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第39話 忘れていた記憶

アバロニアから吐き気のする真実を聞かされてから二日ほどが経った。

相変わらず気分は優れない。

差し込む日に眉を顰めつつ、辺りを見渡すと、テーブルに新聞が置かれていた。

朝刊だ。トーマスが置いてくれたのだろう。

別に新聞が読みたいわけではないけれど、自分が指示した事を守っている彼を責められはしない。


おもむろに開くと、いくつか興味深い記事が目に飛び込んできた。


その一つは皇家が管轄している宝物庫のボヤ騒ぎ。収められていた品々のほとんどは無事だったが聖装飾物である腕飾り”星の涙”が消えたというものであった。

皇立省警察機構の公式では盗まれたのでは?と記されている。

しかし、大事であるはずのニュースはとても小さく一見すると見逃してしまいそうである。

変わりに一面を飾っているのは第一皇子の執務官失踪の謎と言う下世話なものだった。


アバロニアの事だわ。

記事には“訳ありの女と逃げたか”などのウソが記されている。


皇家にとっては、よくも悪くも渡りに船と言ったところなのかしら?

皇子の側近とはいえ、失踪というスキャンダルはボヤ騒ぎの目くらましにちょうどいいのだろう。

でも、アバロニアの件が記事になるのが早すぎる。情報は全くデタラメだけど。


誰かの手が回っている気がする。

そして、あの場所にいた人物は限られている。


真っ先に頭に浮かんだのは幸運骨董品店…。

名刺を投げ飛ばした青年。

いかにも胡散臭い。けれど、彼に会いに行けと直感が告げていた。


「シア様、お加減はもうよろしいので?」

「ええ~。疲れがたまっていたのね」

「おでかけになられるので…」


部屋を出るとトーマスが声をかけてくる。


「観光でもしようかと思うの。皇都に来てから一度も街をちゃんと見てなかったから」

「では、私も…」

「いいのよ。一人で大丈夫。貴方はアダムの執事でしょう?いくらなんでも独占しすぎちゃ、悪いもの」


直接話を聞かなきゃならない相手がいる。

だが、トーマスを連れていくわけにはいかない。


「アダム様は気になさりませんよ」

「私が気にするの。それより、アダムは?」

「事業計画を練っておられます。まとまりましたらシア様にもお話すると…」

「それは楽しみだわ」


微笑んで、キュアノルホテルを後にし、名刺に書かれていた住所へと足を進めた。

その道中は人通りが激しかった。そして、皇都の中でも大きな川に差し掛かったところでさらに人々のざわめきが強くなる。


人の関心を引く何かがあるのかしら?


シアは群衆の一部となるように集まりの中心にわって入っていく。


「人が流されたらしいわ」

「事故?」

「自殺かしら?」

「でもあれじゃあ、身元は分からないわね」

「かわいそうに…」


人々が口々に紡ぐ。

だけど、シアにはすぐわかった。

川に引っ掛かっていた服装に見覚えがあるから。


最後に見たアバロニアの装いと一緒だわ。

あれは彼…。

そう、死んだの。

私が手をくだす前に…。


苦しんだのかしら?


もし、そうなら嬉しい。

そんな風に考える私は鬼ね。

いえ、お母様達の復讐をした時点ですでにこの手は汚れている。

それでも、笑みはこぼれなかった。

ユラユラと無意識に足が動き、その場を離れていく。

まるで魂が抜けていくように…。


これで、復讐は終わったの?


確かに貴族の訃報についての記事を載せる週刊誌をトーマスに取り寄せて貰った。貴族の訃報を知りたい人間がどれだけいるか知らないが、需要があるから記事になっているのだろう。実際、週刊誌がすぐに手に入ったからこそ、アバロニアが告げた男達…ルシアに求婚の手紙を送り、悲劇を引き起こした連中が本当に相次いで死んでいると分かったのだ。


故にこれ以上、自分が生きる意味が見いだせない。

自分の手で葬りたかったのに、それが出来なかった。

それが悔しい。悔しいわ!


ああ、苦しい。

吐き気がする。

もう歩いてはいられない。


浮遊感が体中を駆け巡る。

もう、どこを歩いているのかも見えない。


もはや、倒れる寸前であっても…。

同様の感覚を味わう。


「思っていた以上に深刻だったか…」


誰かの声がする。

抱きとめられている?

まさかね。

薄っすらと落ちていく意識の中で赤い瞳が微笑んできた気がした。

だが、それを確かめる前に夢の世界へと落ちていく。


「助けて!お姉さま!」


ルシアの叫び声が聞こえる。

私が行くわ。待ってて!

そう思っても、足が動かない。

妹の嘆きからどんどん、遠ざかっていく。

あの日の光景だ。

もっと早く、あの子の所に行っていれば、悲劇は避けられたかもしれないのに…。

アバロニアの逃げる姿も目に焼き付く。

あの時、捕まえておけばよかった。

目に止めていたのに…。

これが悪夢でも奴らを殺してやりたい。

馬鹿ね。それは無理だ。

奴らは死んだのだから。

私の手で罰をくだしたかったのに…。

この報われぬ思いはどこへ向かえばいいの。


「全く、面白いね」


誰かの声が耳をかすめた。


「聖装飾物は一方には幸運を…。もう片方には不運をもたらす。いい物が見れたよ」


すぐそばで語られる独り言。独特の香りが鼻をかすめる。

この男を知っている。いえ、あの日、すれ違った。


なぜ、今まで忘れていたの?


アバロニアが言っていた聖装飾物の売り手だ。

そうだ。この男が残っている。


アバロニア達を焚きつけたすべての元凶。

まだ、復讐は終わってはない。


顔を見せて!


触れたくても触れられない。

その装いも人間ではなく、怪物のようないでたちだ。

これが夢だからなのか…。それとも?

だが、奴の体に大きな花が巻き付いていた。

白い花だ。ユリのような…。でも違う!

姿を現しなさい!


手を男に伸ばした瞬間、見慣れない天井が飛び込んできた。

自分が一人用のベッドで目を覚ました事に気づく。

周りには年代物の時計や趣味がいいとは言えない置物。

飾り棚などで占められている。

要は古い物に囲まれているのだ。


ここはどこ?


「また、いらしたんですか?」


閉め切られた扉の向こうで声がする。

アバロニアが絶命した日に現れた男の声だ。そして…。

そっと、扉を開けると青年が立っていた。


接客中なの?


名刺を渡された時は気づかなかったけれど、彼の顔には見覚えがある。


そうだ。思い出した。以前、マーシャン家を訪れた調整師。


確か名前はヴァノン・メイディーだったかしら?

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