨーコはそっちのが喜ぶかもしれないけど、たまにはもっと形に残るものでもと思ってね。ちょっとついてきてよ」
「なんじゃなんじゃ、気持ち悪い。物騒なことをいいよるのう」
ワシは言われるがままに小僧の後ろをついていくと、小僧とともに青白い円の中へ入っていった。
◇ ◇ ◇
輪っかを通ったその先は橙色の街並みじゃった。
「どこじゃ、ここは?」
薄い橙の壁に濃い橙のテラコッタでできた屋根、辺り一面似たような家の街並みが広がっていた。
ワシは様々な並行世界を旅しておるが、こういった整った街並みというのは見ているだけで気持ちがよい。
もちろん、雑然とした街並みが嫌いというわけではないが、やはり整った姿というのは一つの作品のような美しさがある。
「イタリアのヴェネツィアだよ。ヨーコとも何度か来たことはあるだろ?」
「おぉう、ヴェネツィアか! 前に来たのは百年ほど前じゃったかな。ここはなかなか良い街じゃからのう。何より飯が美味い。あの時はたしかお嬢様のレイラフォードがおったのう」
「彼女たちの世界はうまく枝葉を伸ばせているといいね。それで、あの世界でも世話になった店がこの世界にもあるだろうから、そこで君になにか買ってあげようと思ってね」
「まるで子供に駄賃を与えるような物言いじゃな。ワシは知らぬが、何の店じゃ」
「宝石店だよ」
◇ ◇ ◇
店舗のドアを開くとそこには黒髪で眼鏡をかけた店員が深々と礼をしておった。
「随分と老舗なんじゃな」
「やっぱりこの並行世界にもあったか、よかった」
小僧が安心した声で店内を見て回っておる。
古めかしい店内には年季の入った木造の棚が並び、少し歪みのあるガラス窓が外界との空間を遮っておった。
こやつが宝飾類に詳しいなど初めて聞いたぞ、一体何が目的じゃ……。あー、いや、ワシへの礼が目的じゃったか……。
「ヨーコは
「なんじゃなんじゃ今日のお主は、ホントに気持ち悪いのう。まぁ、別に構わぬが……」
別に着飾るのが嫌いというわけではない。面倒なだけじゃ。
実際にいまこうして幼子に化けておる時はいくつか装飾具を身に着けてはおる。
ただ、まぁ……。それは化けるためにつけておるだけであって、本来のワシは確かに着物を羽織るだけで何か身に着けようとはしない。
「うーん、そうだな。これにしよう、きっと似合うよ。店員さん、これをお願いするよ」
「こ、こら! 身に着ける本人に見せもせずに買うやつがあるか!」
「えぇー。どうせヨーコに意見を聞いてたら、あーだこーだ文句を言ってなかなか決まらないだろ? それなら僕の直観で決めたほうが早いでしょ」
ぐぬぬ……。あながち間違っていないから完全に否定できぬのが悔しいが、小僧のセンスを信じてよいものか……。
受け皿に耳飾りを載せて受け取った店員が、小僧の顔を見て声をかける。
どうやら耳飾りに名入れをするかどうかを話し合っているようだ。
名入れ以前に小僧はどんな耳飾りを買おうとしているのか、まずそこから見せよ。こら。
「そうだね、せっかくだしお願いするよ」
店員と小僧が二人でなにやら話をしていると、店員が店の奥から別の店員を呼びだした。出てきたのは化けたワシと対して背丈の変わらぬ青髪のポニーテールの少女じゃった。
何やらワシと離れたカウンターで黒髪の青年と青髪の少女と小僧が話しておる。
どうやら今度は名入れをする文字の打合せのようじゃ。
もう好きにするがよい……。
「そうだねぇ――」
小僧がしばらく店員たちと話をして、贈られる側のワシはもう完全に蚊帳の外じゃった。
何のために来たのか最早わからなかった故、暇つぶしに店内を見て回っていると、その出来には見事の一言に尽きた。
なるほど、百年前にヴェネツィアへ来た時にはこの店に来ておらぬが、これほどの技術を持った店であれば、他の並行世界にも存在するくらいの影響力はあるであろう。
「――ヨーコ、できたって」
店内を見て回っていると、あっという間に完成したらしく、小僧が声をかけてきた。
本人の知らぬところで一体どんなものが出来上がったのか、不安ながらに覗いてみると、そこには小さな耳飾りがあった。
形は一センチ程度の細長い長方形で、素材はプラチナだろうか、鏡のように美しく周囲を映しておる。耳飾りの耳たぶにあたる部分には黄色く光る数ミリ程度の小さなトパーズが埋められておった。
反対に耳飾りの先端には小さく『M』という文字が彫られていた。
「……なんでまたMなんじゃ」
「マサキのMに【ルーラシード】のMだよ、お揃いでおしゃれだろ?」
「げぇ……。小僧よ、自分で言ってて気持ち悪くないのか、確かにワシとお主は同じ頭文字かもしれぬが……」
「いいじゃないか、僕が珍しく君に贈りものをするんだ。ありがたく受け取ってくれよ」
「それは……別に構わぬが……。こんなもの貰ってもワシはつけぬぞ」
「それならそれで構わないよ」
どうして急に小僧がワシに贈り物をしたのか、この時点では全く理解ができなかった。
ただ、少し後になってから何となくわかった。
多分、これはワシに対する手切れの品だったのじゃろう。
『仲間』であるワシに対する最後の手土産。多分、それがこの耳飾りじゃったのだろう……。