「それに僕は何もできないし…」
随分とネガティブな人ね。
運を司る釜の量も少ない。
マードリックとか言うあの男に長い間、痛めつけられていたせいかしら?
「何をおっしゃいます。あの男から逃げる事も出来たのに、そうなさらなかったではありませんか?」
「それはトーマスが一緒に行かないというから…」
「当然です。ここはシエリーの一族の繁栄の象徴。貴方様の亡きお父上も取り戻す事を悲願とされていた。そんな場所を離れるわけにはいきませんから」
なんなの。このお涙頂戴劇は…。
古い物ばかりに縛られて自分達の幸せをおろそかにして、どうするのかしら?
同じシエリーの名を持っていたカトリシア様とは真逆だわ。
でも、そういう物に価値を見いだす人もいるのだろう。
私には理解できないけれど…それを否定するほど傲慢ではない。
「貴方が何を言おうが、やっぱり、このホテルの権利書はアダム様が持つべきです」
「だから、それは…」
「理由はどうであれ、貴方はここにとどまっていたのは愛着があるからでしょう?もう一度、ホテルでもやってみたらいかがです?」
「ホテルを?僕に経営は…」
自身がない人間には誰かが背中をおしてあげるのがきっと一番いいのだ。
「やるだけやればいいんですわ。そもそも、失う物はないでしょう!ずっと、虐げられてきたんですから。違います?」
そう言えば、迷いがあるようにアダムの視線が泳いだ。
「やりましょう。貴方はアダム…アダム・シエリーであられるのですから」
「トーマス…」
「シエリーの名が帝国中にとどろいていたあの頃の再現とまでは言いませんが…。これはチャンスです」
「チャンス…」
アダムの目が輝きだした気がした。
「再びホテル事業に乗り出すのはどうかと思うが…、マンションにするのはどうだろう?いや、ホテルとマンション、どちらも可能なシステムに…」
「どうやら、アダム様にも少しながらヴィジョンがあるようですね」
「アダムで良い。君もシエリーなんだろう?なら、親戚になるじゃないか!えっと…」
「そうね。じゃあ、私もシアで構わないわ」
「では、権利書はシアが持っていてくれ」
「あら、どうして?」
「あくまでオーナーは君だから。もし、成功して利益がでれば、君にもお金が入るだろう」
「私、お金は持っている方だから必要ないのだけれど…」
結構な額を賭けで仕入れたしね。
「それでは、僕の気が済まないんだ」
「まだ成功もしていないのに…」
「そうだね。すまない」
必要以上に肩をすくめるアダムに言葉の配慮が足りなかったかもしれないと思った。
「かしこまらないでよ。アダムを奴隷のように扱っていた人間はいなくなったんだもの」
「私達は対等よ。その申し出を受け入れるわ」
「ありがとう」
「それと、マンションにするって言うなら、部屋の一つを貸してちょうだい。私、しばらく皇都にいる予定だから…」
「構わない。いつまでもいてくれて。トーマス。お前はシアの身の回りの世話をしてくれ」
「かしこまりました。アダム様」
「気を回さないでください」
そもそもシエリーの名前は借り物。そんなに多用するのは…。
「お任せください。私はシエリー家に長らくお仕えしておりますトーマス・ダイでございます。シアお嬢様。アダム様と同様に貴女様にお仕えいたします」
圧がすごくて言い返せない。
「わっ分かりました。では、よろしくお願いいたします」
「私にもフランクにお話してくださって構いませんよ?」
「そっそう…。じゃあ、よろしく」
「では、部屋までお送りいたしますね。シア様」
少ない荷物をトーマスに預けて、アダムに視線を移す。
彼の手腕がどこまでかは分からないけれど、贈り物を一つあげるぐらいは許されるだろう。
殆ど、空っぽだった運釜を少しだけ操作すれば、青い砂が量を増す。
運をどう生かせるかは彼次第だけれどね。
「ところで、私の部屋は?どこまで上がるのかしら?」
さっきから螺旋階段を上へ上へと足を動かしている。
その壁にはズラリと歴代のシエリーとその家族の肖像画が飾られていた。
その一つに目がとまる。
「この方は…」
「お若い頃のカトリシア様とご友人方を描かれたものございます」
真ん中で笑うカトリシア様の両脇には同じ年ごろの少年達が描かれている。
「現レッドクラークのご当主様とユエリデス準男爵様ですね。皆さま、お若い」
「レッドクラークと言えば、貿易業で有名な方だったわよね。さすがはシエリー家。交友関係も広い…」
「シア様もシエリー家でしょう」
その発言に思わず肩をすくめてしまう。
私はシエリー家とは縁も所縁もないんだけどね。
「それにレッドクラーク家とシエリー家の縁は遠い過去に切れて仕舞われました」
「そう…。それも人生よね」
「にしても、シア様はカトリシア様によく似ておられる」
「そのようですね」
若い青年と一緒に微笑むふんわりとしたブルネットの可愛らしい少女の瞳がこちらを見ていた。
確かに雰囲気は私に…いえ、シェリエルだった頃に似ている気はする。
もしくは妹に…。
ダメダメ。干渉に浸っている暇はない。
「こちらのお部屋をお使いください」
最上階の奥の扉の先には部屋というにはあまりにも大きい空間が広がっていた。
キッチンも、シャワーもすべて完備されている。
豪華。その言葉につきる。
趣味が悪い事を除けば、快適に暮らせると思った。
「マードリックが使っていた部屋です。ここが今の所、一番いいお部屋なのです。すぐそばのエレベーターや階段を使えば、人と会わずに出入りできますし…」
なるほど。マードリックという男の趣味とは全く合わない事だけは分かった。
「いいの?私は寝る場所さえあれば、満足なんだけれど…」
「構いません。貴女はこの建物のオーナーなのですから」
「そうね。そう言う事にしておくわ。でも、模様替えは必要ね」
「シア様のお心のままに…」
「ありがとう。トーマス。下がっていいわ」
「はい。あのう…」
「何?」
「本当にありがとうございます。シア様はアダム様にとって救いの女神です」
「やめて。そんな大層なものではないから」
シアの言葉に反論せずに、にこやかに一礼して、トーマスは部屋を出て行った。
「ふう~」
一人になり、ドッと疲れが押し寄せてくる。
思わず、その場に座り込んだ。
けれど、立ち止まってはいられない。
皇都に来た理由は忘れてはいない。
すべてはアバロニアと接触を図るためだ。
ルシアの死の真相を知っているかもしれない男。
もしくは関与したかもしれない疑惑の人物。
「もし、その推測が正しかった場合、聖騎士と呼ぶのもおぞましいタナン達のように始末してやる!」
私は女神じゃない。ただの復讐の鬼よ。
アダムを助けたのだって、ただの気まぐれ。
いえ…。運が自分に味方するとどこかで分かっていたからよ。
そして、虐げられていたアダムが哀れだったから。
現状を打破したいのにできないもどかしさ。
私はそれをよく知っている。
だからこそ、罪を犯した人間にはそれ相応の報いを受けさせるのが正義でしょう?
特に、法なんてものが機能していないこの時代においてはね。