翌日の朝、まち子は朝食の前に中村家に向かっていた。
こればかりは電話では済ませられない。陽菜に聞かれたら困るのだ。
「朝早くすまんねえ。村長さんにお話があるんじゃけど。ああ、話は外でするから、村長さん呼んできてもらえねえかな。……瑞樹には怪しい話は聞かせたくなかろ?」
取り次いだ恵美がどうぞ中へと案内するのを手を振って断り、最後は声をひそめてまち子は恵美に告げる。
表情を強ばらせた恵美の手を取り、更に一歩近付いてまち子は囁いた。
「ここで陽菜に逃げられたり、瑞樹に必要以上に首を突っ込まれたりしたら、おらたちの計画は台無しになるからなあ? な、恵美さん」
「……義父を呼んできますね」
スリッパでパタパタと音を立てながら恵美が奥に消えた。代わりに、怪訝そうな顔をした村長が現れる。無言でまち子は手招きをして、彼を玄関の外に誘い出した。
「ゆうべな、山の怪が出たんだ。家の戸をドンドン叩いて『こんばんはぁ』ってだけ繰り返してさ。陽菜はすっかり怯えてなあ。兄に電話架けて対処聞いて、おらが包丁で脅したらいなくなったけども……」
「山の怪が? 確かに山の怪が出たって昔話は何度も何度も聞いたことがあんけどよ、そったな話はうちでは起きたことがないが」
「瑞樹はこの村の人間だ、お札集めにも慣れてる。でも陽菜はこの村で生まれたけども普段は東京さいるからな。たった二日のお札集めでかなり消耗しとるよ。それを、『友姫』を求める化け物たちに気取られたんじゃねえか?」
まち子の指摘で村長の顔色がさっと青くなった。更に畳み掛けるようにまち子は言葉を続ける。
「もしこんなことが続いたら、陽菜は祭なんて放り出して東京に帰るだろうな。この前の辰年も娘は生まれてない。今回祭ができなかったらどうなるか……一番困るのは村長さんだろ?
偉い坊さんでも神主さんでもなんでもいい。お札でもご祈祷でも見張りでも、なんとかして陽菜に祭までは害が及ばないようにしてもらわんと」
「……わかった。伝手を使って夜までにはなんらかの手を打つ」
「頼んだわ。うちのじいさんのためにもな、祭はちゃーんと行われなきゃなんねえ。陽菜には村長さんがなんとかしてくれるって言っとくからよ」
まち子はそれだけ言うと村長の返事を待たずに踵を返した。
昨日の怪異はまち子だって恐ろしかった。この村に生まれて長年暮らしてきたが、あんなことは初めてだった。
けれど、いい機会ではある。「祭のために」村長がどこまで陽菜を守れるのか、これで見極めもできるだろう。
ふと視線を感じて振り返ると、村長は既に家の中に戻っており、恵美が玄関に立っていた。まち子と目が合ったのを感じたのか、恵美が深くお辞儀をする。
一瞬彼女が微笑んでいるように見えたのは、まち子の見間違いではなかっただろう。
「おらたちの計画のため……そう、全ては祭が行われねえと話になんねえ」
まち子の独りごちた言葉は朝の風に攫われていった。