恵美が嫁いだ当初、集落の人間はみなが笑顔で彼女を歓迎してくれた。それはそうだろう、管森は既に村としても成立していない、市の一部分で高齢化の進んだ僻地。若者がほとんどいないこの場所に嫁いでくれる女性は稀だ。
ここを去って行く息子娘を見送った者たちは、自分のこどもに向けるような眼差しを恵美に注いでくれた。
誠司は市の中心部に支社がある会社に就職しており、朝は義父と一緒に車で出勤していく。
義母はやはり控え目な性格で、進んで恵美と関わろうとはしなかった。
体が弱く、部屋に籠もりがちな義母は初対面で悪い印象ではなかったので「郷土料理などを教えて欲しい」と言って恵美は交流をはかったが、口数少なく「作れるものを作ってくれればいい」と言うだけで、恵美に干渉してこない。
――世の中には、おかずひとつでも味付けが違うとかできつく当たる姑もいると聞く。それに比べれば、好意的とは言えないけれども恵美に対して嫌がらせをしてくるわけでもない義母はまだいい方なのだろう。そう思うことで、恵美は自分を納得させた。
誠司はひとつ歳上だったので、結婚直前の1年間は遠距離恋愛だった。結婚当初はまるでそれを埋め合わせるように毎夜体を求められ、少々気恥ずかしさを覚えつつもそれだけ愛されているのだと思えた。
けれど、それが愛情から来るものではないことに恵美が気づくまで、残酷なことにそれほどの時間は掛からなかった。
生理が来た、と言う度にあからさまに舌打ちをする夫、笑顔で「早く孫の顔が見たい」と毎日息子と嫁に性行為を強要してくる義父。
毎晩の行為は若いといえども体力的にきつく、半泣きになりながら拒んだこともある。
ごめんな、と誠司が優しく抱きしめてくれることを期待していた。けれど、体が横倒しになるほどの平手打ちと共に吐き捨てられた言葉は決して忘れることができない。
「俺だって好きでやってるんじゃないんだよ! 男の大変さを考えたことあるのか? おまえは口答えしなさそうだから選んだだけの女なんだ、不自由ない生活送らせて専業主婦させてやってんだから夜くらい奉仕しろ! ほら、たまには自分で動いてみろよ!」
恵美の体を掴み上げて自分の上に無理矢理載せ、誠司は女性が積極的に動かなければならない体位を強要してきた。
元々誠司以外に男を知らない恵美にとっては、それは僅かな屈辱をはらみつつも恐怖でしかなかった。泣きながら許しを請い、もう文句は言わないと畳に額を赤くなるまでこすりつけて、ようやくその夜だけは誠司の怒りを解くことができた。
けれど、逃れられたのはその日だけ。最初は愛があると思った行為は、翌日からは恵美の同意すらない、強姦としかいえないものになった。
基礎体温を計って排卵日をなんとか調べてはいたが、元々月経周期が不順気味だったこともあり、はっきりと「今日が」と言える日がない。自信を持って言えば、妊娠しなかったときに余計誠司の当たりはきつくなるだろう。
何故、何故、何故――。何故自分がこんな目に遭うのだろうか。
純朴そうだからという理由だけで誠司を信じたのがそもそもの間違いではあるだろう。彼はずっと、人柄さえも装って恵美を「扱いやすそうな女」だということで狙っていたのだから。
けれど、愛情もないのにそこまで行為を要求され、子を望まれる意味がわからない。
「恵美さん、体は大事になあ。男衆は労ってなどくれねえからな」
まだ名前も覚えていない老女に、道ですれ違っただけで労られた。ただそれだけのことで、心のどこかで張り詰めていたものがぷつりと音を立てて切れた。
それまで誰にも言えず抱え込んでいた苦しみを、まるで見透かしたような慈しみの眼差しを向けられたからだ。
道端でいきなり泣き出した恵美を彼女は自分の家まで連れて行き、母のように気遣ってくれた。腰をさすり、肩を抱いて落ち着かせ、「この村の女は、みんな同じ苦しみを味わってるんだ」と秘密を共有してくれた。
そして恵美が知ったのは、辰年に村で生まれた娘だけが「友姫」として祭の中心を担う役に就けるという事実と、卯年の今年はこどもが産める女性はみな同じような目に遭っているという衝撃的な事実。 ――それもこれも、ここ数十年辰年に女の子が生まれなかったからということだった。
穢れを移した札を川に流すと共に、悪疫から村を護る龍神に友姫が輿入れする祭。それが行われないということは、龍神の加護を受けられないことを意味する。
現代ならともかく、昔は僻地である管森では確かに「悪疫から護る」という龍神の加護はなくてはならない大切なものだっただろう。
けれど今は? そんなに実益があるとは思えない祭は本当に必要だろうか?
辰年に友姫となれる女の子を産むためだけに、恵美は誠司に騙されてこの村に嫁いできたのだ。
仕事で疲れているといいながらでも栄養ドリンクを飲み、排卵日らしき日には文字通り恵美を抱き潰す夫はある意味滑稽で哀れだ。彼も「村長の息子」という村での特権階級に生まれたが故に、負う義務が人一倍大きいのだろう。
自分だけではなかった。何十年も、「龍神の花嫁を得るために」女たちは犠牲になってきたのだ。
今、村では来年2月に出産予定の妊婦がひとりいる。彼女はろくに家から出してももらえず、安全のためにと軟禁状態らしい。
妊娠すれば、数ヶ月は安全が得られる。腹に女の子かもしれないこどもを宿した恵美には誠司は暴力を決して振るわないだろうし、口うるさい義父の言葉も封じることができる。
けれど、妊娠できなければ地獄だろう。辰年の間にこどもが生まれればいいのだから、来年の2月までは性暴力を受け続ける日々が続くことになる。
その事実に目の前が真っ暗になった。実家に逃げることも考えたが、誠司がそれを見逃すとは思えない。
両親は人がいい分、誠司のように騙す前提で近付いてくる人間とは相性が悪いのだ。なにかしらの理由を付けて恵美は連れ戻され、「思い通りになる女だと思ったのに逆らった」ことを責められ、酷い暴力を振るわれるのが目に見えている。