かつて繁栄を極め、その名を轟かせたシエリー家は絶頂期には貴族の身分ではないにも関わらず皇家に意見も述べられるほど権力を持っていたらしい。
だが、それは遠い昔だ。僕がアダム・シエリーとして生を受けた頃にはすっかり落ちぶれていた。
一族の象徴だったキュアノルホテルはイーディス家の物となり、シエリーはその奴隷として生きる。
それが残されたシエリーに課せられた運命だった。
特に両親はシエリーという名に固執していた。
二人ともシエリーの一族で、プライドが服を歩いているような人達だった。
だが、考え方は全く違っていた。
「いつかイーディス家に復讐してやる。なんとしてもキュアノルホテルを取り戻して見せる」
父はホテルに執着していた。
しかし、母は違った。
「どうして、私がこんな扱いをされなきゃならないの?シエリーと言っても私は分家なのよ。この家に縛られる必要はないはずよ。そうよ。昔、家を出たって言うシエリーもいるじゃない。確かカトリシア様と言ったかしら?私は彼女と同じ事をするわ。沈みかけた船に乗る必要はないもの」
そう、吐き捨てて母は出て行った。幼かった僕を残して…。
僕も連れ出してほしかった。イーディス家の奴らにこき使われるたびに父は僕に八つ当たりした。
正直、腹がたったよ。逃げられない自分に…。
栄光はとうに去り、親戚だって次々、シエリーの名を捨てたのに…。
それでも残ったのはトーマスがいたからだ。父に殴られるたびに味方してくれた。
彼は優しい人だった。いい人すぎるぐらいに…。
実の母親ですら逃げ出したのに、トーマスはシエリーに仕えてくれた。
「私の一族はずっとシエリーにお仕えしてきたのです。それは変わりません」
にこやかに笑うトーマスこそ、家族だった。
僕の唯一の味方。だが、同時にキュアノルホテルの栄華も口が酸っぱくなるほど言い続けていた。
そして、シエリー家とイーディス家は元々、同じ家から派生したのだとも聞かされた。
だから、シエリー家が衰退しつつある中で、イーディス家は手を差し伸べたのだと…。
本当に友を助けるつもりだったのかもしれない。
イーディス家の人間がかってにホテルを売却できないように契約も交わしていたから。
しかし、それは裏目に出た。イーディスとシエリーの関係は主従とはとても呼べない歪な物だ。
さらに言えば、シエリーと同様にイーディス家も衰退していた。
いつしか、キュアノルホテルは両者にとって、お荷物でしかなくなった。
それでも、父はホテルに固執した。未だ、飾られる先祖達が残した骨董品や肖像画を見て、その心を慰めていた。だが、ある時に線が切れてしまったのだ。
父はいつものようにイーディス家の当主。マードリックの父にこき使われ、雑用を押し付けられていた。その日はひどい嵐で眠れなかった。
だから、部屋を出たのだ。激しく打ち付ける雨音に交じって、言い争う声がした。
何事かと思って、走っていくとマードリックの父が血を流して倒れていた。
そのそばには父さんが立っていた。ただ、呆然と床を眺めていた。
「父さん?」
僕の声で父はゆっくりと顔をあげたのを覚えている。
「なんだ。起きてたのか?」
目の前でマードリックの父が倒れているのに何もなかったかのようにつぶやいた。
「これでキュアノルホテルはシエリーに戻る!戻るぞ!」
父の瞳はランランとしていた。
そんな父が恐ろしかった。
そして、大きな雷がその部屋に直撃したのだ。まるで父が起こした惨劇に罰をくだすように…。
すぐに部屋は火の海とかした。
父さんは倒れていたマードリックの父に覆いかぶさるように倒れていた。
「これでキュアノルホテルはお前のものだ。アダム…。お前がキュアノルホテルの主だ。それが正しい。そのために私は…」
うわごとのように口を動かす父は微笑んでいた。
「父さん!父さん!」
ずっと嫌いだった父であったが、叫んでいた。
「坊ちゃま!アダム様!」
駆けつけたトーマスに連れ出され、燃え上がる炎から遠ざかっていった。
同じ一族だったというシエリー家とイーディス家はついに殺し合いに発展したのかと冷静な感想がよぎった。
なぜ、このホテルに縛られる。ほとんど廃墟同然であるのに…。
二人の死は事故として処理された。
三流週刊誌は面白おかしく掻き立てたが、有名新聞社は記事すら書かなかった。
今やシエリーはその程度だと思い知らされる。
地方ではシエリーの名はまだ健在だと語った母の思惑は外れたのだろうとさえ、あざ笑った。
どこかで野垂れ死ねばいいとさえ思った。
これでキュアノルホテルからおさらばできるとホッともした。
しかし、なぜだか逃げられなかった。父の最後の言葉が原因だったのかもしれない。
息絶えるその瞬間まで、ホテルに固執していた。しかし、その瞳は今まで見た事もないほど穏やかで輝いていた。キュアノルホテルはお前の物だと告げた父の顔がこべりついていた。
その思いを無下にしてはいけないと頭の中で流れていた。
まるで呪いにでもかかったように僕は父のようにキュアノルホテルに縛られた。
15歳の夏だ。まもなくして放浪息子だったマードリック・イーディスが帰ってきたのは…。
奴の父によく似て横暴で人をゴミのように使う男だった。
このまま、戻らなくてもよかったのに、奴は主となった。
だが、それも仕方がない。
イーディス家のわずかに残った資産を受け取るにはキュアノルホテルを相続しなければならなかったから。マードリックはキュアノルホテルを売りたいと何度も愚痴をこぼしていた。
だが、そのわりには買い手を真剣に探してはいない様子だった。まるでキュアノルホテルから離れられないかのように…。僕と同じだ。マードリックも僕もシエリー家とイーディス家の最後の一人となっていた。きっと両者が死なない限り、終わらないとあきらめた。
せめて、トーマスだけは自由にしてやりたかったが、彼はそれを断った。
「私の一族はシエリー家にお仕えするのです」
以前に聞いた言葉を繰り返すだけだ。
何も変わらない日々が5年以上続いた。もう、気が狂いそうだった。
僕も父と同様にマードリックを殺してしまおうかと思うほど、思い詰めていた。
そんな時だ。シエリーの名を名乗る女が現れたのは…。
シア・シエリー。彼女は大金を所有していた。
そして、あっさりとイーディス家からキュアノルホテルを買い取り、シエリーの手に取り戻したのだ。
あれほど、苦しんだのに呪いのような呪縛はあっさりとほどけた。
しかも、彼女は僕に権利を譲るという…。
まるで夢を見ている気分だった。
さらに、
「もう一度、ホテルでもやってみれば」
と軽く言い渡されてしまった。
この僕がホテルを?ありえない。
奴隷のような扱いを受けてきた僕にできるのか?
不安だった。
「やるだけやればいいのよ。そもそも、失う物はないじゃない!」
彼女の言葉が胸に響く。
そうだ。僕には何もない。
ずっと地獄を味わってきたのだ。
今更、何を怖がる必要がある。
僕は解放されたのだ。
シア・シエリー。突然現れた彼女は正直、どこまで信用できるか疑問ではある。
本当にシエリー一族なのかもわからない。
だが、かつてのシエリー家の女性に似ているのも事実だ。
どちらにしろ、彼女はイーディス家からキュアノルホテルを取り戻してくれたのだ。
父が望んだ通り、この館は僕の手に戻った。
ならば、好きにしていいはずだ。
これはチャンスなのだ。人生で一度きりかもしれないチャンス。
運が巡ってきたとでも思えばいいのだ。
彼女が何者であろうと、僕には救いの天使に思えた。