「隊長、今更ですがよかったんですか?」
「うん?」
「皇帝陛下はマーシャン子爵を連行するようにとだけ、おっしゃられました。命を奪えというのは命令違反になるのでは…」
共にマーシャン子爵邸を炎に焼いた隊員の一人が肩を震わせて怯えている。
なんと体たらくな。
皇宮を担う聖騎士ともあろう人間がこんな事で動揺していてどうする。
タナンは呆れたように若い隊員に目を移した。
「心配するな。陛下には私から伝えておく。マーシャン子爵一家は娘の不始末を命を持って償ったとな」
「隊長は恐ろしい方です」
「エデウィン…まだ年端も行かぬ少年が好みのお前ほどではない」
タナンがそう言えば、エデウィンと呼ばれた隊員は肯定も否定もせずに微笑んだ。
そうさ。少年のどこを見れば、欲が掻き立てられるのか理解しがたい。
だが、この男は騎士団の中でも指折りの実力者で使える騎士だというのも確かだ。
手放すには惜しい逸材。多少の趣味には目をつぶってやる。
変わりにタナンは年月の大半を費やした女と肌を合わせた感触に浸る。
脳裏に焼き付いているキーラの瞳は憎悪と悲しみに満ちていた。
本当は穏やかで優しみに満ちた姿を向けて欲しかった。
幼いころからずっと彼女だけを見てきた。
だと言うのに、彼女は落ち目の子爵に嫁いだんだ。
それでも名もなき男爵の娘であるキーラにはいい縁談だったのだろう。
どれほど、この身を憎んだ事か…。
俺が貴族だったなら、彼女と共になれたのにと毎夜思った。
彼女の事を忘れるように騎士団に入り、隊長の地位まで上り詰めたのだ。
それでも、キーラへの想いが消える事はない。
平民であるこの俺にも分け隔てなく人として見てくれた女。高貴で気高い令嬢。
皇帝はマーシャン子爵家に寛大だった。遠いとはいえ、あの一家に思うところでもあったのかもしれない。大抵の貴族はマーシャンの娘がおかした騒動を糾弾したが、一部の者達は他の者達は若い令嬢の死に心を痛めていた。だから、皇帝はマーシャンの当主を皇宮に呼び寄せて、声をかけるつもりだったのだろう。皇帝が建国祭を騒がせたマーシャンを許せば、騒動は収まると踏んで…。
なぜ、マーシャンの一族にそれほど目をかけるのか分からない。
かつて皇家と近しい家だったのは知っている。
しかし、反逆しようとした歴史もある。
そのすべてが許せなかった。
故にあの男に、キーラを娶った男にちょっとした復讐心が芽生えたのだ。
妻が他の男にすり寄る姿を焼きつけたかった。
この俺に命乞いをするキーラが見たかったのだ。
だが、彼女はすり寄るどころか、この俺に暴言を吐いた。
ずっと想い続けてきたのになんて仕打ちだ。
だから、奴の首を切り落としたし、彼女を助けるのも辞めた。
この俺を受け入れなかった罰だ。当然だろう?
『うっ!』
『キーラ…強情な女だ。泣いて喚けば助けてやるぞ』
『貴方の女になれと?冗談じゃない!』
その体を撫でまわし、あらでもない姿にされてもあの女はけして心を開かなかった。
その内なる中へ…一つになっても嫌悪の視線を向け続けられた。
殺す気はなかった。このまま連れ帰って愛し続けてもよかったのだ。
それを拒否したのはキーラの方だ。
一瞬の隙を狙っていた。
そうに決まっている。
この俺の腰に刺さった短剣を抜き取り、自身の命を絶ったのだ。
本当に悔やむよ。
彼女がか弱い女であったなら、一緒に生きられたのにな。
しかし、それも過去だ。
幸いにも人生で絶対にかなわないと思っていた彼女と肌を重ね合わせられたのだからな。
「ぐわぁ!」
隊員の一人の叫び声で現実に引き戻される。
雲一つなかった空に真っ黒な雲がかかり、雷鳴と肌に突き刺さる雨が降り注いでいた。
だが、驚きはそこではない。
落ちてくる雷がまるで意思を持ったように隊員たちに直撃し、丸焦げと呼ぶのにふさわしいほどのダメージを与えている事実だ。逃げ回る隊員達だが、次々と倒れていく。
「何が起きている!」
タナンは得体の知れない恐怖に慄いていた。
「いい知らせというべきなのかしら?皇帝の命令じゃなかったのね」
どこからか女の声が漏れてきた。艶がなくボサボサの灰色の髪を靡かせた女。
「罪人に裁きを!」
人間とも思えぬ怒りを秘めて、こちらを見据えいてる。
「化け物が!」
エデウィンが剣を抜き、女に切りかかろうとした。
だが、まるで女の意思がそうさせるように、どこからか大量の土砂や石がエデウィンを直撃する。
「子供に手を出すクズよね?貴方の顔を覚えているわ!」
「お前は…」
倒れたエデウィンは息も絶え絶えに女を見上げた。まるで死人でも見るように…。
女は近くにあった石を掴み、エデウィンの股間目掛けて振り下ろした。
何度も何度も…。
「あああああっ!」
絶命するエデウィンは動かなくなった。
凄腕のエデウィンが無力な男のように突如現れた女におもちゃにされている。
タナンは目の前で起きている光景が真実だとは思えなかった。
「さあ、貴方の事はどうやって調理しようかしら?」
ニヤリと笑う女はどこかキーラに似ていた。
「頼む。助けてくれ!」
「皇宮を担う隊長ともあろうお方がなんて無様な…」
タナンはプライドも何もかも捨てて女にすがった。
土下座もいとわない。
「お母様も…お父様も…その命を虫けらのように扱ったお前に慈悲をかけろと?笑わせないで!」
目の前のこの女はキーラの娘か?
あの火事で全員死んだと思っていたが…。
「私は地獄の底から舞い戻った死人よ。でもそうね。惨めに泣きわめく貴方に興味もない。命は奪わないで上げる。私はね」
ニヤリと微笑む女の不気味な瞳を視界に捉えたのを最後にタナンは意識を失った。
「まあ…見て。皇宮の警備を担う聖騎士様らしいわよ。冗談でしょ?」
人のざわめきで意識を取り戻した。
しかし、体が動かない。
股間に痛みを感じる。
そこは血まみれであった。
何が起きている?
人の蔑むような視線が突き刺さる。
自身の胸に板が縫い付けられているのに気づいた。
そこには『私は皇帝の命令に背き、マーシャン子爵邸を焼き払った反逆者です』と書かれている。
「タナン・ドレスラー卿。この騒ぎは一体なんだ?」
現れたのはこの辺りに領地を持つストレイト侯爵だ。
どこかの社交界で見た記憶がある。
「マーシャン子爵家は我が一族とも交流があった。その書かれた言葉が事実なら、タダではおかない」
「ちがっ…」
「引っ立てろ!」
ストレイト侯爵の命令で複数の兵士に乱暴に腕を引っ張られる。
「頼む。俺の話を聞いてくれ!」
なぜだ?なぜこうなった?
俺はキーラが…。
彼女が欲しかっただけだ!
タナン・ドレスラー。
帝国至上もっとも若くして皇宮騎士団隊長の座についた男はこのすぐ後にひっそりと処刑されたのはあまり知られていない。
なお、彼が率いた隊員はなぜか皆、不審死している。
その原因はマーシャン子爵家の呪いだと噂する者もいるが、理由は不明である。