「なんだお前!急に現れて…」
「私はキュアノルホテルに泊まりに来たのだけれど、興味深いお話を聞いた物ですから…」
「泊まりに来たって?ここがホテルだったのは随分前の話だ。100年前からぶっ飛んできたのか?」
マードリックは下品な笑いを浮かべた。
「まあ、ちょうど退屈してたし、アンタが相手をしてくれるっつうなら歓迎するぜ」
そのゴツゴツとした指が胸のあたりに伸びてきたので、払いのける。
全く、気色の悪い男だこと。
「私は取引を提案しているのよ。大金が欲しいと言っている無礼な方にね」
嫌味を言えば、目の前の男は眉を顰める。
わかりやすく機嫌を損ねたらしい。
「何も持ってなさそうなお嬢さんに払えるのか?第一…」
「シエリー家にしか売れないって契約でしょう?それなら、解決できるわ。私はシエリー家の人間だから」
シアの発言に驚きの声をあげたのはアダムだった。
「君がシエリー一族?本当に?」
「ええ~。そうよ。アダム様だったかしら?つまり私とあなたは親戚という事になります」
呆気にとられるアダムにウインク一つすれば、なぜか顔を赤らめて俯かれる。
もう!失礼しちゃうわ。
皇都の人とはノリが合わないのかしら?
それともフランク過ぎた?
カトリシア様のご親戚に失礼がないようにしたかっただけなんだけど…。
普通に握手を求めるべきだったかも?
「ばっバカ言え。シエリー家はもう、アダムしか…」
疑うマードリックの前にベゴニアの花が象られた指輪を差し出す。
「確かにシエリー家の紋章。でもお前なんて知らない」
「はあ…イーディス家に売られて何年経つと思ってるの?全員、把握していなくても不思議ではないでしょう?」
本当は数時間前にシエリー家の名を貰ったんだけどね。
少し罪悪感が湧くけれど、仕方がない。
「私の身分はカトリシア・シエリー様が保証してくださるわ。まあ、国を出られたから聞くのは難しいですけれど…」
「カトリシア様ですか?あの方はご無事で?」
今度はトーマスが声をあげた。
「えっ…ええ、まあ…」
物凄い勢いで詰めかけられて思わずしどろもどろになる。
歓喜で涙を流すイケおじ…老齢の執事の姿に呆気にとられた。
「カトリシア?そんな方、うちにいたっけ」
「アダム様。カトリシア様はホテル帝国を築いた初代シエリーの末のお嬢様ですよ。かなりアグレッシブな方で若い頃に家を出られたはずです。では、貴女様はカトリシア様の娘様で?」
「いえ、さすがに年齢差がありますでしょう?」
「これは申し訳ありません。ではお孫様でいらっしゃいますか?」
「えっ…。ええ、まあ…。そんなところで…」
ウソをつく形になって、さらに後ろめたい…。
「おい。俺を無視するな。家族の再会はよそでやれよな」
「あら、これは失礼。早い話よ。私がこの建物を買い取るわ。それで、貴方は晴れて自由になれる」
そう言えば、マードックは高笑いした。
「まさか、シエリー家の持ち家がここだけだと思っているのか?他にも後五つはある。俺の一族はそれらの維持費のために財産のほとんど使っちまった。とばっちりもいいところだ。それらも全部買い取れるのか?どうせ、無理だろ?」
「全部でいくらなの?」
「はあ?」
顔色一つ変えずに聞けば、その場にいた男性陣は皆同じ顔をした。
口がぽかんと開いている。
イーディス家の人達も大変ね。役所に願い出れば、契約を解除する事も出来ただろうにしなかったなんて…。それほどにこの場所は特別だったのかしら?
それとも、両者の友情が強かったの?
どちらにしても、この世代ではすでに腐りかけている。
だから、彼らの関係性を斬ってあげる。
「あの、やめた方が…」
止めたのはアダムだった。
だが、今は無視する。
「だから、いくらなの?」
「最低でも一億ビドルもらわなきゃな」
「それでいいのね?」
「はあ?」
「そうね。カトリシア様はここが好きだったっておっしゃられていたし、一応、屋敷を守ってくれた事への感謝も込めて、5憶ピドルあげる。小切手でいいかしら?」
「おっおい…」
なぜか冷や汗をかいているトーマスに呆れてしまう。
「何?受け取らないの?せっかく、この私…シア・シエリーがこの屋敷から解放してあげるって言っているのに?」
「受け取る。受け取るさ」
差し出した小切手を引き上げようとするとマードックの手が邪魔をして、紙切れを懐へと仕舞い込もうとした。だが、次はその行動をシアの美しい手が止める。
「先に書類を出しなさい。シエリーに返すという誓約書をね」
舌打ちをしたマードリックはホコリまみれの棚から古びた紙の束を差し出す。
「ほら、望みのものだ」
シアは受け取り、ザッと目を通す。
おそらく、本物だろう。
頷き、小切手に添えていた手を離した。
嬉しそうに懐にしまい込むマードリックの目はぎらついている。
「一つ忠告しておくわ。その大金を持って、どこへでも好きな所へ行けばいい。でも、次に私やこの方達の前に現れたらひどい目に合わせてあげる」
「大げさだな」
「あら、お二人の扱いを見てれば、貴方がクズなのは分かりきっている。いいこと、お金があれば、どんな事でもする人間はいるし、人を動かせるの。私はその力を持っているって今、分かったでしょう?」
全部、ハッタリだけどね。
「じゃあ、出てって。今すぐ」
「へいへい。今更、こんな屋敷買い取ってどうしようって言うんだよ。まあ、俺には関係ないがね。さらばだ。アダム…それとじいさんもな…」
手を振れば、あと腐れなどないとばかりにマードリックは部屋を出て行った。
未だ、何が起きているのか理解できていない残された二人の男達に向き直る。
そして、書類一式をアダムの胸に押し当てた。
「はい。これ、貴方のね」
「えっ!ちょっ!どういうことで?」
アダムと呼ばれていた青年はオドオドしている。
「だって、シエリーなんでしょう?」
「確かに若様は初代の一番上のご子息の血縁でらっしゃいますが…」
一番上?
初代シエリーの子供って何人いたの?
まあ、今はそれは置いておこう。
「そう。なら、受け取る権利があるじゃない。売るなり、何なりすればいいのよ」
「それは出来ない。買ったのは君なんだから。それに僕は…」
「うん?」
一旦、俯き何かを思案するアダムは再び顔をあげ、こちらを見据える。
その瞳の色はカトリシア様によく似ていた。