朝食の席も陽菜はいつも通りの元気がなく、まち子はそれを心配した。
祖母に申し訳なく思いつつも、胃が受け付ける軽いものだけを食べて、陽菜は禊ぎに行く準備をする。
場所はわかったので、行きに村長の家へ寄り、白装束とバスタオルが入っている籠を受け取って泉へ行けばいい。祖母が一緒でなくてもそのくらいはひとりでできる。
「おはようございます。禊ぎに来ました」
「おはよう陽菜さん、早いわね」
恵美はにこやかに挨拶を返すと陽菜に籠を渡してきた。昨日見た昏い陰はそこからは見当たらない。昨日の第一印象そのままに、優しそうな女性だ。いや、それを演じているように見える。
「じゃあ、終わったら戻しに来ますね」
「はい、気を付けてね。お勤めご苦労様」
そそくさと籠を持って陽菜は中村家を離れた。足早に泉に向かい、地面に籠を置いてぽいぽいと服を脱ぎ捨てて白装束に着替える。
「あっ、バスタオルが入ってない」
重大な恵美のミスに気づいてしまったが、下着も着けていない白装束に着替えたばかりである。もう一度着替えて取りに行こうかと思っていると、砂利を踏んで近付いてくる足音が聞こえた。
恵美がバスタオルのことに気づいて届けに来てくれたのだろうとほっとしながらそちらに目をやると、歩いてきたのは瑞樹だった。ぎゃっと悲鳴を上げて、陽菜は脱ぎ散らかしてある下着を服の下に押し込み、自分は泉に飛び込んだ。
「急に来ないでよ! 恥ずかしい姿見せるところだったじゃん!」
「ごめん。母さんがバスタオル入れ忘れたから持って行けって」
瑞樹は白装束を纏った陽菜を直視しないように、斜めの方向を見ながら籠にバスタオルを置いた。水は震えるほど冷たいが、白装束は濡れると透けるので陽菜は立つわけにもいかない。
「陽菜さん」
「何? 早くあっち行って欲しいんだけど。寒いし!」
「ああ、そこの水冷たいもんね。……一昨日は、あんなこと言ってごめん。謝りたかったから」
瑞樹の言葉に驚いて、思わず陽菜は彼を凝視した。瑞樹は律儀に陽菜を視界に入れないよう、顔を背けている。
「祖父から、君とは近づくな、絶対仲良くするなって何度も言われてたんだ。あの人、表面上は君のことをお姫様みたいに扱ってるけど、内心は見下してる。この村の人間じゃなくて良かったとか、何も知らない東京もんとか、酒飲むとよく言ってるんだ」
「嘘……」
陽菜に親切でにこやかな村長にそんな裏があるとは思いたくなかった。しかも話しているのは昨日陽菜に向かって喧嘩を売るような態度を取ってきた瑞樹だ。
「そんなの、私信じないから」
「それは君の判断だから、好きにしたらいいよ。ただ僕は、祖父から君と仲良くするなと言われていたのに表向き従ってる様子を見せるために、昨日あんな態度をとったんだ。態度悪かったよね、本当にごめん。……花嫁衣装、本当は凄く綺麗だったよ。祖父がいなかったら見とれてたと思う」
顔を背けたままの瑞樹がどういう表情をしているのか、陽菜には窺い知る方法がなかった。けれど、彼の耳がうっすら赤くなっているのは見える。
「……村長さん、いつもお祝いくれたりずっと気に掛けてくれてて。だから私も12年に一度の大事なお祭りで『友姫』をできることを光栄に思ってて」
瑞樹に対して言っている言葉は、陽菜の内心の確認を声に出しただけだった。
「そうだね、なんなら行動だけ見たら実の孫の僕よりも君のことを大事にしてるんじゃないかな」
「……変なの。普通、男の子の方が跡取りとか言われて大事にされるんじゃないの? あーっ! 限界!! ごめん、出るからどっか行って!!」
冷たい水の中で、体中に痛みが走っている。瑞樹から聞きたいこともいろいろあったが、禊ぎの最中には無理だ。
「ご、ごめん!」
瑞樹は慌てて走り去っていった。その彼の背中を見つつ、陽菜は震えながら泉から上がる。濡れて張り付いた白装束を脱いで乾いた分厚いバスタオルに包まると、その温かさにほっと安堵の息が漏れた。
急いで体を拭き、着てきた服を着ると更に温かい。湿ったバスタオルは肩に掛けたまま、陽菜は白装束を軽く絞って籠に入れた。
これを中村家に返しに行って、ついでにWi-Fiのことを訊かなければならない。
できれば今日も温かいココアが飲みたいなと思いながら歩き出すと、陽菜は違和感に気がついた。
禊ぎをするまではあんなに全身が怠かったのに、今はすっきりとしている。
昨日から感じていた不快感は、今は消え去っていた。
「禊ぎって穢れを落とす行為だっけ。効果凄っ。目と鼻から神様産めるかも」
夢に出てきた幽霊に心の中でありがとうとお礼を言いつつ、陽菜は行きよりも軽い足取りで中村家に向かった。