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29 運命の社交界 後編

 思うにモブメイドからヴァイオレッタの身体へと産まれ変わってから、今迄本当に怒涛のような毎日だった。


 王子や騎士団長、たくさんの整った顔立ちの人達に囲まれる夢のような日々。裏で悪役令嬢と呼ばれていたヴァイオレッタは本来、破滅的な終幕エンドを迎えていた筈だった。


 しかし今、生前彼女にとって〝地獄の社交界〟と化したこの舞台は、王子と許嫁――優雅で綺羅びやかな二人の未来を祝福する舞台として整ったのだ。


「ヴァイオレッタ、これでお前と俺の婚姻を阻む障壁はなくなった。今はこの二人だけの時間を楽しもう」

「ええ。あなたとこうして踊る事が出来て、ワタクシも光栄です」


 ワタクシのモブメイドは脳内で顔を真っ赤にしたまま頭から蒸気を噴出していたが、ヴァイオレッタは済まし顔で王子と至福のひと時を共有する。


 二人の時間だけが、まるで周囲と隔絶されたかのように、ゆっくりと流れる時間。一度死んでしまった残酷な記憶を忘れてしまいそうになる程、奏でられる音楽も、王子の笑顔も全てが眩しくて。


「嗚呼、この至福のひと時がずっと続けばいいのに」 

「心配するな。俺と一緒に居る限り、お前を不幸にはさせないさ」


 王子に対して懐疑的であったワタクシの心が洗われるかのようで。生前ワタクシを裏切った時のように、この笑顔がもし嘘だったなら、王子は立派な詐欺師だ。大丈夫、眼前に映る彼の真っ直ぐな瞳。彼はいま、嘘をついていない。少なくともワタクシにはそう見える。


 ステップを踏む足取りが軽い。ワルツを踊る事がこんなに楽しい事だなんて、誰も教えてはくれなかった。それは当然だ。ワタクシの中のモブメイドからすると、こんな皆が注目する舞台で王子と踊る経験自体、初めてなのだから。



――ヴァイオレッタ様、モブメイドはぁああああ……このまま天使になって大空へ翼を広げ飛んでいきますわ~~



 曲目が代わり、いよいよ最後の曲ラストダンス。帝国の王を倒し、国を救った英雄が、異国の姫と結ばれるお話をモチーフにした曲。クラウン王子はラストダンスになってもワタクシの手を離さない。つまりはワタクシが本命であるという意思表示。


「マーガレット王女じゃなくてよいのですか?」

「何を今更。俺のパートナーはお前だ、ヴァイオレッタ」


 舞台中央、主役となった二人がステップを踏んでいく。ちらりと目をやると、マーガレット王女もアイゼン王子とのダンスを楽しんでいるようだった。アイゼンの事が気になっているショーン伯爵家のミランダは、同じく伯爵家のご令息とダンスを踊っている。きっと、声をかけられたのだろう。一曲目、マーガレット王女がクラウン王子と踊っていた際、彼女はちゃっかりアイゼン王子と踊っていたので、彼女としても問題はないのかもしれない。


 だんだんと終幕に差し掛かる社交界。至福のひと時もこれでおしまい。でも、王子とワタクシの心は、これで強く結びついた筈。マーガレット王女には悪いけど、泥棒猫にはそれ相応の報いを受けて貰わないと。ごめんあそばせ。そう思い、アイゼン王子と踊っている彼女へ視線を向けると、彼女も丁度横目でこちらを見ているようだった。


 そして、目が合った事を確認した彼女が一瞬だけ口角をあげた……ような気がした。


(え?)


 今の何か含みを持たせた笑みは何? クラウン王子と踊れず哀しい訳でもなく、むしろ、勝ち誇った・・・・・かのような笑み。曲は続いており、すれ違ったのは一瞬。彼女は一体何を考えているのか? 考えを巡らせようとしたその時、視界の隅、上空で何かが光った・・・ような気がした。


「え?」


 目の前で風を切る音がした。その後、激しい金属音と共に、ワタクシの眼前、床に何かが刺さっていた。続けて回転しながら床に別のものが突き刺さる。ボウガンの矢と、柄に蛇のような飾りのついた銀色の短剣。


「きゃーーーーー」


 突然の異物に気づいた女性が悲鳴をあげる。ボウガンと短剣。二方向から放たれたそれは、明らかにワタクシを狙っていた。いや、もしかすると、あの金属音は、どちらかがワタクシへ突き刺さる直前、二つの武器がぶつかり合った音。つまりどちらかは攻撃で、どちらかはワタクシを守った?


 方向からして南と北。北側の螺旋階段へ視線を向けると、騎士団の騎士らしき人物が反対方向を指差しながら叫ぶところだった。


「上だーー! 二回の回廊だーー!」


 吹き抜けになっている二階、南側のバルコニーへ続く内側の回廊ギャラリー。そこに立っていた漆黒の外套へ身を包む人物には見覚えがあった。そう、モブメイドの存在を知っているあの男だ。


「くそっ! あいつか! お前たち、ヴァイオレッタを頼む!」


 近くに居た騎士団の者へ声を掛け、王子は素早く外へ向かう。しかし、ワタクシは現場の混乱に乗じて王子の後を追う。ワタクシにはあの男を追う理由があった。テラスから外へ飛び出すワタクシ。ヒールの高い靴を脱ぎ捨て、裸足で王子を追いかける。 


「ヴァイオレッタ様、一人デハ危険!」

「心配ないわ。ブルーム、それよりお願いがあるわ」


 ワタクシと併走する彼女には、現場へ戻ってやって欲しい事があったため、素早く任務を伝える。ワタクシの意図を理解した第3メイドはすぐに現場へと引き返す。


 遥か遠く、王宮を囲む樹々に紛れ、逃走をはかっていた男へ向けて、王子が叫んでいる様子が見えた。


「また逃げるのか!? そうか、俺に負けて捕まるのが怖いんだな?」


 その声を聞いた瞬間、男は背を向けたまま立ち止まる。相手が立ち止まったところで、王子も一定の距離を保った状態で足を止める。男は顔を隠していたフードを脱ぎ、ゆっくりと振り返る。あでやかな黒髪。切れ長の瞳は鳶色。やはり、あの時ワタクシの前へ現れたあの男で間違いない。ワタクシは少し離れた場所で、木陰に隠れた状態で二人の様子を見守る。



「ほぅ、そんなに遊んで欲しいのか? クラウン・アルヴァート」

「やっとやる気になったか? お前は何者だ? ヴァイオレッタの命を狙う悪党め」


「ジルバート・シリウスだ。クラウン・アルヴァート。此処でお前を殺すつもりはないが、少し遊んでやる」

「その余裕、後悔するぞ、ジルバート」


 互いの名を呼んだ瞬間、周囲の空気が一変する。

 ワタクシが見守る中、二人の男はゆっくりと剣を引き抜いた。

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