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第22話

 雨の中、村を巡りお札集めをすることは、陽菜にとって沈鬱この上ない「務め」だった。

 重い足を引きずるようにしてなんとか家に帰り、すぐさま水シャワーを浴びる。泉での禊ぎのようにはいかないが、「やらないよりマシ」と感じるのだ。気持ちの持ちようかもしれないが。


「おばあちゃん、夕飯まで横になるね」


 いかにも怠そうな声で布団を敷く陽菜に、まち子は心配そうな目を向けてくる。


「そんなにしんどいのか……今まで瑞樹が集めてたときは、愛想のない子だと思ってただけだったけど、愛想良くしてられるわけがねえな」


 祖母の声には、やっと真実を知ったというような戸惑いが混じっていた。なので陽菜は思い切った問いかけをしてみる。


「あのお札ってさ、村の人の穢れを集めてるんでしょ? 最終的に滝に流すにしても、私や瑞樹くんはそれを一時的に背負わされてたんだと思う。正直、私怖いよ……」

「確かに、あれは病気の元になったりする穢れを札で集めてるって昔聞いた。だから、集めた文箱は開けるなって言ったんだ。開ければ穢れが溢れ出る、ってばあちゃんのばあちゃんに脅されてたからな」


 やはり祖母は札の正体を知っていた。けれど、友姫やその代わりである瑞樹の負担までは知らなかったというのは本当なのだろう。

 明日明後日は土日で村長が家にいる。恵美は「陽菜さんがうちでお昼を食べてることを知られるのはまずいわ」と、まち子にこっそりとテンペを渡し、レシピを書き添えてくれた。


 シーツの端を布団の下に折り込むことも億劫で、ばたりと陽菜は布団に倒れ込んだ。

 酷く重力を感じる。目を閉じると体の下に沼地が広がっていて、泥の中に引きずり込まれるようだ。


 少しでもいい、目を閉じて休息をと思う陽菜の体に、一層の重みが加わった。

 指1本動かせずに、まぶたを開くこともできない。

 それが金縛りだと気づくには、いくらかの時間が必要だった。


『こんばんはぁ……』


 戸を叩かれてはいないのに、誰かを探すような山の怪の声が微かに聞こえる。それは遠くでうろうろとしているようだ。札に阻まれて入れないのだろうか。

 急に生臭い匂いが鼻をつき、陽菜は恐怖に襲われて必死に手足を動かそうとした。けれどそれは陽菜のコントロールからは完全に離れてしまっているようで、意識と感覚だけが陽菜の元にある。


 びしゃり、びしゃりと何かが濡れた足で歩く音が聞こえる。音は徐々に近付いてくるが、何故か急にピタリと止まった。


「そこさどけ……姫はどこじゃ」

「どかね! 姫などおらんわ、けえれ」


 男とも女とも付かぬ低く気味悪い声と、少女の声が言い争うようにしていた。聞き覚えのある少女の声に陽菜ははっとする。

 あれは、友姫の声だ。――そう思った途端に、ふわりと意識が浮き上がった。

 自分の体を上から見下ろすように、意識が浮いている。そして目を閉じていたはずなのに、部屋の隅で陽菜を庇うように手を広げる白い着物の少女と、泥や木の葉を付けた何者かが対峙しているのが見えた。


 ――なにあれ。そう思った途端に、ぐんと意識がひっぱられ、自分では動かせない体の中に戻ったのがわかった。それを機に、日常の音が突然戻ってくる。

 祖母が台所で米をとぐ音、窓の外で叩きつけるように降る雨音――金縛りが解け、手足が自由になったことにも気がついた。


「おば……おばあちゃん!!」


 周囲を見回した陽菜は、恐怖で泣き出しそうになりながら、幼いこどものように必死に祖母を呼んだ。

 一瞬だが幽体離脱のように意識が浮き上がっていたとき、友姫と向かい合っていた何者かが立っていた場所は、畳の上に水が溜まって生臭い匂いのする泥がべったりと付いていたのだ。



 祖母は陽菜の悲鳴に台所からすぐ飛んできてくれた。そして不自然に濡れた畳と泥に気づき、険しい顔で無言のままそれを掃除してくれた。


「もうやだ、怖い……帰りたい」


 泣き出した陽菜を抱きしめて背をさすりながら、まち子は陽菜の枕元にあったスマホを取り上げた。それを陽菜に渡しながら、紘に電話を架けろという。

 スマホを見て陽菜は驚いた。確かにお札集めから帰ってきて簡易的な禊ぎをしてすぐ横になったが、まだ午後4時にもなっていなかったのだ。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

『どうした、なんかあったか』


 電話を架けると兄は泣き出しそうな妹の様子に異変を察したのだろう。

 陽菜は自分でもわけがわからなくなりながら、今までにあったことを全て話していた。

 お札集めのこと、神様がいないという神社のこと、雨の日でも禊ぎをすること。「ひな」という名は村長が付けたこと。

 そして、姫を探す何者かと、自分を守ると言った「友姫」の事――。


 兄は時折頷きながら、順番もめちゃくちゃに涙声で陽菜が話すことを根気よく聞いてくれた。


「友姫なんてやめる! 家に帰りたいよぉ」

『陽菜、こっちでも証拠を集めてやる。いいか、父さんと母さんは今までのことで管森の村長さんに感謝しきってるんだ。悪い印象はなにもない。実際に自分が見てない化け物程度で陽菜が帰るって言い出しても、いいとは言ってくれないと思う。――花嫁衣装の写真も見たしな、こんなに金を掛けるんだって驚いてたし、説得するにはそれなりの材料がいる。わかるだろ?』


 兄の言葉に陽菜は声を詰まらせた。確かに、陽菜を産んだことで母は東京に住みながらも村長から大事に扱われ、陽菜の成長の節目だけでなく毎年の新米の時期などや正月前などにもいろいろな品物が送られている。

 陽菜が金縛りに遭ったと言っても「気のせいでしょ」と本気で言うだろうし、この村で生まれはしたが18で東京に出ているので、山の怪などについても「そんな話は昔聞いたような気がする」程度だろう。


 両親にとっては、陽菜の訴えは取り上げるに足りないものだ。

 だから兄は、それを補うための「証拠」を揃えてくれるという。


『あとちょっと、我慢しろ。祭の前までには、絶対なんとかしてやるから』

「祭が……祭がなくなったらどうするんだろう」

『知るか。俺たちがそこまで責任取れるか。いろいろ隠してることがあるのはそっちの村の都合だろ』


 4つ歳上の兄は、喧嘩するほど歳が近くなかったせいか、大概のことでは陽菜の味方になってくれる。今回も「知るか」と言い切る兄の言葉は力強かった。


 確かに、東京から管森村は遠い。もしも祭ができなくなったら、祖母を無理矢理にでも東京の家に連れて行こう。そして、もうこことは関係のない生活を送るのだ。

 けれど、そう決心しかけた陽菜にまち子は思わぬ事を告げた。

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