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第15話

 祖母の家に戻り昼食を食べ終わっても、陽菜の行動は重かった。

 昨日出かける前のような、楽しみな気持ちは欠片もない。

 必要以上にのろのろと食器を片付けている自分に気づいて、重い溜息が出る。

 これからまた3軒のために村中を回って札を集め、疲労困憊するのだろう。


 まち子の話では、どこの家も農作業があったり市部に働きに出ていたりで、お札集めをする日の希望を取ったらどうしても土日に集中してしまったらしい。けれど土日に一気に集めきれるものではないので、なんとか日中に時間を作ってもらって、それに合わせて陽菜が集めに行っているのだ。


 だから、訪問する先の都合が優先。昨日は3軒のうち2軒が近かったが、今日のように見事にバラバラな位置に家があるようなこともある。


 1軒目はまだ良かった。夏の暑い盛りの時間を歩いた体には、玄関先でも漏れるエアコンの冷気が心地よい。


「お陰様で」

「おかげさんです」


 家によって言葉は多少違うが、言われている意味は同じだ。そしてその一言で体が重くなった気がしたが、お札はきちんと受け取って文箱に入れる。そして「おもてなし」をされる。

 冷たい紅茶と生クリームの入ったシュークリームを出され、一瞬戸惑ったが午前中の瑞樹の「祭が終わるまではとりあえず気にしない方がいい」という言葉を思い出して美味しくいただいた。


 けれど、3軒目に着く頃には陽菜の足取りは重く、絶え間ない頭痛に襲われていた。

 熱中症という感じではなく、酷い片頭痛といった感じだ。

 ここではお札を受け取った後のおもてなしは、ジュースを一口飲むのが精一杯だった。好物であるはずの甘い物も冷たい物も喉を通らないのだ。


 昨日菜々子の家で陽菜がドーナツを食べたとき、菜々子は瑞樹のことを「おもてなしもジュース一口しか飲んでいかなかった」と言っていた。

 それを「愛想がない」という意味だとその時は思ったが、今の陽菜にはわかる。瑞樹もお札集めによる疲労でジュースを一口飲むのが精一杯だったのだろう。


 家に帰れば横になることができる――それを必死に念じながら陽菜は無言でまち子の後を付いて歩いた。まち子は時折心配そうに陽菜のことを振り返り、歩く速さを緩める。


「大丈夫か、陽菜」

「……頭痛い。体も重怠くて、家に帰ったらシャワー浴びてすぐ寝る」

「そうした方がいいな。……瑞樹もこんなだったのかねえ」

「そうみたいだよ。昨日菜々子おばさんが瑞樹くんがジュース一口しか飲まなかったって言ってたじゃん? 私今、まさにその状態だもん」


 ようやく竹内家が見え、ほっと陽菜は安堵の息を吐く。

 暑さや歩く距離で疲れ切っているとは思いにくい。東京はもっと暑いし、これでも高校生なのだから体力はそれなりにある。


 ――だとしたら、何?


 自問しても思い当たることはひとつだけだ。けれどそれを認めてしまうのは、別の不条理を肯定することになる。

 陽菜は自分の中で答えを探ることをやめ、家に入るとすぐに風呂場に向かった。

 冷水のシャワーを出して、頭から浴びる。禊ぎのように冷水を浴びると、いくらか頭痛が和らいだ。

 体が冷え切るまでシャワーを浴び続けて浴室を出ると、陽菜は苦労して髪を乾かし、祖母が敷いて置いてくれた布団に倒れ込んだ。



 泥に沈み込むように眠りに就いた陽菜は、夜になって目を覚ました。時計を見るとまだ8時過ぎだ。

 寝る前は余裕がなさ過ぎて薬を飲むこともできなかったが、眠って少し体調がましになったので台所へと向かう。喉が渇きを訴えていたのだ。


「ああ、陽菜。大丈夫か」


 テレビのある居間を横切ると、陽菜に気づいてすぐまち子が立ち上がった。


「おばあちゃん、頭痛薬ある?」

「あるけど、先に何か食べた方がいいなあ。お茶漬けなら食べられそうか?」

「……うーん、まあ、まずちょっとだけ食べてみる」


 まだ温かいご飯が茶碗に盛られ、市販のお茶漬けの素が出された。最初まち子は鮭味を出してから、はっとして陽菜に「海苔と梅どっちがいい?」と訊いている。

 陽菜が鮭味のお茶漬けが好きなのを祖母は覚えていたのだろう。けれど今の陽菜は精進潔斎のために魚を食べることはできない。


「じゃあ、梅」


 普段だったら海苔を選ぶが、今は梅の酸味が欲しい。「熱々じゃない方がいいな?」という祖母の言葉には素直に頷いて、程々にぬるいお茶漬けをスプーンで口に運んだ。


 さっぱりとした梅の風味のおかげか、なんとか食べられることにほっとする。時間を掛けて茶碗一杯分を食べきると、大分体も落ち着いた気がした。


「薬持ってくるからな、お茶飲んで待ってな」


 そう言って祖母は別の部屋に向かったので、陽菜は茶碗とスプーンを洗って籠に伏せた。

 冷蔵庫から麦茶を出して陽菜用のコップに注ぎ、それを少しずつ飲んでいると玄関を叩くどんどんという音が家に響いた。


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