その後、2軒の家を回って陽菜とまち子は札を集めた。
比較的家々が密集している集落と聞いていたはずだが、家と家の距離が都会では考えられないほど離れている。
まち子が「滝分だけ逆方向」と言っていたのも本当で、「佐吉」から「角」までは10分ほどで着くことができたが最後の「滝分」は結局1時間近く歩くことになった。
札に触ってあれほど奇妙な感覚を受けたのは最初だけだったが、慣れない道を歩いているせいか、一軒回るごとに異様に陽菜の全身を怠さが襲った。
最後の「滝分」こと田中家では菜々子という50歳くらいに見える女性が、冷たい紅茶とドーナツを用意してくれていた。
わざわざ手作りしてくれたらしい卵の入っていない特製ねじりドーナツは、ふわりとした食感と掛かったきな粉が懐かしさを掻き立てる。給食で時折出たきな粉揚げパンは陽菜の好物だった。
疲れていたために座敷で休めることに安堵しながら、陽菜は「おもてなし」のドーナツをパクパクと平らげた。
「あー、甘いもの最強! 疲れてたから染みたー! 菜々子おばさん、ごちそうさま!」
ごちそうさまと言いながら手を音がするくらいの勢いで合わせると、心底嬉しそうに菜々子は笑う。
「陽菜ちゃんは明るくていい子だねえ。女の子だから甘いもん好きだろうって張り切ってドーナツ揚げた甲斐があったわあ。村長さんとこの瑞樹なんてねえ、おもてなしもジュース一口しか飲んでいかんで……」
「えっ、イヤミ眼鏡……じゃなくて、村長さんところの瑞樹くんって、私みたいにお札集めとかしてるんですか?」
「イヤミ眼鏡!」
菜々子が思わずといった様子で吹きだした。「これ」と陽菜をたしなめるまち子は、言葉だけで本気で叱ってはいない様子が丸わかりだ。
「お祭りがずっとなかったでしょ、だからお札集めだけでもって3年に一度瑞樹がお札集めやってたのよ。瑞樹は愛想ないっていうか……」
「すっごいわかります、私初対面で喧嘩売られましたし」
「ありゃー、なんだろうねえ……。あっちにも本家の矜持みたいなもんがあんのかねえ……瑞樹は友姫の陽菜ちゃんに比べたら、あくまで代わりでしかないのに何が不満なんだか」
菜々子は頬に手を当てて悩んでいる。陽菜はその菜々子が口にした言葉にひっかかりを覚えていた。
ただの代わりだったら、普通は不満を持つに決まっている。おまえは本物じゃない、ただの代用品だという扱いをされて、不満に思わない人間などいないだろう。
けれど、菜々子の口振りは「代わりなんだから不満に思うことなんかないはずだ」と言わんばかりだ。
「ねえ、菜々子おばさん、代役の方がいいことってあるの?」
陽菜がストレートに尋ねると、はっと菜々子は口に手を当てる。ちょうどそのタイミングで、まち子が立ち上がった。
「さてと、帰って晩飯作らなきゃなんね。陽菜が肉も魚も駄目だから、献立考えるのも大変だよ」
「あ、ああ、そうだねえ。今度大丈夫そうなメニュー集めて持って行くくらいのお手伝いはするから」
菜々子の笑顔が、作って貼り付けたものに見えた。
笑顔で隠した、陽菜には明かしてはならない事実。
それの存在を、陽菜はうっすらと感じ始めていた。
「おばあちゃん、お札ってどんなの? 見ていい?」
帰宅してまち子がテーブルに置いた文箱に手を掛け、陽菜は思い切って尋ねた。
「駄目だ! 開いちゃなんね!」
陽菜の手から文箱を奪い取った祖母の様子は、今まで見たことがないものだ。ぞわり、とまた背筋を気持ち悪いものが伝っていく。
「……集めたお札は開いちゃならんのさ。うちのお札ならまだ集めてないから見せてやるわ」
まち子は文箱をしまうと、半紙に包まれた札を持ってきて陽菜の目の前で開いた。
ちょうどスマホくらいの大きさの和紙に、幼いこどもでも書けるような
裏を返すと「竹内まち子」とだけ書かれている。ここは家族の名前全てを書くのだと説明された。
準備のできた札は半紙で包み、「友姫」が集めて祭の時に滝に流すのだという。
瑞樹がやっていたのは、3年ごとに札を集め、滝に流す部分らしい。
「……もっと呪文とか書いてあるのかと思った。陰陽師が使ってるみたいな」
「そんなの家々で書けねえだろ。……陽菜、ばあちゃんはこの村で生まれてこれまで生きてきた。この村しか知らねえ。でも、そんなばあちゃんでも『変だ、意味がわかんねえ』と思うことはたくさんあんのさ。祭までは、あまり村のことに首を突っ込まないでできればおとなしくしてた方がいい」
「……うん」
何故、と聞くのも祖母の言う「村のことに首を突っ込む」ことになるのだろうか。
友姫は、ただ綺麗な着物を着て花嫁行列をするだけの役目だと思っていた。
その陽菜の心には、暗い影が差し込みつつあった。
――お気楽だね。
昨日の瑞樹の声が耳の奥で蘇る。3年に一度この札集めをしていた彼は、何を知っているのだろうか。
花嫁衣装に浮かれていただけの自分は彼から見たら余程滑稽に見えていたに違いない。
たった一日で、陽菜は自分の中の「友姫」が変わったのを感じた。