こんにちは! こちらカインズベリー侯爵家に仕える88番目のモブメイドです!
お屋敷に居る100人のメイド中88番目。え? 名前なんていいんですよ、わたしはモブメイドですから。
そんなモブメイドなわたしがいま、お仕えしているヴァイオレッタ侯爵令嬢様。なんと、このクイーンズヴァレー王国の第一王子――クラウン・アルヴァート様の許嫁であり、婚礼準備のために先日より王宮へ住む事になったのです。
全身から美しさが溢れているヴァイオレッタ様と国民の憧れであるクラウン王子は誰が見てもお似合いのカップル。もう遠くからお二人が並んで立っている様子を眺めるだけで、口内が幸せ成分で溢れて、頬が溶け落ちてしまいそうです。あ、口元から雫が……失礼しました。
そしてそして、こんな一介のモブメイドにもチャンスが訪れたのです。
それが先日侯爵家で行われた、ヴァイオレッタ様のお世話係として、王宮で一緒にメイドとして働く者を決める〝メイド選抜試験〟。この試験に見事合格しまして。晴れてヴァイオレッタ様のお世話をしつつ、王宮で生活出来る事になったんです!
ヴァイオレッタ様のお部屋は、王子のお部屋のすぐ近くに用意されているのですが、ちゃんとカインズベリー侯爵家用に、お城の中にある御殿の一つを丸ごと用意していただいております。わたしのようなモブメイドにまで、二人一組ペアで部屋を用意して貰えてもう感無量です。
そんな夢のような王宮生活が始まったのですが……。
いま、わたしは大変な問題に直面しているのです。
「えっと……ここはどこ?」
はい、迷いました。そりゃあもう、盛大に。
王家、貴族の方だけでなく、国を守る騎士団員、調理師、メイド、執事、何百もの人々が生活しているこのお城。
はい、とっても大きいんです。
だいたいお庭だけで幾つあるんですか、このお城。一体何人雇えばこのお庭が保てるのか王様や王妃様へ問いたいです。カインズベリー侯爵家何個分ですか? いや、侯爵家もとっても広い敷地だったんですが、それどころの比じゃないんです。
お城の中は謁見の間、食堂、調理場、客間、王族の方が住んでいるフロア、晩餐会フロア、貴族の方が住んでいる御殿、見張り塔、幾つかの大浴場、騎士さんが訓練をしている訓練場や、芸術品を集めた美術館、劇場、婚礼行事や女神様へお祈りをするための礼拝堂なんかもあって、それはもう広くて広くて。
王宮メイドさんのお掃除を手伝って、ヴァイオレッタ様と合流するため、食堂へ向かうところだった筈なんですが……ちょっとおトイレを済ませたのが間違いでした。見上げる程の大きな大理石の柱に、ながーい絨毯の敷かれた回廊。
これは……しらみ
回廊を曲がって曲がって部屋を見つけては覗いてを繰り返すわたし。みんなお昼のお時間だからか、誰ともすれ違いません。どうしましょう、このまま誰にも見つかることもなく、わたしはドライフルーツのように干からびたメイドになってしまうのでしょうか? まだドライフルーツならいい香りがするけれど……干されたお魚さんとかは嫌だなぁ……。そんな事を考えてる場合じゃないですね。
ちょっと他と違う鉄製のお部屋の扉を見つけたので、食堂じゃない気はしたのですが、わたしは意を決して扉を開けます。
「すみませーん……失礼しまー……」
「ん?」
「え?」
この時のわたしはその場で石像のように硬直してしまっていたでしょう。あの悪魔の使いと言われる魔物――バシリシクの瞳に見つめられ、石化してしまったかのように。そこには驚いた表情の爽やかな顔がありました。健康的な肌と上腕二頭筋。鍛え抜かれた大胸筋に覆われた分厚い胸板は指で触れると弾いてしまいそう。そして、その美しい肉体は、ひとつではなく。ふたつ、みっつ、四つ……脱ぎ捨てた鎧。六つに割れた腹筋、立て掛けられた剣、上腕二頭筋、シャツ、置かれた盾、盛り上がる太腿……ええと、つまり、その……。
「メイドちゃん。俺達の鍛え抜かれたカラダ、見に来たのかい?」
「……っ!?」
白い歯を見せた赤髪のこの人物。後から分かったんですが、この人はこの国を守る王宮直属の騎士団、そのトップに君臨するフレイアと言う名の騎士団長さんでした。そう、皆さん、訓練場で戦闘訓練を終え、此処で着替えていたんですね~。そっかぁ、騎士団の皆さんの更衣室だったのかぁ~。
思いきり両手で顔を隠すわたし。いえ、指の隙間からピクピク動いているお胸なんて見てません、見てませんとも!
「いいんだよ、そんなに好きなら……触ってみるかい? 仔猫ちゃん?」
「し、失礼しましたぁああああああああ!」
思いきりお辞儀をしたわたしは転がるように更衣室を飛び出して。元来た道を駆けて行きます。そして、何度か回廊を曲がったところで誰かの胸にぶつかってしまいます。
「っ痛……嗚呼、申し訳ございません」
「おっと、怪我はない? 大丈夫?」
見上げた先には雪の結晶を散りばめたかのように美しい白髪。透き通るような翠の瞳でわたしを心配そうに見つめ、手を差し伸べる男の子が……って、ま、ままま、まさか! アイゼン第ニ王子じゃない?
「ああ、わたし、王子様に何て事を! 申し訳ございません」
「えっと、ヴァイオレッタ様お付のメイドさんかな? ほら、手を取って」
アイゼン王子の掌は冷たかったけど、その笑顔は全てを包み込むような優しさに溢れていて。思わず胸が高鳴ってしまうわたし。さっきの筋肉といい、眼前の王子のスマイルといい、もう、心臓に悪い。
「すいません、食堂へ向かう予定が、道に迷ってしまって」
「ああ、お城の中広いものね。僕も食堂へ向かうところだったんだ。一緒に行こうか」
整った顔立ちのみんなのお兄様的存在であるクラウン王子とはまた違う、女子の心を優しく包み込み、思わず母性本能を
夜には粉雪が舞うような季節の筈なのに、わたしの全身は王子という温もりに雪が解けて今にも花開き、そのまま大空へと羽搏いていきそうです。回廊を行く時間がとても長く感じられました。ようやく食堂の前へ到着し、アイゼン王子はわたしを導いてくれていた手をそっと離し、こちらへ軽くウインクします。
「今日の事は、僕と君との秘密だよ♡」
「……は、はい」
――きゃあああああ。アイゼン様ぁあああ! そんなの反則ですぅううううう!
嗚呼、親愛なるヴァイオレッタ様、わたしの王宮生活、どうなってしまうのでしょうか?
こんな毎日が続いたなら、わたし、昇天してしまうかもしれません。