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第9話

 日傘を差して、陽菜はまち子と村のメインストリートであるバス通りを歩く。陽炎の立つ道路は広く、黒いアスファルトがそこだけ妙に新しく見えた。


「今日はかど滝分たきわけ佐吉さきちかあ。滝分だけ方向が逆だな」

「佐吉って名字? 人の名前?」

「これも屋号だ。滝分は滝の分家ってことで、佐吉はどっかの分家で初代の名前が佐吉だったんだとさ」

「ひえー、ややこしい」


 田舎ならではの話を聞きながら祖母と歩くのは、陽菜にとっては楽しい時間でもあった。

 高い建物など何もないのどかな風景、耳が痛くなるほどの蝉の声。時間は都会とは流れる早さが違うように感じ、案外こんな田舎も悪くないと思った。


 祖母が「佐吉」と呼んだ家は古びた表札に竹内と書かれていた。祖母と同じ名字だしどこかの分家だという話だったので、案外血縁関係にあるのかも知れないと陽菜は思う。


たえちゃん、まち子だ。入るよ」


 インターフォンがあるのにそれを鳴らしもせずに玄関をガラリと開けた祖母に、陽菜は声も出ないほど驚いていた。そもそも玄関に鍵が掛かっていないことにも驚いた。

 まち子の呼びかけに、奥から「ご苦労さん」と声がしてすぐに祖母と同じ年頃の老女が顔を出す。


「こんにちは、友姫をやる岩崎陽菜です」

「孫の陽菜だ。今日はお札集めに来たわ」

「あらー、べっぴんさんになってえ! ばあちゃんのこと覚えてるか? 覚えてないよなあ、すっかり大きくなったなあ。もう16歳か」


 彼女の言葉で、この妙という老女に幼い頃にも会ったことがあるのだと知る。村人にとっては「将来友姫役をやる、東京に住んでる竹内の孫」は印象深いかも知れないが、陽菜にとっては全く記憶がない。


 曖昧な笑みを浮かべて陽菜がごまかしていると、玄関脇に置かれていた白い紙の包みを妙が手に取った。


「陽菜ちゃん、友姫様をよろしく頼むなあ。はい、これお札」


 妙は陽菜を拝むようにして札を捧げ持つ。陽菜は一度頭を下げてからその札を受け取った。


 ――途端に、背筋がぞわりとした。手で触れたはずなのに、背骨を中心として全身へ総毛立つ感覚が広がっていく。


 妙にひんやりとした、とげとげとしたもので肌を軽くこすられたようななんとも言えない不快感が走り、気がつけば陽菜は札から手を放してしまっていた。


 思わず大事な札を取り落とした陽菜に、妙とまち子が怪訝そうな顔を向けた。


「あ……ごめんなさい、落としちゃって。もう一回やり直しした方がいい?」

「いや、そういう話しは聞いたことがないから、大丈夫だと思うわあ」

「陽菜、こっちに早く入れな」

「う、うん」


 落ちている札に向かって陽菜は指を伸ばす。触れようとしたときまたあの嫌な感触がしたらと思うと僅かに躊躇してしまったが、ふたりがいる手前気持ち悪いとは言えない。

 おそるおそる触った札は、今度は何も起きなかった。ひっそりと安堵の息を吐きながら札を拾い、祖母の持つ文箱に入れる。


「おかげさんです」


 札が文箱に収められたのを確認し、妙が頭を下げる。

 奇妙な挨拶だと思ったが、田舎のしきたりは陽菜にはわからないことだらけだ。適当に会わせるように陽菜もお辞儀をすると、妙はくしゃりと笑ってふたりを家の中へ手招いた。


「さて、おもてなしさあ、スイカ切ってあるから食べていきな。角んところからもらったんだけどジジイとババアじゃ半分も食えやしねえよ」


 札を受け取り、「おもてなし」を受けるまでがやらなければいけないことと聞いている。

 通夜に参列したときのお清めのようなものだろうかと思いながら、陽菜はまち子に促されるまま竹内家にあがり、居間で皿に山盛りにされたスイカの前に座った。


「……全部食べるの? これ?」

「ちょっとでも食べればいいんだと。妙ちゃん、こりゃ切りすぎだべ。おらたちは素麺食ってきたばっかりだわー」

「あっはっは! 若いもんに頑張って食ってもらわないとな! 陽菜ちゃんスイカ好きだったろ? ばあちゃんはなあ、スイカ選ぶのは名人なんだ。角のところから一番うまい奴もらってきたのよ」


 さっき札に触れたときには不気味さしか感じなかったが、家の中は明るく、開けっぴろげで豪快な妙の人柄も陽菜をほっとさせるものだった。

 幼い頃にスイカが大好きだったのは覚えているけれど、母は「カットされているスイカを選ぶのは難しい」とかなんとか理由を付けてなかなか最近は手に取ることがなくなっていた。


「じゃあ、いただきまーす! んんっ、甘ーい! 美味しい!」


 程良く冷えたスイカにかぶりつくと、口いっぱいに瑞々しい果肉が広がる。山間とはいえ午後になったばかりの時間に徒歩で移動してきた体には、冷えたスイカはたまらない美味しさに感じた。

 そのまま勢いで3切れほど食べたところで、この後も2軒回らなければならないことに思い至って陽菜は手を止めた。


「ごちそうさまでした。妙おばあちゃんホントスイカ選びの名人! すっごい美味しかったよ」


 少し前の嫌なことなど流してしまったように陽菜が笑顔を見せると、妙も皺を深めて人好きのする笑みを浮かべた。


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