私、ユキナ=ブレメンテの人生はぬかるんだ
私はドイツ人の父と日本人の母のもとに生まれたが、しっかり者だった父は、私が誕生する前に
母は母で頭が
失踪した父からの
私は見たこともない父の『ブレメンテ』という忌々しい名を外せずにいた。
ボロボロのアパートで私が母の世話をし、幼い頃から色んな人に感謝の言葉を言い、社会福祉の
世間的には役所とは困った人が行くところだと大人になってから聞いた。
道理で私は毎週のように役所に通っていたわけだ。
私の担当をしていた役所の人は、私を年齢以上に
幼い頃から母を守り、色々なものを背負って過ごしたせいか、様々なことを学び、心も自然と強くなっていった。一方で、世間から見た自分という存在を理解して、自分に対する自信は無くなっていった。
高校卒業後の進路についても、当初は就職を希望していたが、単純に就職難であったこともあってか、担任から「君は自信を持つために、もっと
別に担任の言葉があったからと言うわけではないが、地方から東京のとある大学へ進学することにし、大学の近くのアパートで一人暮らしを始める事となった。
出来の悪い母をおいていくのは心配だったが、役所の方が母のことや私の進学についても親身になってくれた。
幸い、頭の出来は良い方だったから学費に関しては困ることも無かった。
しかし、生活費となると話は別だ。同期の子達が遊んでいる間も、毎日のようにバイトをしてお金を稼いでいた。
大学という場所は夢や希望に満ちてキラキラとした若者たちで
おそらく、入学したての頃の私ならそう思っていただろう。
◇ ◇ ◇
色々と過去を振り返りながら、借りているボロアパートのドアを開けて外へ出ると、左隣りの部屋から声が聞こえてきた。
「ユキナちゃーん!」
アパートの共用廊下部分に面する窓を開けて、【ルーラシード】が小さく手を振っていた。
彼の名前は【ルーラシード】。私と出会う前にどういうことをしていた人物かは知らないし、私も自分の過去を進んで話してはいない。
尋ねられてもいないことを話すことはないし、
かといって、今はどこかの大学院で何かの研究をしているらしいのだが、こちらに関しては尋ねるとはぐらかされてしまった。どうやらあまり言いたくない様子だったから、それ以来尋ねることはなかった。
つまり、私は彼についてよく知らないままなのである。
「ユキナちゃん、今日のご飯なーにー?」
「今日は余ってる豚肉で唐揚げを作って、あとはチャーハンあたりにしようと思ってます。たまには牛肉も買いたいんですけどね」
【ルーラシード】が
「僕の分もある?」
「もちろん大丈夫です。ちゃんと二人分作りますよ! あっ……でも今日もバイトがあるから、今から大学に行って、バイトして帰ってくると多分午後九時くらいになっちゃうかも……?」
「問題ないよ、食べさせてもらえるだけで十分だよ」
【ルーラシード】が
私は持っていた
「ん! ほらっ!」
【ルーラシード】は照れ笑いをしながら私の身体をギュッと抱きしめた。
「いってらっしゃい、ユキナちゃん」
◇ ◇ ◇
彼、【ルーラシード】との出会いは二年近く前に遡る。
当時十八歳だった私は、大学の近くで
そして、そのアパートの隣の部屋に住んでいたのが【ルーラシード】だった。
入居当初に
流石にそのまま無視して通り過ぎ、自分の部屋に入りづらかったので「どうかしたんですか?」と声をかけてしまった。
すると彼は「家の
どうやら玄関前で家の鍵を失くしたことに気づいた後、来た道を戻ってみたり、知り合いに探してもらったりしても見つからないので、不動産屋へ連絡したら夜間で対応できないから直接大家へ連絡してくれと言われ、大家へ連絡するとお嫁さんが電話に出て、
わかりやすいタライ回しで思わず笑ってしまった。
私は今まで色んな人に同情的な親切ばかり受けて
だからというわけではないけど、私はこの人に少しだけ親近感が湧いてしまった。
「えっと……部屋、隣ですし、鍵屋さんが来るまで私の部屋にいますか……?」
「いいの?」
男の人を部屋に入れるという行為を
でも、この人なら何も問題がないだろうという安心感も不思議とあった。
「構いませんよ、困ったときはお互い様っていうじゃないですか」
「ありがとう……ついでにお腹も空いてるから何か食べ物も……」
実質初対面であったが、なかなか図々しい人だなというのが最終的な第一印象となった。
◇ ◇ ◇
「
彼は私の作った料理を、それはもう
しかし、ここまで美味しそうに食べてもらえるのであれば、ある意味で気持ちの良いものだった。
「いやぁ、本当に助かったよ。このお返しはいつか必ずするよ。えーっと……その……」
「ユキナ=ブレメンテです……」
「そうそう、ユキナちゃん。ユキナちゃんか、いやぁ可愛い名前だ」
彼はうんうんと
でも、私はブレメンテという名前は嫌いな名前だった。
「あ、そうそう僕はね――」
「【ルーラシード】さんですよね、私はちゃんと最初挨拶に行った時に憶えましたよ……」
彼が食べ終わった皿を片付けながら、目線を合わせず嫌らしく返してみた。
「あはははは……申し訳ない……」
背後からバツの悪そうな声が聞こえてくる。
今思えば、私はこの人に名前を憶えていてほしかったのかもしれない。