ようやくこの時がやって来た。
クイーンズヴァレー王国の中央。少し小高くなった丘の上に佇むお城は、王宮のバルコニーから城下町の中央通りまでを見渡す事が出来る。広大な土地にはクイーンズヴァレーの王族、貴族、城を守る騎士団員、更には城で働く何百人もの者が暮らしていける程の広大な土地と建物が連なっている。
ワタクシが生まれ変わる前、モブメイドとして最初この王宮生活を始めた当初は、日々、その広い城内で迷子になっていたものだ。その度、クラウン王子の世話をしている万能執事のスミスさん、自身の肉体に自信を持っている赤髪の騎士団長フレイアさん、時にはアイゼン第ニ王子なんかに拾われ、目的地に連れて行かれたものである。
そう、いよいよワタクシ――ヴァイオレッタとしての王宮生活が始まるのだ。
一緒に連れて来たメイド達は、クイーンズヴァレー城に務める侍女や執事と合流し、王宮隣の御殿で生活する事となる。ただし、ワタクシ、ヴァイオレッタは王子の住んでいる王宮の一室、そのすぐ近くのお部屋を用意された。いつでも王子の部屋と行き来出来るよう配慮されたのだろうが、ワタクシの内なるモブメイドが心臓バクバクで飛び出して来ないかが心配ね。
いざという時は、連れて来たモブメイドの中で唯一、ヴァイオレッタのすぐ隣の部屋を特別に設けられたローザとグロッサを頼るしかないだろう。まぁ、通常であれば、ワタクシの部屋はお城を警護する騎士の方が見張る訳で、メイドを近くの部屋に配置する必要はないのだろうが、ワタクシの要求にすぐ応えてくれるメイドを傍に置いて欲しいのだと、ローザとグロッサを指名したのはワタクシだったりする。
「ヴァイオレッタ様、王子のお部屋へ行かなくてよろしいのですか?」
「構わないわ。これから長い長い王宮生活が始まるのよ? 常に顔を合わせずとも、互いの想いが伝わっていたなら、問題ないものでしょう?」
「流石、それは素晴らしいお考えですわ」
という訳で、王宮生活初日、王家の方々に出迎えられ、ご馳走を振る舞って貰ったワタクシ。一日を終え、王子におやすみの挨拶を言ったあと、何か言おうとしていた王子を華麗にすり抜け、ローザのお部屋へ逃げ込んだワタクシなのである。
(あれはきっと、ワタクシを誘っていたんでしょうけど)
ふふふ、今まで通り、王子に翻弄されるヴァイオレッタではなくてよ。王宮へ来たからには、此処からはワタクシのターンだ。
何せ、ワタクシにはタイムリミットがあるのだ。
ミューズ歴1751年11月30日。
モブメイドとヴァイオレッタ、侯爵家が燃えたあの日。同じ歴史を繰り返さないために、ワタクシは最善を尽くす必要があるのだ。
「ローザ、お願いがあるんだけど」
「何でございましょう?」
「恐らく今回ワタクシが王宮生活を始める件、よく思っていない者も居ると思うの」
「そうでしょうね。貴族間の権力争いなど、日常茶飯事ですからね」
「話が早くて助かるわ。これだけ王宮で生活している人が居るとなると、きっと内通者も居る。危険因子は排除しておきたいの。わかる?」
「成程、選抜試験の時なされたやり方と同じですね。承知致しました。何か察知しましたらすぐに報告致します」
「感謝するわ、ローザ」
彼女の髪色と同じ、銀色の
モブメイドよりもずっと長くカインズベリー侯爵家へ仕えて来た彼女はヴァイオレッタよりもずっと年上なのだ。少なくともヴァイオレッタの父であるグランツよりは歳は下に見えるが、彼女に年齢を聞く事は、いつの日かメイド達の間でタブーとなっていた。昔新人モブメイドの一人が空気を読まず彼女に年齢を尋ねた時、その子は数日間、行方不明になったのだ。屋敷へ戻って来た時、その子は10キロのダイエットに成功していたとか、居ないとか。
まずは王宮の中で怪しい動きをしている者を探し出す。この国の内情と、同時に隣国であるミュゼファイン王国の動向も探る必要がある。まずは3月に行われる社交界。そこでマーガレット王女とクラウン王子が顔を合わせる前に、何かしら手を打つ必要がある。
これは本当忙しくなりそうね。色々考えていると少し疲れてしまったわね。
「ねぇ、ローザ。色々あって今日は疲れたわ。よかったら……一緒に寝てくれるかしら?」
「なっ!? まさかお嬢様からそんな事を言って下さる日が来るとは……!?」
べ、べつに、年齢不詳であるローザの美しい身体を眺めていたいとか、そんな気持ちで出た言葉ではなくてよ?
そりゃあ、女子が沢山集まれば、女子同士でいちゃいちゃしている子達も居るし、肩までかかる銀髪の誰が見ても完璧なメイド、ローザと一度添い寝してみたいと思った事もあるわ。モブメイド時代に……。
でも、今回は、隣の部屋で一人寝ていたなら、クラウン王子という名の狼が部屋をノックして来るのではないかという心配があったのよ。
初日からお楽しみでしたねと言われていては、悪役令嬢の名が
ドレスを脱ぎ、
ゆっくりと同じベッドに入るワタクシとローザ。
「おやすみなさい、ローザ」
「おやすみなさいませ、ヴァイオレッタ様」
ワタクシはそっと彼女の手を握り、そっと微笑む。見つめ合うと思わず頬が赤く染まってしまうため、瞼をゆっくり閉じる。