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第23話

「陽菜……祭はやらなきゃいけねえ。そのためには友姫が、陽菜が必要だ」


 まち子は自分よりも背の高い陽菜の肩を掴み、鬼気迫る顔で言い聞かせてきた。

 もういいから、こんな恐ろしい目に遭うなら東京に帰っていい――そう言ってもらえると思っていた陽菜はあまりの驚きに言葉を失った。

 肩に食い込む祖母の指が痛い。陽菜を逃がすまいとするかのようなその手に思わず悲鳴を漏らすと、まち子はハッとしたように陽菜を解放した。


「なんで!? おばあちゃんだって、山の怪もあのどこから来たかわからない泥も見たでしょ!? 私、怖いよ! ねえ、おばあちゃんも何か隠してるの? そうでないなら一緒にこの村出て東京で暮らそう? おばあちゃんがひとりで暮らし続けるの、本当はお母さんも心配してるんだよ!」


 家族の情に訴えても、まち子の表情は和らがなかった。硬い表情で首を横に振るまち子は、何か内に揺るがせないものを抱えているようだ。


「ばあちゃんには、この祭が本当はなんなのかよくわかんねえ。前に祭があったときにはまだ小さかったからな。……だけど、この村が祭のおかげで保たれてきたことはわかる。祭のせいでいろんなものが犠牲になってきたのもわかる。だから、陽菜が必要なんだ。身勝手と思われても構わねえ」


 ふらり、と陽菜はまち子から離れると布団の上にへなへなと崩れ落ちた。

 祖母ならわかってくれると思っていた。陽菜の恐怖を一緒に味わったのだから。なのに、祖母は祭のために陽菜が必要だという。


 そこには優しさも何もなく、突き放された絶望だけが陽菜を包み込む。呆然と布団の上に座り込んでいると、祖母が玄関へと向かって行った。

 電話を架けているらしく、何事か話している声が断片的に聞こえてくる。それはすぐに終わり、まち子は再び陽菜の元に戻ってきた。


「恵美さんを呼んだから、話を聞いてやれ。……ばあちゃんは、仏間にいるから」


 なぜ恵美の話を聞かなければいけないのか、更に陽菜は混乱した。けれど思ったよりも早く自転車のブレーキが軋む音がして、ドアが開く音と共に恵美の声で「お邪魔します」と聞こえてくる。


「陽菜さん!」


 悲鳴にも近い声を上げ、慌ただしく恵美は陽菜のいる部屋に駆け込んできた。パジャマ姿で布団の上に座り込む陽菜を見つけると、恵美は膝をついて陽菜をぎゅっと抱きしめてくる。


「怖い思いをしたのね……この村のせいで――祭なんかのせいで」


 恵美は陽菜の背をさすりながら、自分が涙声になっていた。祭なんかに、という恵美の言葉に陽菜は引っかかりを覚えた。恵美は今まで陽菜の務めに協力的だと思っていたからだ。


「東京に帰りたいと思ったわよね。でも、お願い、私の話を聞いてくれる? 瑞樹にも話してない事よ。この村の、おぞましさ……若い陽菜さんに話すのは良くないことだとは思うけど。友姫であるあなたには聞いて欲しい。そして、選んで」


 ああ、まただ――陽菜は体を強ばらせながらも頷くしかなかった。

 優しく穏やかに見える恵美の、時折見せるどろりと粘り着くような陰鬱な部分。それが涙と声に交じって陽菜を縛り付ける。


 本当は、聞きたくなんかない。さっきの怪異は実質的には陽菜に害を及ぼすに至らなかった。けれど、恵美の話を聞いてしまったら何かが壊れる気がした。

 それでも、恵美はたおやかな腕で、優しげな声で、同情を振りかざし陽菜を絡め取る。


「祭の由来は私も知らない。いつから行われていたかも知らない。だけど、この集落にとっては最も大事なことと言っても差し支えないでしょうね。……そのためなら、女なんてどれだけ踏みつけにしてもいいただの道具なの。それを知ったのは、結婚してこの村に来てからだった……」


 恵美は涙を流し、時折声を詰まらせながら、自分の身に起きたことを切々と語り始めた。



 恵美はおとなしく目立たないタイプで、大学生になっても男性と付き合ったことがなかった。容姿に特に難があるわけではない。ただ自分に自信がなく引っ込み思案で、恋をしても相手に打ち明けられないまま学校を卒業したりしてきたせいだ。


 大学生になっても、特に自分を変えようと思ったわけではない。自分が変わるとも思えなかった。友人に誘われて「数合わせ」として合コンに行くこともあったけれど、連絡先を交換する程度にまでも親しく話せる男性には出会えなかった。


 そんな時だ。友人の紹介で現在の夫である中村誠司と知り合ったのは。

 同じ大学の先輩で、専攻も同じ。地方から上京してきたという彼はそのせいかどこか朴訥な面を残していて、決して口数は多くないが一緒にいると安心できる。


 パッとしない女子であると自覚がある恵美のこともきちんと女性として扱ってくれて、初めてデートをしたときには車道側を歩いてくれ、エスカレーターでも常に彼が下で危なくないようにエスコートしてくれるという徹底っぷりだった。

 恵美を大事にしてくれる誠司に恋をして、誠司も控えめな恵美を「守ってあげたい」と言ってくれ、交際は順調に進んだ。


 特に就職に夢を抱いていなかった恵美は、誠司から「実家が村の名家だから、早く跡取りが欲しいと言われてる。だから大学を卒業したらすぐ結婚してうちに来て欲しい」という言葉にもそのまま頷いた。

 大学4年の夏に一度だけ訪れた中村家は確かに大きく、誠司の父は管森村が合併後も市議会議員を務めて村人には未だに村長と呼ばれ続けていた。


 田舎だけれども、穏やかで、裕福で、なによりも望まれている結婚。――恵美がその甘い夢を見て幸せな生活を期待しても、誰も責めることなどできなかっただろう。


 3月に卒業し、4月に東京と村で披露宴を開いてすぐに入籍。就職したばかりの――あるいは就職がうまく行かずに非正規でやっと勤務先を手にした友人たちの羨望の視線が、今まで羨ましがられる位置にいたことのない恵美にはたまらなく気持ちよかった。


 誰が思うだろうか。その結婚生活が、僅か3ヶ月で地獄のような日々に変わるなどと――。

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