うちの家族は普通だと思う。昔は政治の中心で皇家と国のために活躍していた一族らしいが、僕が生まれた頃にはその面影はなくてただの田舎の貴族だった。父さまは、基本的にのほほんとした方で、母さまはいつもどこか不機嫌ではあるが、僕には優しい人だ。二番目のルシア姉さまは贅沢三昧してるみたいで、次から次へと贈り物が届く。その贈り主がみんな男の人だって知ったのは最近。弟の僕にはピンとこないが、ルシア姉さまは美人で男の人を魅了するらしい。それでも、実家は使用人すらまともに雇えないほど、没落していた。なんとか体裁を保っているのは一番上の姉さまが飢え死にしないように奔走しているからだ。僕には幼いからという理由で誰も教えてはくれないけれど、いつもくたびれた様子のエル姉さまの努力ぐらい分かる。ただ、貴族令嬢らしからぬ態度の姉さまに母さまは怒ってばかりなのが悲しい。僕は二人の姉さまが好きだ。でも、エル姉さまの苦労を思えば、何もできない自分が嫌だとも思う。だから、いつか僕がマーシャン家を告げる日が来たら、昔のような栄光を取り戻して、姉さまに楽をさせると決意した。もちろん、もう一人の姉さまや母さま、父さまもそこに含まれる。
だって、皆、僕の大切な家族だから。
でも、そんな覚悟だって所詮、子供の戯言だと思い知らされた。
建国祭は楽しい場所じゃないの?
どうして、ルシア姉さまが命を落として帰ってくるんだ!
エル姉さまはショックで部屋から出てこない。
そして僕は震える母さまの腕の中で事の成り行きを見守っていた。
「お前の娘は事もあろうに建国祭…それも皇家主催のパーティーで騒動を起こした。ただで済むと思っていたのか?」
「どのような罰も受けます。ですから、家族には…」
父さまは目の前の長身の男に頭を下げていた。
いつも笑っている父さまと同一人物とは思えないほど、汗をかき涙をこらえている。
ここにエル姉さまがいないのが唯一の救いだ。
ただでさえ、ルシア姉さまが亡くなって動揺しているのにこんな場面を見せたくない。
ずっと頑張ってきたエル姉さまにだけは…。
突然、屋敷に踏み入って来た招かれざる客達。
それでも父さま達は数人の男達を丁重にお出迎えした。
皆、お揃いのベストを着て、腕には剣を握った龍の紋章がつけられている。
その意味は僕だって知っている。
皇家直轄の騎士団所属の証だ。
聖騎士とも呼ばれるエリート達。
基本的に皇帝の言う事しか聞かないと以前、誰かが教えてくれた。
だから、分かる。ここで返答を間違えれば、取返しのつかない事態に陥ると…。
それでも怖い。僕は騎士でもなければ、一人前の男ですらないのだ。
だって今、目の前で父さまの首が斬り落とされても恐怖で動けないのだから。
「隊長ともあろうお方が何の調べもなく、その剣を抜くなんて…。恥を知りなさい!」
母さまは気丈だった。目の前で起きた惨劇から僕を守るようにその目に手が添えられる。
けれど、その指先は冷たく、声は震えていた。
「それこそマーシャン子爵夫人とも思えない言葉だな。我々が動くのは常に皇帝に命令された時だけ。あの方はお前達の命がお望みなのだ。その手段は問わないとも…」
一番身なりのいい男の手が母さまの頬を撫でる。
「汚らわしい!」
「お前に拒否する権限はない。俺だって、見知った顔のお前を殺したくはない。だが、これが任務。すべてはお前が悪いのだ。あの時、共に歩む事を拒みさえしなければ…。寄りにもよって、こんな凡庸な男に…」
男は動かなくなった父さまの体を蹴り飛ばした。
「やめてタナン!いくら幼馴染とはいえ、こんな暴挙!ぐっ!」
「キーラ…お前に発言権はない。命を奪う前にその身を頂くとしよう」
僕の体は恐怖で震えていた。
母さまのピンチなのに動けない。
でも、動かなければ!
そうさ。頼む動け!動け!
「やめろ!母さまに触れるな!」
絞り出すように声を発した。
しかし、母様の服を破る男の冷たい眼差しに背筋が凍る。
「あの男に似て、目障りな…」
再び、男の手は剣へと握られる。
「隊長。貴方だけ楽しむなんて不公平ですよ。彼は我々が…」
複数の下品な笑い声が大広間に響く。
隊長と呼ばれる男の後ろに控える5人の屈強な男達。
その手には松明が握られている。
「全く、お前達の趣味だけは理解できないよ」
僕に何をしようとしているのか分からなかった。
しかし、隊長の意識が奴らに向いた一瞬を狙って母さまは動いた。
自身の服を破り捨てた男を突き飛ばし、松明を持つ男へと飛び掛かったのだ。
一人の男の手から松明が転げ落ち、部屋中に火が燃え盛る。
「ラルフ!逃げるのよ。早く!」
母さまの叫びと同時に足が扉へと向かう。
しかし、母さまの体は再び、隊長に押さえつけられていた。
その光景に一瞬、足が止まった。
「全く、お前って女は…。計画を崩してくれたな」
「なら、一緒に堕ちる?」
「いい顔だ」
隊長と呼ばれた男は母さまの上にのしかかっていた。
戻りたかった。けれど、母さまの力強い視線がそれを拒んだ。
その顔だけが頭を駆けめぐる。
まるで自動人形のように廊下に走り出た。
しかし、安心もできない。
複数の足音が追いかけてくるのが分かるからだ。
得体のしれない恐怖感が体中を浸食していく。
どうして、こんな事になったのか?
僕が悪いの?
弱い僕が悪いの!
何度も問いかけても誰も答えてはくれない。
ああ、姉さまの顔がみたい。
姉さま。エル姉さま!
姉さまの所に…。
いや、ダメだ。
姉さまだけは守らなくては…。
どうか。姉さまだけは見つかりませんように…。
ああ、どうして僕はこんなにも無力なんだ。
涙が自然と頬を伝っていく。
それを止める手段を僕は持たない。