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第2話 聖装飾物と運鬼

「仲がいいんだね」


老紳士が上等な杖を片手に優しく微笑んでいた。

以前、見かけたよりも痩せており、顔色も悪い。

そろそろ、時が近づいているのかもしれない。


「悪いね。屋敷まで来てもらって…」

「構いません。長くご贔屓にしていただいているストーク様のためです」

「そう言ってもらえると助かるよ。おや、そちらのレディは?」

「シア・シエリーと申します。ヴァノン様の弟子でございます」


シアはとても美しい所作でお辞儀をした。


「これはサプライズだね。ヴァノン君が弟子をとるとは」

「成り行きでそうなったまでです。それよりお体は?よろしければ、施術を…」

「今日はそっちはいい。君を呼んだのはコレクションを引き受けて欲しいからだ」

「私にすべて?」

「当然だよ。専門家の君なら適切に処理してくれるだろう?」


せき込み、ふらつくストーク氏をシアはとっさに支える。


「大丈夫ですか?」

「すまないね。使用人は皆、暇を出してしまって。良ければ、部屋までこのまま運んでくれないか?」

「もちろん構いません」

「ヴァノン君にはこれを…。宝物庫は屋敷の奥だ。君ならすぐ見付けられるだろう」


ヴァノンはストーク氏から鍵を受け取り、奥へと足を進めていく。


なんて、冷たい空気が流れている屋敷なんだろう。

“彼ら”の姿を見なくても漂う運の停滞感を肌で感じる。


「ここでよろしいですか?」


ストーク氏を椅子に座らせる。


「ああ、ありがとう。レディ」


穏やかで上品な物腰にシアの心が少しだけときめいた。とはいえ、年配の方が恋愛対象になった事はない。ゆえに、この方の若い頃に合っていたら確実に心を奪われていたと想像できる。そんな、印象をストーク氏には感じた。


別に惚れっぽい方ではなかったと思うんだけど。

でも、なぜだかホッとさせられる。

ずっと、気を張っていたからかしら。


上等な品物に取り囲まれた部屋…おそらく寝室には良い運が流れている。この空間だけでもかなりの数の聖装飾物が並んでいる。ここにあるだけで数十点に上ると思われる。

だとすると宝物庫となっている部屋にはどれだけの数のコレクションが収められているのかしら。


シアの視界には部屋中を行きかう光がかすめていく。

それは手のひらサイズの小動物。それらはせわしなく空や壁を走り回っていた。

優しい光をまとう目を持つネズミのような、猫のような青い生き物。


「レディにも視えるんだね。彼らが…ああ、すまない。貴女も調整師だったね」

「まだ見習いですから、お気になさらずに…。それにしても、とても元気な幸運鬼たちですね。ストーク様のコレクションにくっついている子達ですか?」

「そうだよ。彼らとは長い付き合いだ。しかし、終わりが近づいている。それも分かるだろう?」

「ええ…」


ストーク氏の体にまとわりつく黒い靄。重苦しい匂いを漂わせたそれも小動物だ。だが、その瞳はどんよりとしたグレーの輪郭の中に赤色が混じっている。逆立つ毛。鋭く尖った爪を立てていた。

それが幸せをもたらす幸運鬼と対となる不運鬼だと一目で確認できる。


「心配せんでいい。わしにも視えている。お迎えにはいい時期だろう」


笑うストーク氏の頭上にシアは視線をずらせる。そこにはヒビが入った透明の小さな運釜うんがまが宙に浮かんでいる。人が生まれた時から持っている運をおさめる器だ。通常の人には視えないがシアの目にはハッキリと映っている。


ストーク氏の運釜はすでに空だ。増える事はないだろう。


「お師匠様の所に通われていたのはその死期を遅らせるためではなかったのですか?」

「言うね」

「申し訳ありません。口が過ぎました」

「構わんよ。沢山の聖装飾物を集めてきたんだ。それこそ、幸運物も不運物も手当たり次第に…。だから、運にはよくも悪くも好かれてね。その調整のためにメイディー家の一族に世話になっていた習慣がヴァノン君の時代になっても続いていただけの事。わしは視えても対処する術を持たないから。だが、さすがにもう、いいだろう。彼には君がいると知れた。嬉しい限りだよ。昨今は運という物を理解している人間も減ってきている。彼が相談出来る人間は必要だろう。どうやら、レディには心を許している。それを知れただけでも、生きていた甲斐はあったよ」


「大げさですわ。お師匠の周りには聖装飾物について詳しい人は結構おりますよ」

「だが、そばに置いている者はほぼいない。レディが思っている以上にね」

「それなら少しは嬉しいです。お師匠様がどう思っているかは分かりませんが、私はある意味ではあの方に助けられた身ですから。命を長らえたのはヴァノンお師匠のおかげと言ってもいい。まあ、運どころか通常では視えない存在を否定してきた人間が調整師という不可思議と現実の狭間の仕事をすることになっているのは自分でも驚いていますが…」

「おや、君は聖装飾物否定派だったのか?」

「ええ。他国の勢力の影がちらつき、なおかつ、科学の発展も目まぐるしい時代に生まれたというのもあるのでしょうね。どうも、信仰と結びついている聖なる装飾物信仰が苦手で…。父は結構信じていたんですけれど」


肩をすくめ、苦笑いともとれる微笑みを思わず作ってしまった。


帝国が誕生する数千年は古い時代に活躍したとされる装飾師と呼ばれる人々。彼らは今では魔法とも称される不思議な力を物に込める能力があったと思われている。彼らが作ったアクセサリー、花瓶、カップ。芸術品という名のあらゆる品物には不思議な力が宿り、時に奇跡を…。またある時は最悪をもたらしたとも言われる。その話が本当かどうかは定かではないが、今でも装飾師たちが活躍した時代に作られた品物は聖装飾物と崇められ、金のある者は集めたり、巷では本物かどうかも怪しい品物が次々と売り買いされている。彼らがいた証拠もほとんど残されていないというのに…。


「しかし、今は信じているんのだろう?」

「仕方がありません。視えるようになってしまっては…。もちろん、聖装飾物とされている品物すべてに彼らがついているわけではないとも知りました。聖装飾物は持ち主やその周囲の運に干渉する力。そして、その運を誘発するのは幸運鬼や不運鬼であると今では認識しています」


鬼たちは聖装飾物だけではなく、人も好物なようだけど…。


「だからこそ、残念ですわ。貴方様のように視える人間の手を離れてしまうのは…。おっしゃられるように運にまつわる真実を知っている人間もこの時代ではわずかです。いずれ、視えない者ばかりになってしまうのでしょうね」

「仕方ない事だよ。だが、こうしてレディと話せてよかった。この部屋にある聖装飾物もすべて持って行って欲しい。区別がつくだろう?」

「それは構いませんが、あれもですか?」


シアは視線を壁へ向けられていた。そこには一枚の大きな絵画が飾られていた。30代前後のストーク氏と思われる男性を中央に微笑む女性と3人の若い女性。一人の小さな男の子がこちらに微笑みかけている。まるで今にも動き出しそうなリアルな感覚に陥った。

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