真っ白な世界に薄っすらと浮かび上がる姿。純白の聖衣に身を包んだ彼女は、この世界を創ったとされる女神ミューズ様の御姿そのものだった。
『ようやくあなたへ聖女の神託を授ける
「あ、あの……待ってください! わたしは……聖女なんかじゃありません……わたしはヴァイオレッタ様へ仕えるただのモブメイドで……」
『いいえ、今この世界に居る正式な聖女の血継はあなたで間違いありません』
「で、でも! セイヴサイド領の神殿には、現聖女候補とされるミレイ令嬢がいらっしゃいます」
『あの子はただの侯爵の娘であり、聖女候補に仕立て上げられた憐れな子。もう一人、聖女候補はこの現世に存在しますが、正式な後継者は、あなたで間違いありません。前聖女であるシスターホワイトベルの血を継いでいるのですから』
「シスター……ホワイトベル!?」
脳裏にシスターと過ごした映像が流れ込んで来る。礼拝に来た人達がシスターホワイトと呼んでいた事を思い出していく。回復魔法を教えてくれたシスター。美味しいアップルタルトを焼いてくれたシスター。眠れない日に絵本を読んでくれたシスター。どうして今まで忘れてしまっていたのか? 教会が燃えたあの日、心に鍵をかけてしまっていたのかもしれない。冷たく閉ざされていた氷の壁が、ゆっくりと溶けていくかのように、彼女の温もりが、優しさが、わたしの心を満たしていく。
『さぁ、今こそ、真実の扉を開くのです……』
「ミューズ……様」
ミューズ様の手に触れた瞬間、脳裏に誰かの記憶が大量に流れ込んで来る。それは歴代の聖女様が代々受け継いで来た記憶。対峙する悪魔。人の欲望に漬け込み人間と契約し、魂を代償にして願いを叶える力を与える。聖女は英雄と共に魔物を浄化し、背後に潜む悪魔を封印する。繰り返される歴史。それでも聖女は自身が生きた時代を懸命に生き、人の世に尽くして来た。
流れ込んで来た映像に思わず目を閉じる。目を覚ました時、真っ白い世界の中、湖面のように地面が揺れる。そこにはヴァイオレッタの姿ではなく、モブメイドとしての自身の姿が映っており……目立たない黒髪は艶やかな銀髪に、そして、黒い瞳は透き通るように煌めく蒼き瞳へと変化していた。女神様や聖女の伝説を記した本でも何度も見たその瞳。
奇跡を起こす蒼き瞳――エンゲリオン=キュアノス
『あなたの魂へ力は宿りました。現実世界へ戻った時、あなたの姿はヴァイオレッタの姿に戻ります。ですが、魂には聖女の力が宿っている。力を開放したいときは祈りなさい。さすれば女神ミューズが力を貸しましょう』
「本当にわたしが聖女……?」
『現実世界へ戻る前に、試しにその瞳の力を開放してみるといい。あなたが求めている真実の一端を垣間見る事が出来ますよ?』
「それって……いえ。わかりました、やってみます」
わたしは眼前で微笑む女神様へ両膝をつき、両手を強く握ったまま祈りのポーズを取る。そして、聖女の記憶によって紡がれた言葉をそのまま口にする。
「悪しき者は還るべき場所へ、正しき者は導かれん。人の子の魂よ、いつの日も清らかであれ。女神ミューズよ、今こそ我に力を! エンゲリオン=キュアノス」
かっと目を見開いた瞬間、わたしの視界は再び光に包まれる――
★★★
満月の下、大きな屋敷の前に、一人の男が立っていた。何かに導かれるかのように、男の
「我が家を排除しに来たのか? 誰からの命令だ?」
「その質問には答えられない、グランツ侯爵」
「目的はヴァイオレッタか?」
「……」
「何とか答えたらどうだ?」
「ヴァイオレッタ殿の失脚は既定事項らしい。だが、目的は他にある」
「ならば、聖女候補の娘か」
「知っているのなら話は早い」
男が刀剣をゆっくり引き抜くと、刀剣より紅蓮の炎が巻き起こる。炎の熱に呼応するかのように靡く赤髪。
「うちのメイド達は有能でな。セイヴサイド領のホワイト侯爵が聖女候補を抹殺しようと動いている事も、レイス侯爵がミュゼファイン王国と何やら良からぬ事を考えておる事も、耳に入って来るんだよ。で、もう一度問おう? お前は誰の命令で此処に来た?」
「答えられんと言っただろう、グランツ侯爵」
紅蓮の業火が一直線に侯爵へ向かう。が、業火がグランツへ届く直前、彼が地面へと片手剣を突き刺すと、隆起した地面が土壁となり、業火を受け止める。そのまま土壁から尖った岩盤が出現し、男へと向かう。男は炎を纏った剣で岩盤を斬り捨て、両者はそのまま対峙する。
「かつては前騎士団長である最強執事スミスとも渡り合ったグランツ・ヴィータ・カインズベリー。まだまだ衰えておらんぞ」
「ほぅ、少しは楽しめそうだ」
「全力でかかって来い! 喰らえ――
岩盤の弾丸と、灼熱の炎がぶつかり合う!
やがて、風景は切り替わり……紅蓮の炎に燃える屋敷。そして、逃げ惑うメイド達が脳裏に映し出される。最期まで一緒に残ろうとしていたローザを振り切り、階段を上っていく紫髪の女性。このあと、ヴァイオレッタ様はベッドの下に隠れているわたしと遭遇する。そして、寄り添うようにして死を迎えるのだ。どうやら死を迎えたと同時、ヴァイオレッタ様の首元についていた
『これで終わりよ何もかも! アハハ……アハハハハハ!』
え? この声は……誰?
炎に包まれた屋敷の中、誰かの高嗤いが共鳴している。燃え広がる炎で誰なのかは分からない。
「黒幕ハ……アンタカ!」
『なんだ、まだ生きてるの?』
「くっ!」
巨大な火球に吹き飛ばされ、壁に激突した女性は既に黒焦げとなってしまっている。そうか……ブルーム。あの子も主のために、戦っていたのね。もう一人、横たわる女性は……きっとローザだ。彼女達は逃げる事無く、最後まで誰かと戦っていたんだ。敵対するものが居なくなった橙に染まる屋敷の中、高嗤いする女性は炎に包まれたまま、歩みを進める。
『え? 何? ちょっと話が違うじゃないの? あの悪役令嬢も聖女候補も死んだんじゃないの?』
誰かと話している? 虚空を見上げた彼女は、確かに誰かと話しているのだ。
『いいわ。どうせこの腐った世界で聖女になったって何も楽しくないし。メフィスト、この世界はあんたにくれてやるわ。だからあの二人が渡った世界へ私を連れて行きなさい!』
彼女がその言葉を宣言した瞬間、橙は揺らめき、炎に包まれていた女性諸共、空間がぐにゃりと歪む。そして、漆黒の渦が顕現したかと思うと、炎はそのまま渦の中へと呑み込まれ……この世界から消失したのだった――
一体、彼女が何者であるのか分からないまま、わたしが見ていた世界も暗転し……。
「――おい、おい、ヴァイオレッタ。大丈夫か?」
「……ん……ジルバート?」
目覚めると、そこは教会の地下、
「ジルバート! 大変なの! 屋敷を燃やした人物が誰なのか分かったわ。それに黒幕が別に居るという事も」
「なんだって!? そうか聖女の力でミューズ様の記憶を辿ったんだな!」
「とにかく急がないと。きっとジルバートがワタクシを攫ったって黒幕が知ったなら、何か動き出す可能性があるわ」
「分かった。移動しながら話そう。此処は結界に覆われていて、闇魔法が使えない。地上へあがって転移魔法で王宮へと戻ろう!」
彼の言葉にワタクシは頷き、地下の洞窟を駆け、地上へと向かう。その間、ワタクシが見た風景、あの屋敷で起きた出来事について、掻い摘んで話していく。ようやく地上の光が見えて来た。そして、瓦礫の隙間、地上へと上がった瞬間、眼前に現れた巨大な火球をジルバートの魔剣が打ち払った。
「おやおや、ヴァイオレッタ殿。誘拐犯と手を繋いで。攫われたんじゃなかったんですか? さぁ、その場から離れて下さい。俺はその男を斬らなければならないので」
「どうして此処の場所が分かったの?
赤く燃えるような髪。口元は笑っているが、いつもの隻眼でななく、爬虫類のような黒い虹彩と真っ赤な瞳孔へと変化している。ワタクシが知っているフレイア騎士団長ではない。彼が今剣に宿している炎は、少なくともいつもの正義のために燃える炎とは似ても似つかなかった。