「ちょっと、どういう事、クラウン王子! ワタクシとの婚約を破棄するだなんて、どういう了見よ?」
「文字通りの意味だヴァイオレッタ。君との婚約は破棄。部屋の外で待っている君が連れて来たメイド達と共に王宮から出て行ってもらう」
王宮の一室にて、艶やかな紫髪が揺れる。紅い
「どうしてあんな小娘と? 弱小国のあんな王女と結ばれても、あなたにとって何のメリットもないわよ?」
「メリットか……それを言うならば、お前と結ばれる事に俺は何の得も感じる事はないぞ?」
「言うわねクラウン。でも、残念だわ。ワタクシとあなたの相性は、少なくとも悪くないと思っていたのだけれど?」
「何の話だ? 普段は強気の癖に、夜になるとお前が
「何よ! 愛してるって言葉は嘘だったって言うの?」
「嗚呼、愛して
部屋の外では、ヴァイオレッタの専属メイド達が何事かと扉の隙間から二人の様子を窺っています。すると、内部で奥の部屋と繋がっている扉が開き、橙色のウェーブがかった髪を靡かせた女性が入って来ます。
申し訳なさそうな表情でクラウン王子とヴァイオレッタ令嬢の顔を交互に見る女性。
ヴァイオレッタの怒りは頂点に達し……。
「なっ、マーガレット王女!? どうしてあなたが王子の寝室へ居る訳?」
「申し訳ございません、ヴァイオレッタ様。盗み聞きをするつもりはなかったのです。えっと、昨日からこのお部屋に
「それはどういう……」
ヴァイオレッタの両拳が揺れる中、王子は扉の前に立っていたマーガレットを手招きする。そして、彼女の腰へ手を回し、そのまま自身の身体へ抱き寄せ、そのまま己の口元を重ねたのです。
「こういう事だよ、ヴァイオレッタ」
「……」
「今日中にメイド達と荷物をまとめて出て行ってくれ。でないと、王家への不法侵入で騎士団を呼ぶ事になってしまう」
「……わかったわ」
下を向いたまま一歩一歩、歩を進めるヴァイオレッタ令嬢。この時、ヴァイオレッタの脳裏には、憤怒、悔恨、怨嗟、どの言葉を並べても言い表せないほどの、様々な感情が渦巻いていた事でしょう。王子の前で恭しく一礼するヴァイオレッタ。『ごめんあそばせ』と小声で呟いた後、マーガレット王女の前へ立ち、そのまま彼女の頬へ平手打ちをしたのです!
「この、泥棒猫!」
「ヴァイオレッタ!」
「いいんです、王子」
王子がヴァイオレッタの腕を掴もうとするが、マーガレット王女がそれを引き留める。
そのまま二人に背を向けて、部屋を出る彼女。部屋を出た先には世話役として彼女の家から付いて来た数十名のメイド達。第一メイドである銀髪のメイド――ローザが目元へ雫を溜めていた彼女へハンカチを渡します。
「ヴァイオレッタ様……」
「結構よ。さ、皆。お城の生活も飽き飽きしていたところだったから丁度よかったわ。カインズベリー家へ帰るわよ」
この時の笑顔は気高く、眩しく、少しだけ寂しそうで……。
ヴァイオレッタ・ロゼ・カインズベリーは此処、クイーンズヴァレー王国の有力貴族であるカインズベリー侯爵家の令嬢でした。
艶やかな紫髪と紅い瞳、美しい美貌を兼ね備え、大人の魅力でその存在感を国民へ見せつけていた彼女は、王国のクラウン・アルヴァート第一王子の許嫁であり、王宮で生活を始めて以降は、王子とも愛し合っていたという。
しかし、隣国ミュゼファイン王国の王女様、マーガレット・ミュゼ・クオリアと社交界で出逢ってから、全てが変わってしまった。元々高圧的な態度で周囲の女性を敵に回していたヴァイオレッタは、貴族の間では、悪役令嬢として有名な存在。マーガレットを味方する者が増え、気づけば婚約破棄を申し渡されたという訳なのです。
納得のいく筈はない。それでも彼女は誰の前で涙を見せる事もなく、最後まで凛として真っ直ぐだった。カインズベリー侯爵家は国を乗っ取ろうとしているというあらぬ罪を着せられ、国民からの信用も失ったヴァイオレッタ侯爵令嬢は、こうしてメイド達と共に王宮から追放されてしまったのです。
そして……、屋敷へ戻った数日後。
「お逃げ下さい、ヴァイオレッタ様。早く!」
「無理よ、この炎。逃げ場はないわ。あなた達こそ逃げなさい」
皆が寝静まった満月の夜、屋敷は灼熱の炎に包まれた。追放された後、屋敷に居た百人のメイド達も何故か十名前後に減っていた。この先がないと判断したメイド達が侯爵家から逃げ出したんだろう。
メイド達を振り切り、彼女は玄関とは逆方向、自身の部屋へと閉じ籠ってしまいます。
自身の最期を悟った彼女は、最期は思い出の部屋で生涯を終えたかったのかもしれない。燃え広がる焔は、部屋のすぐ外へ迫っていた。壁に飾ってあった肖像画。幼い頃の王子とヴァイオレッタ、二人を描いた絵を眺めていた時、背後からの物音に気付き振り返る侯爵令嬢。
「あなた、どうやって」
「えへへ、ヴァイオレッタ様なら最期は此処に来るかなって、ベッドの下に隠れてました」
ヴァイオレッタ……いや、ヴァイオレッタ
「あなた、ワタクシの思考を読んだと言うの?」
「だって、わたし。ヴァイオレッタ様のメイドですから」
「あなたは確か……」
「え、あ! いいんです。わたしなんて御父上であるご主人様に雇われた
この時、部屋の窓が割れ、爆風と共に、硝子が飛散する。部屋は焔に包まれ、
「逃げなくていいの?」
「ええ。わたしの心は最期までヴァイオレッタ様と共にあります」
「そう……ワタクシにもワタクシを慕ってくれる者がちゃんと居たのね」
もう少し早く気づくべきだったわ……という声を残し、そのままヴァイオレッタ様はわたしに折り重なったまま、顔を近づけて来ます。死の直前だというのに……こんな幸せな事があっていいのでしょうか?
「あなたにお仕え出来て幸せです。もし生まれ変わっても、ヴァイオレッタ様への想いが消える事はありません」
「そう……ありがとう……×××」
温かなヴァイオレッタ様の感触。この温もりを一生忘れる事はありません。
これが、ヴァイオレッタ様をずっと傍で見て来た
そして、爆音と共に、視界は暗転し――
★★★
「――ヴァイオレッタ様、ヴァイオレッタ様!」
白い天蓋に囲まれたベッドが視界に映る。
ぼんやりした景色の向こう、銀髪のメイドがベッドの前で
「もう朝……?」
「寝ぼけているのですか?」
「あれ、わた……そうか」
身体を横にすると、全身鏡に艶やかな紫髪とキレ長の紅い瞳。桃色レースのネグリジェに身を包んだ自身の姿が映っている。そうだ。あの日、わたしはヴァイオレッタ様の屋敷で命を落とした。次に目を覚ました時、
身体を起こし、わたしはヴァイオレッタとして、第一メイド、ローザへ話しかける。
「おはよう、ローザ。ワタクシは昔の夢を見ていたようですわ」
「そうですか。何やら途中うなされていたみたいですが」
「心配には及びません。ワタクシの辞書に恐怖という言葉はございませんの」
「それはよかったです。お食事の準備が出来ております故、食堂へお越しください」
「ええ。わかったわ」
ローザが部屋を出た後、全身鏡の前へ立つわたし。
そう、これは88番目のモブメイドだった
――憧れのヴァイオレッタ様、わたしはあなたを死なせる訳にはいきません!