「正直なところ、この祭の源流がなんなのか、どういう意味があるのか、実は僕も聞かされてない」
瑞樹は椅子に座り直したが、体は陽菜に向けたままだ。正面から陽菜の目を見て話し掛けてくる。
「だから、『本物の友姫』としての役割を持ってる君に聞いてみたいんだけど、お札集めってなんだと思う?」
「……あれは、名前を書いてる人の穢れを集めたものなんじゃないかな。お雛様って昔穢れを移して川に流したって言うじゃん? 人型が描いてあったし、そういうものだと思う。お祭りの時に滝から投げ込むんでしょ?」
陽菜はもう自分の中で、あの気色の悪いお札に対するごまかしをすることができなくなっていた。
そうすると、東京に住んでいるときには特に感じたことのなかった「穢れ」について、この村では酷く儀式的に具現化されていることに気づいてしまう。
陽菜が暗い表情で自分の考えを伝えると、瑞樹は軽く目を見開いてみせた。
「その話知ってるんだね、ごめん、僕はまだ君のことを見くびってた。ところで、君が生まれたときに『ひな』って名前を付けたのがうちの祖父って話は知ってる?」
「し、知らないよ……」
瑞樹の一言で、ぶわりと肌が粟立った。
自分で穢れを負わされる雛人形について話したばかりなのに、自分が生まれたときから密接にそこに関わらされていたことを知ってしまったのは恐ろしい。
陽菜の誕生日は3月4日だ。母から聞いた話では陣痛が思ったより長くて日をまたいでしまったため、3日に集まってきた手伝いの村人が一度帰ってしまったという。
だから、「3月3日に生まれるはずだったから『ひな』」なのだと、自分の名の由来について陽菜は今まで思っていた。
けれど、瑞樹から聞かされた話を考えるとそれは違う。
辰年に生まれた女だから、いずれ友姫の役を担う子であるから――穢れを負わされる「雛人形」であるから「ひな」なのではないのか。
「私、どうなるの?」
微かに震えながら、陽菜はまだ冷たい腕で自分の体を抱きしめる。縋るような目で瑞樹を見たが、彼は僅かに目を逸らし「知らないよ」と突き放すような言葉を呟く。
「だって、誰も祭について詳しくは教えてくれないからね。村中のお札を集めた友姫が龍神に輿入れする。――で、その先は? って話だよ。君の言うとおり滝壺に穢れを集めた札を投げ入れて終わるとしたら、花嫁行列の主役は一体何? 僕は物心着いた頃から友姫の代役としてお札集めをしてきた。その札は川に流してお終いになったけど、それだけで済むならわざわざ友姫は要らないよね。――はっきりわかるのはそこまで。なにせ祭は60年も行われてないし、年寄りほどしゃべってくれないのがこの村の人たちだよ」
「お、おばあちゃんなら……」
「君のおばあさん? それこそ一番話してくれないんじゃないのかな……」
瑞樹はテーブルに肘を突いて考え込むような姿勢になった。
気づけば、彼の前にはマグカップがあるだけでノートパソコンも何もない。瑞樹は陽菜と話すためにこのダイニングにいるらしかった。
「あんたは、私にとって味方のつもり?」
「いいね、その訊き方。味方のつもりでもミスって足を引っ張った挙げ句に致命傷を負わせるようなこともあるからね。そうだな、僕は……」
「遅くなっちゃってごめんなさいね! 陽菜さん寒かったでしょう――あら? 瑞樹がココア用意してくれたの」
瑞樹が話し掛けたとき、スリッパでバタバタと音を立てながら恵美がダイニングにやってきた。思わず陽菜は唇を噛む。恵美の言葉で瑞樹の言葉が遮られ、彼はそれ以上話すつもりはなくなったようだったから。
「ココアくらい僕にも作れるからね。片付けに時間掛かると思ったから、陽菜さんに寒い思いさせっぱなしなのも悪いと思ったし」
「そうなのよねえ。濡れたものをいつもより長く着るし、余計寒くて嫌だったわよね。瑞樹、助かったわ」
「ああ、そうだ。陽菜さんもお札集め疲れるって言ってたからさ、あれ作ってあげてよ。特製唐揚げ」
「唐揚げ!?」
陽菜の中でスタンスのわからない瑞樹に対する不信感が、唐揚げの一言で思わず吹っ飛んだ。お札集めの上に精進潔斎は正直言って気が滅入って仕方なかった。唐揚げ、と聞いただけで思わず口の中に唾が湧いてくる。
「で、でも、お肉食べちゃいけないんですよね?」
「そうなの、だから特製唐揚げなの。瑞樹も何度もお札集めはやってきたから、よく作ったのよ。お肉じゃなくてテンペを使った『なんちゃって唐揚げ』なんだけど」
「テンペ?」
聞き慣れない言葉に陽菜が恵美に向かって尋ねると、恵美はパントリーから実物を出して見せてくれた。パッケージには大豆を使った発酵食品という説明が書いてあり、中身は四角い塊になっているようだ。
「ヴィーガンの人にも需要があるせいか、昔より大分入手しやすくなったのよ。人によっては納豆っぽい匂いがするって言う人もいるけど、私は余り感じないわ。でも味自体は凄く薄いから、竜田揚げの要領で生姜とニンニクを利かせたタレに漬け込んでから米粉で衣を付けて揚げるの。……どうかしら、陽菜さんは食べられそう?」
「僕はこれに何度も救われたよ」
瑞樹は大真面目に言っていて、陽菜はますます彼に対する評価を混乱させた。
ただひとつ、陽菜の中ではっきりしていることがある。
「めーーーーっちゃ食べたいです!」
力強く陽菜が宣言すると、恵美がそんな陽菜を見てにこりと微笑んだ。