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第3話 運を操る力

「ああ…」


絵画を前に何の感情も表現しないストーク氏の声が漏れてきた。


「ご家族ですか?」

「そうだ」

「では、手放すのはお辛いでしょう」

「そんな単純なものではないのだよ。何より仕方ないことだ。アレは不運鬼に取り付かれている…」

「不運鬼ですか?それよりも、むしろ…」


絵画からは不運の色が視える。それでもまだ鬼になる前の不運砂の状態だ。

この状態なら聖装飾物とはまだ言い難い。とはいえ、不運鬼かする恐れもあるかもしれないけれど…。

でも、なんだろう。

この違和感…。


「なんだね?」

「いえ…。本当によろしいんですね」

「ああ、構わん。持っていても意味はないんだよ。もう…」

「ご家族は承知で?不運物たる聖装飾物を手放すのは理解できますが、コレクションとなる幸運物は譲渡してもいいはず…」

「あの子達は受け取れんよ。もう、遠い昔に旅立ってしまったから」

「申し訳ありません。不快な思いを…」

「いいさ。それもすべて過去の事だ。もうすぐあの子達に会えると思えば気も楽になる。若い貴女にはこの気持ちは分かるまい」

「いいえ。理解できますわ」


少しばかり、静まり返る部屋の中で、ストーク氏は何かを悟ったように俯いた。


「そうか。お前さんも悲しい別れを経験しているんだね」

「それこそ、もう過ぎた事です。何より、私はまだ大切な人達に会いに行く覚悟はできてはいません」

「それでいいのではないか?」

「ありがとうございます」


シアは小さく頭を下げて、絵画に歩み寄った。

そうして、穏やかな空気感が漂う絵具にそっと手を添える。


聖装飾物とされる運が込められた品物は作り手や持ち主の感情によって運の性質が決まる。

だが、この絵は特殊だ。

確かに絵の雰囲気とは異なり不運の色が濃い。しかし、それは表側だ。

シアは意識を整えるように優しく息を吐き、指先に力を込めた。


私の力は運に干渉する力だ。それは運の集合体である運鬼にも効果はある。

だから、この違和感の正体を暴くのも可能なはず。


シアが再び、絵画へと意識を向けると不運の気配は消えていた。

変わりに表に出てきたように一匹の幸運鬼が笑っていた。


やっぱり…。


不運の下に幸運鬼が隠れていたのだ。この絵に書かれた彼らのように優しくストーク氏を守っていた。例え、ストーク氏自身がそれを望まず、この絵画を不運に染めてしまったとしても…。出なければ、ストーク氏の命はとうについえていたはず。

この絵を持ち出せば、この方の命は一か月も持たないかもしれない。

だが、彼にとってはどちらにしても不運物なのだろう。

悲しい事だけれど…。


「この絵画がどなたがお描きに?」

「下の息子だ。もうずいぶん前だがね」


聖装飾物とは古代に生きた装飾師たちが創造した芸術品だという認識がある一般的だ。

現代にも装飾師のように物に運を込める力を持つ人達はいる。

その事実を知っている人間もまた少ない。力を持つ本人ですら気づいていない。


「お上手ですね。お会いしたかったですわ。これほど見事な筆遣いをなされる方なら…」

「そうだろうね。生きていれば時代に名を残す画家になっていただろう」


優しく微笑むストーク氏に胸が苦しくなる。

けれど、それ以上の感想は見つからない。


「ではお預かりいたします。ストーク氏の大切な聖装飾物ですから」

「ありがとう。これでゆっくり眠れそうだ。私を気にせず他の聖装飾物も持ち出してくれ」

「分かりました」

「一ついいかね?」

「なんでしょう?」

「大切な人達に会う覚悟はないと言ったね」

「ええ~」

「その覚悟とは具体的には何を指すのかね」


シアは正直迷った。どう答えていいものか思案を巡らせる。


「悪かった。余計な事を聞いてしまったね」


ホッとした。


すでに時を終えようとしているストーク氏に話す内容ではない。


「おやすみなさい」


シアは小さく会釈して、彼の眠りを待ちつつ、仕事にとりかかろうとした。

その時、背中越しに風が通り抜けていく。

扉が開かれたと気づき、振り返ると不運鬼が飛び込んできた。

だが、その小さな体がシアの顔面を直撃する前に粉々に吹き飛ぶ。

すぐ後ろには赤い目を覗かせるヴァノンが立っていた。


「ちょっと、ストーク氏は眠られているのよ。静かに処理してよ」

「悪いな。すばしっこいから。何より俺の力はお前みたいに融通効かないんだよ」

「言い訳しないでよ。一応、私の師匠でしょう?弱気発言やめて」

「師匠だからって弟子よりなんでも優位だと思うな」


肩をすくめるヴァノンの瞳は再びいつものように細くなり、光が消える。


「倉庫のコレクションは大体、回収できた」

「この部屋の聖装飾物達も持って行って欲しいそうよ」

「じゃあ、手早く済ませよう」

「あっ!この絵画は私が個人的に預かるわ」

「ふ~ん」

「ストーク氏と話が弾んだのか?」

「どうかしらね。ただ家族の話をしただけよ」


シアは忍び足で部屋内を行きかう。


『エル!』


頭の中でかつての自分を呼ぶ大切な人達の声をかき消すように。

もう、会う事は叶わない私の家族。

覚悟というのは大げさね。この命は一度失われている。

それでも舞い戻ってきたのはすべてを奪い取った者へ復讐するため。

だから、名前も地位も何もかもを葬り去ったのだ。


運?


以前の私にはそんな物、不要でしかなかった。誰も私達を助けてはくれなかった。

だが、すべてを恨んだ末に調整師なんて言う真逆の肩書を手に入れるなんて…。

とんだ皮肉ね。


けれど、この力を手にしたから今ここにいる。

私は立っていられる。


『エル!』


再び呪いのように全身を駆け巡っていくその音に浸る。

この髪がまだ美しい金の輝きを放っていた頃。大きな屋敷の中で大好きだけれど、肉らたしくもあった歳の近い妹と幼さの残る弟。そして、歴史だけは長い家門存続という重圧のすべてを引き受けている父とそれを支える母。多少の問題はあったけれど、私の周りには穏やかな日常が流れていた。それが一瞬のうちに崩壊するなんて。あの時は微塵も思ってはいなかったのだ。


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