「小侯爵様。またマーシャン子爵家のお墓にお参りに?」
ストレイト侯爵家に長く使える執事が屋敷に戻った俺を出迎えてくれる。
「ああ…」
「シェリエルがいるんじゃないかと思って…」
「ルシア様のお姉さまでらっしゃいますね」
「彼女の遺体はまだ見つかっていない。もしかしたらと思ったんだが…。やっぱり、あの時離れなければよかった。彼女がすぐ近くにいたのに、助けられなかった!くそっ!」
「何をおっしゃいます。小侯爵様はラルフ様を助けたではありませんか」
「しかし、彼は記憶を失っていると言う。あれで助けたと言えるのか?」
「ラルフ様はまだ幼い。大人になれば、立派な子爵となられるでしょう。皇家はこの事態を重く受け止めておられる。あの方を無下にはなさいますまい。歴史はどうであれ、皇家と繋がりのある血筋でもあるのですから。それに旦那様はマーシャン子爵家のために動かれました。まさか、皇家を守護する聖騎士があのような卑劣な真似をするなど想像もできませんでしたよ。全く恐ろしい時代になったものです」
執事は俺を慰めているのだろう。
それが心苦しい。
そもそも、マーシャン子爵家に火を放った奴らは縛られ、その悪行を晒された上で放置されていた。
あれを行った人がいたはずだ。
マーシャン子爵家のために動いた人間が…。
それがシェリエルであったならと思ったのだが…。
「ルシアの件だって…。なぜ祝いの席で飛び降りるような真似をしたのか。俺には何もかもが理解できない」
「お労しい。ですが、ご婚約前で幸いです」
「どういう意味だ?」
「小侯爵様がマーシャン子爵家のご息女であるルシア様を想っていたのは知っております。ですが、あのような事をした娘をストレイト侯爵家に入れずに済みました」
「ヒドイいいようだな。彼女は死んだんだぞ!」
「失礼しました」
「さがれ。顔も見たくない」
執事の言葉にいら立ちが募る。
あれで執事長なのか?
俺が当主となった暁にはあの男を家から追い出してやる。
ルシアを侮辱したのだから当然だ。
だが、俺に力がないのも分かっている。
一族の誰もが凡庸だと俺を語る。
長男であるために次期当主なのは絶対的だが、あれで大丈夫なのかとも揶揄されてきた。
父上の兄弟達が虎視眈々と次期ストレイト侯爵の座を狙っている。
この先、お家騒動が勃発する可能性はある。
その時、俺に味方してくれる人間がどれほどいるのか分からない。
だから、力をつけなければならない。この屋敷の人間はほとんどがお父様の言う事しか聞かない。
小侯爵と呼ばれていても内心、俺をバカにしている人間は多い。
味方をつけなくては…。
何の才能もないこの身でどこまでできるか不安ではあるが…。
ルシアの飛び降りだって、理由があるはずだ。
そうであるはずなのに、今の関心事はシェリエルだけだ。
『才能がないだなんて、みんな見る目がないですわね。私は貴方は素晴らしい人だと思いますわ』
彼女に言われた言葉が思い出される。
シェリエルとはルシアと過ごした時間よりも長い。
両親同士に親交があったのもあるのだろうが、幼いころから兄妹のようにかかわってきた。
彼女は穏やかでよくいる令嬢とは違い、素足で土の上を歩くような軽やかな少女だった。
俺もシェリエルといると穏やかでいられた。素の自分でいられたのだ。
この先もこんな関係が続けばいいと思った。
それはルシアと出会った時も同様だった。
シェリエルの妹は姉とは違い華やかで天真爛漫だった。
シェリエルが道端に咲くコスモスなら、ルシアはバラのように目を引く。
数多いる貴族の令嬢の中でも中心にいるような少女。
普通なら凡庸な俺になど声をかけてはくれないタイプだと思った。
俺に微笑みかけてくれるのは姉の友人だからだ。それでも浮き足立った。
彼女を連れて社交界に顔を出せば、皆が注目してくれたからだ。
だから、勘違いしたのだ。
その眼差しが自分に向けられていると…。
ルシアを自分を引き立たせてくれるアイテムか何かだと思い込んでいた。
そして、ルシアと過ごす時間が長くなるにつれ、シェリエルとの会話は少なくなった。
彼女が何を思って過ごしているかなど考えもせず、ルシアに酔いしれた。
そんな自分が今思えば、恐ろしい。
この浅ましい心をシェリエルに知られたくはなかった。
俺といると安らぐと褒めてくれた彼女にだけは…。
そんな風に考えていた事自体、彼女が炎の中に消えてから気づくとは…。
やはり、俺は凡庸で愚かな男だ。
ルシアが飛び降りたと聞いた時、真っ先に浮かんだのはシェリエルがどんな面持ちでいるかだった。
泣いているなら抱きしめたかった。絶望しているならそばにいて、慰めてやりたかった。
兄のような存在として…。
だから、飛んでいったのにすべてが遅かった。
マーシャン子爵の屋敷は悲劇に見舞われ、屋敷は崩れかかっていた。
瓦礫の下敷きになっている彼女を見た時、背筋が凍った。
助けたいと思ったのに、彼女が望んだのは弟を連れ出す事だけだった。
それだけを懇願したのだ。だから、それに従った。
彼女に従ったのだ。
けして見捨てたわけではない。
そう思いたいのに、最後に微笑んだシェリエルの顔が張り付いて離れない。
あんな場所で自分に笑いかけて欲しかったわけではない。
穏やかな場所で自分を見つめて欲しかった。
社交界にだって、ルシアではなくシェリエルがよかったのだ。
「俺の大切な人なんです」
その言葉を言える勇気があれば、彼女との人生は違った物になったかもしれない。
シェリエルがこの想いを受け止めてくれたかどうかは分からない。
それでも何かが変わったかもしれない。執事が言ったようにシェリエルも俺がルシアが好きだと思っていたのだろう。
だが、違う。
俺が好きだったのはシェリエルだ。
ルシアではない。
シェリエル!
シェリエル!
どうして、気づかなかったのだろう。
すぐそばに大切な物はあったのに…。
昔は俺の名前を呼んでくれたのに、いつからか小侯爵様と呼ぶようになったシェリエル。
それがなぜだか腹立たしかったし、モヤモヤした物を感じていた。
その理由をようやく理解した。だが、後悔してもすべてが遅い。
悲しみにくれるマーシャン子爵家の人々に追い打ちをかけた連中が処罰されようとも地獄に落ちようともこの行き場のない思いをおさめる場所がない。
シェリエルは死んだのだから。
「ああ…。なぜ、俺はこうなんだ!」
ストレイト小侯爵の叫びは誰にも届かなかった。