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第8話

 明日からは禊ぎの道具一式を置いておくので、終わったら中村家に返しに来てくれればいいと恵美は言った。

 雨の日でも禊ぎはしなければならないので、そういうときには中村家で着替えてから禊ぎをし、また戻って着替えればいいとも言われ、しきたりの厳しさに陽菜は内心げっそりとしていた。


「今日の午後からは、お札集めですね」

「そうそう。3軒ずつ回れば10日で終わるしね」

「夫が希望日を確認して表にしてますから、この表の通り回ればいいと思いますよ」


 恵美が差し出した表は「角」や「炭屋」「中竹」「滝」などと書かれていた。


「中竹っていうのはうちの事だな。これは屋号だよ。ここは岩見屋。村の中じゃ村長さんか岩見屋の方が通りがいいんだ」

「やごう?」


 名字らしくないものも混じる表に陽菜が首を傾げていると、まち子と恵美が説明をしてくれた。

 管森は世帯も少ないが、名字も中村と竹内と田中ばかりなので、区別するためにそれぞれの家の特徴を示した屋号が使われているそうだ。

 村の角にあるから「角」。竹藪の中にあるから「中竹」。村人にとっては名字よりもこちらの方が親しみやすくわかりやすいのだという。


「私も最初は驚いたのよ。東京で生まれ育ったからそういう習慣は縁がなくて」

「おばさんも東京の出身なんですか」

「ええ……大学を卒業して結婚してからはずっとこっちなんだけど」

「大学出てすぐ結婚したんですか? わあ、熱愛だったんですね!」


 陽菜の明るい声に、恵美がぎり、と自分の腕に爪を立てたのが見えた。彼女の中の禁忌に触れたことに気づき、陽菜は口を閉ざす。


「……その年は卯年うさぎどしだったの。辰年に女の子を産まなきゃいけないって言われて。結婚を急がれたのはそのせいだったのよ」


 恵美の腕に朱が走った。それを押さえたのはまち子だ。


「それ以上言っちゃなんね。……わかっとるよ、この村の女なら誰でも」

「はい……怖がらせてごめんなさいね、陽菜さん。私は、あなたの味方だから」


 恵美が微笑む。その目の奥に昏いものを感じ、陽菜はただ頷いた。

 口の中に残るココアの甘さが、べったりと陽菜に絡みついているように感じた。



 結局Wi-Fiの事を尋ねそびれたことに気づいたのは、帰宅してからだった。

 明日も訪れるのだし、その時になるべく余計な話をしないでWi-Fiについて頼もうと改めて陽菜は思った。


 午後は「お札集め」という儀式がある。村の家々を巡って、家族の無病息災を願う札を集めてくるのも「友姫」の役目らしい。


「うちとか村長さんのうちとか、今日やっちゃえばいいのにね。てか、1日3軒って効率悪くない?」


 昼食に素麺を食べながら、表を眺めて陽菜はぼやいた。地図の付いていない表なので、祖母に同行してもらわなければどこが「炭屋」だか「角」だかわからない。


「まあまあ、なんかしら理由があるんだろうよ。この村は人は少ねえけど歩いたら結構大変だしなあ」

「あー、そうか、山の中だもんね」

「お札もらったら、おもてなしされるからそれを受けてな」

「おもてなしって何? ご馳走出るの!? あ、でも精進料理か……」

「ははは、まあ、ジュースとか、ちょっとしたお菓子だよ。何軒も回るのに豪華な料理なんか食ってられんべ」


 祖母は素麺を食べ終わると食器を下げた。陽菜も慌ててしゃべっていたせいで少し伸びた素麺をすする。


 陽菜が食器を片付けていると、祖母が黒い箱を持ってやってきた。

 漆塗りとおぼしき光沢のある黒い箱は、陽菜にとっては見覚えがあるものだ。


「あ、これ知ってる。文箱ふばこだ」

「そうそう、お札は家ごとだからこれで足りるはずなんだ。ばあちゃんがこれもって付いていくから、陽菜は受け取ってこれに入れてな」

「わかった。服はこのままでいいの?」

「……虫刺されしないようにした方がいいな」


 ショートパンツから伸びた足には、中村家との往復だけで虫刺されシールが3ヶ所も貼られてしまった。

 それを見てため息をつき、陽菜はジーンズに履き替えるために部屋へと戻った。

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