私にとって、きっと初めての恋だったのだろう。
まるで
【ルーラシード】は適当で不器用な人だけどどこかしっかりしていて、それでいて時には楽しいことがあれば、内気な私を積極的に巻き込んでグイグイと引っ張っていってくれていた。
あの日以降、彼は何かあればすぐに私を誘ってくるようになった。
◇ ◇ ◇
彼に美味しい喫茶店があると言われ、一緒に行ったこともあった。
私は喫茶店はおろか、外食すらほとんどしたことがなかったので、その喫茶店が特別美味しいのかどうかはよく分からなかった。
ただ、苦手だったコーヒーを美味しく飲めたのは、これが初めての経験だった。
◇ ◇ ◇
彼はどうも料理をするのが苦手な様子だった。
最初に料理を振る舞ったあの日以降、少しずつ一緒に料理をするようになり、あっという間に私の部屋で二人で食事をするのが定番になってしまった。
食費などについては割り勘をして貰っている。些細なものについては要らないと言っても、彼はキッチリと渡してくる。
変なところで律儀な人だなと思った。
◇ ◇ ◇
彼にどこか行きたいところはあるかと聞かれたので、ふと思いついた水族館に行きたいと答えたら、即日行くことになってしまった。
おそらく基本的に思い立ったが吉日という行動原理なのだろう。
ちょうど行ったのが暑い夏の日だったこともあって、泳いでいた魚たちよりも館内の涼しさがとても快適だったのが印象的だった。
彼は展示されている魚たちの姿かたちや名前を、私よりも遥かに興味深く観察していた。彼に博物なイメージはなかったのだが、どうやら彼は私の想像以上に博識なようだった。
◇ ◇ ◇
「ゲームセンターに行こう!」と突然誘われたこともあった。
騒がしいところが苦手だった私は、彼の誘いであっても少し抵抗があったけど、彼が楽しそうに遊んでいる姿は見ていて楽しかった。
彼がクレーンゲームという名の貯金箱にたくさんお金を入れて、ようやく取れたのが普通よりも遥かに大きいサイズのお菓子だったのには、流石に苦笑いをしてしまった。
最後に、キラキラ輝く人生を歩んでいる人たち用の証明写真を撮ろうと誘われたので渋々承諾したが、彼の満面の笑みが形として残ったのは思ったよりもうれしかった。
こんなことなら私ももっと笑って撮ればよかった。
◇ ◇ ◇
近所でお祭りがあったときは、私も一緒に行こうと誘ってくれた。
黄色のTシャツを着て玄関を出た私に対して、しっかり
お祭りの道中、あまりの人混みではぐれそうになったとき、彼が私の手を
私は彼の手をぎゅっと握り返した。
私は赤くなっているであろう顔を見られるのが恥ずかしく、下を
私は騒がしいお祭りは苦手だったのだが、この日から大好きになった。
◇ ◇ ◇
何もない日は二人で少し高台にある公園のベンチに座って、一緒に夕陽を眺めていた。
今日どんなことがあったとか、明日は何をする予定だとか、そんな毒にも薬にもならない話をずっとしていた。
暗くなってきて自然と帰る流れになり、私は勇気を出して彼の手を握る。
いつか握り方を変えたり、その腕に抱きつきたい。そんな夢を抱いていた。
◇ ◇ ◇
その日は買い物に出かけようと声をかけられた。
いつものように黒のロングスカートに厚手の黄色いパーカーだけを着て自宅を出ようとすると、白のタートルネック、紺のジーパンに灰色のダッフルコートを着た彼が私の部屋を訪ねてきた。
例によって私が
「なんでですかぁー!」
「こっちのセリフだよ、かわいいじゃない。その服」
「買い物って近所のスーパーの買い出しだと思って準備したのに、完全にちょっとしたお出かけの恰好じゃないですか! それなら、せめてもうちょっと隣にいて恥ずかしくない格好に……」
「別に気にしないのに」
「気にします! だって、私【ルーラシード】さんの隣に似合う服持ってないから……」
「よし。じゃあ、今日はそれを買いに行こう。逆にいい服買いに行こう!」
「逆にって!? なに!?」
【ルーラシード】さんは時々わけのわからないことを言い出す。いや、時々ではないかもしれない。
そもそも普段、私はスーパーやデパートで売っている激安商品しか買わない。
夏はTシャツ一枚だし、冬はパーカーとちょっとしたアウターで凌いでいて、寒い日は何色か形容しがたいマフラーをして、それでも部屋が寒いときは毛布を被って何とか過ごしている。
だから、服を買うという概念が久しく存在しなくなっている。
服なんて最低限の身だしなみと、暑さ寒さが凌げればそれでよいのだ。
「ユキナちゃんはいつも機能性重視でさ、デザインはほら、その――個性的じゃん?」
「素直にダサいって言っていいですよ」
「別にそう思ってるわけじゃないよ」
じゃあ、なんでそこで言い淀んだのか。ホントは思ってるクセに……!
まぁ、事実だから仕方ないんだけどさぁ。
「ほら、じゃあ、せめて僕のコート貸すから」
「そーいう問題じゃないんです!」
「ご、ごめんよぉ」
◇ ◇ ◇
別にホントに怒っているわけじゃない私に謝りつつ、【ルーラシード】さんは私と街へ繰り出した。
結局私は彼のコートを羽織っている。『彼コート』というやつだろうか。実際にやってみると、あるはずもない彼の暖かさと芳香剤の香りに混ざって何となく彼の匂いを感じた――気がする。まぁ、嬉しくはあるけど、そこまで感慨深いものでもなかった。
彼はよく『いいお店がある』と言って色んなお店に連れて行ってくれる。
実際に行ってみるとホントにいいお店なことが多いから、彼は歩くパンフレットのような人だ。どこでそういう情報を仕入れているのだろうか。
「今日はさ、普段と真逆の服を買おうと思ってさ。あ、もちろんお代は僕が出すよ、お詫びと僕の選んだ服を買うわけだし」
「うぅん……。まぁそれはもう慣れたから良いんですけど……」
嘘だ。おごってもらったりお金を出してもらったりすることに慣れるわけがない。【ルーラシード】さんに気を遣わせなくないから仕方なく受け取っているのだ。
というか、私の服を【ルーラシード】さんが選ぶのか。大丈夫かなぁ……。
「ところで、真逆ってどういう意味です……? 高価な服ってことなら遠慮したいんですけど……」
「うーん、ユキナちゃんは地味な服が多いから、派手な服にしようかなって。うーん、そうだな、ゴシックロリータの服なんてどうだろ?」
「えっ……?」
何を言っているんだろうか、この人は。似合うわけがないでしょ、こんな地味な私に……。
あぁいう服は元から似合う人か、変身願望があって自分を表現したいアーティストみたいな人が着る服であって、何かから解き放たれたいという気持ちのない私が着るような服ではない。
「いや、流石にそれはお金がもったいないですよ、絶対普段着ることないですし……!」
「普段着ないなら、いざという時の
「そういう問題じゃないです!」
私が頬を膨らませていると、彼が両手で頬をつぶしてきて『ぷすぅ』という情けない音が口から出てきた。
「まぁまぁ、せめて行くだけでも行ってみようよ。こういう時じゃないと行く機会もないだろうしさ。社会見学だと思って、ほらほら」
「あ、もう! 【ルーラシード】さん!」
彼は私を置いてスタスタとビル群に向かって歩みを進めて行ったので、私も小走りで彼のあとを追った。
◇ ◇ ◇
「よし、これにしよう! どうかな!?」
雑居ビルの二階にあるゴシックロリータ専門店へ行くと、彼は興味深く様々な服を見始めたと思ったら突然陳列してある服に手をかけて私に向けてきた。
「これ、とは?」
「買う服だよ。どうかな? 赤と黒を基調にした感じでユキナちゃんに似合うと思うんだけど」
渡された服は黒をベースに胸やスカートの裏地が赤く、全体的にフリルなどがついたカワイイというよりは妖艶寄りな印象の服だった。
「いやいや、私には似合わないですよ、何考えてるんですか? まだ若いのに
「今日は真逆を買うって言ったでしょ。ホラホラ試着する試着する」
「えぇ……」
そして言われるがままに試着をして、気が付いたら店員さんの手によって化粧とヘアメイクまで施されてしまった。
唇は黒くなり、眼の下にも黒いアイシャドウが入っている。髪の毛もボサボサした天然パーマから、綺麗に巻かれたハーフツインにされてしまった。
なるほど、口車に乗るというのはこういうことを言うのか。いや、口車というかどちらかといえば神輿に担がれているといったほうが正しいだろうか?
確かに綺麗にはなったと思う。ただ、似合っているかどうかと言われると、普段の私と違いすぎてよくわからないというのが正直なところだ。
「うんうん、似合ってるよ。すみません、じゃあこれください、このまま着て帰りますので」
「ぴえっ!! な、何言ってるんですか! 私、こんな恰好で外歩けませんよ!」
「こんな格好なんて言ったらお店の人に失礼でしょー」
「うぅ……。それはそうかもしれないですけど……」
やっぱり口車に乗せられている気がする……。というか、私と違ってゴシックロリータの服がよく似合っている店員さんもクスクスと笑っているし。
結局、私は本当にゴシックロリータの服を着て家まで帰ることになった。慣れない厚底ブーツを履いて、ヒラヒラした少し短めのスカートを抑えながら。
でも、ビルの大きなガラスに写った私の姿を見ると、そこには見たことがないカワイイ姿の女性がいた。
それこそ、彼の隣にいるに相応しい見た目の女性であるように見えた。
この服も着慣れたら似合ってくるのかな――なんて淡い想いを抱きつつ、ガラスに向かってスカートを持って動いてみたり、少しだけ回ったふりをしたりしていると、横にいた【ルーラシード】さんがニヤニヤと笑っていた。
「もぅ……。決めました、今日家に帰ったら次に着る時は
「えぇー! もったいないよ、せっかくかわいいのに!」
「ダメです、もう決めました」
「ちぇっ、ケチだなぁ」
「ケチで結構、元からケチだからこういう服は買ってないんです!」
私が怒ったふりをして一度そっぽを向き、しばらくして【ルーラシード】さんの方を改めて向くと、そこには優しい笑顔をした彼がいた。
私はちょっとだけ緊張したけれど、自分から彼の手を握って前へ歩き出した。
せっかく灰かぶりが魔法で綺麗になったんです、鐘が鳴るまでの間は一緒にいてくださいね。王子様……!