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第6話

 重い花嫁衣装を脱いで片付けると、陽菜には,もうひとつの片付けが待っていた。

 あらかじめ家から送っておいた荷物だ。二週間以上の長い滞在になるので、細々としたものが多い。


「エアコンがなあ、ばあちゃんの部屋にしかないのさ。昼間は襖開けてこっちの部屋使って、寝るときは同じ部屋でもいいか?」

「エアコンないんだっけ? そういえば真夏に来るの初めてかな。別に一緒の部屋でいいよ、暑くて寝られないよりいいし」


 掛下などの花嫁衣装がこの部屋に置かれていたのは、陽菜に宛がわれた部屋だかららしい。

 空の箪笥に下着や服をしまいながら、陽菜はボストンバッグの中身にノートパソコンがあることを思い出してハッとした。


「宿題どうしよう! おばあちゃんち、Wi-Fiないよね? うう、デザリングでもいいけどギガが死ぬ……」

「わいふぁい……ああ、インターネットかあ。だったら村長さんのところに行けばいいさ」


 村長のところと言われ、露骨に陽菜は眉をしかめた。先程来た村長の孫の印象があまりにも悪い。そんなところに行ってWi-Fiを使わせてもらいたくはない。


「瑞樹の態度だろ? あれは仕方ねえ、元からそういう子だよ。根は悪い奴じゃねえし、あそこのお嫁さんは必ず陽菜に親切にしてくれっからなあ。行けば歓迎されるわ」

「そうなの?」


 お嫁さんというのは瑞樹の母だろう。もし女の子を産んでいれば村中から褒め称えられただろうに、「母親が村の出身で里帰り出産をしたから」という理由で友姫に選ばれた陽菜が歓迎される理由がわからない。


「そうだよ、村長の家は祭の日までは陽菜のことをそりゃもうお姫様みたいに扱うに決まってる。だから、図々しくお邪魔しな」

「うーん、明日禊ぎに行った時に相談してみるね」


 若干腑に落ちないものを抱えつつ、その日は暮れていった。

 夕飯は枝豆を炊き込んだ豆ご飯に、夏野菜の天ぷらと高野豆腐の煮物が並んだ。

 確かにどれも肉や魚は入っていないが、まち子は天ぷらを揚げるのがうまい。好物のナス天を揚げたてで頬張りつつ、学校であったことなどを話しながら和やかに夕食は進んだ。


 寝る前にもう一度風呂に入り、年代物の扇風機で涼む。窓を開けて虫の声を聞きながら、陽菜はふと気になったことを祖母に尋ねた。


「そういえばさ、『日が落ちたら家の外を歩いてはならない』ってあったけど、どういうこと?」


 何気なく聞いた一言に、祖母は困ったように眉を寄せた。

 考えてみれば前の祭が60年前なのだから、70歳になっていない祖母はしきたりの明確な理由など覚えているわけがない。


「さあ……ただ、この辺りは灯りも少なくて危ないから、それで夜に出歩くなって言ってるんじゃねえのかなあ。大事な友姫が怪我でもしたら大変だしな。そうそう、斜向かいのじいさん、一昨年夜に歩いてて側溝に嵌まって足折ったんだわ」

「なにそれ、怖っ」


 しきたり以前の問題として危険だ。陽菜は外の暗さを部屋の中から眺めながら、夜には出歩くまいと決心した。



 東京よりは管森の方がいくらか涼しい。山中であり、森があるからだろう。

 祖母の部屋でエアコンを付け、隣の部屋との襖を開けているだけで十分涼しかったので、陽菜は快適に眠ることができた。


 炊きたてのご飯と野菜がたっぷり入った白味噌仕立ての味噌汁。それに納豆と海苔と漬物。またもや精進料理そのものの朝食が並ぶが、これは気にならなかった。


「おばあちゃん、私この酸っぱいお漬物苦手だわ」

「そっか。慣れねえときついかもしれんね。明日から浅漬けでも作るか」

「うん、ありがとう」


 祖母の家の漬物はニンニクと塩を入れ、いかにも乳酸菌発酵させましたという酸味のある漬物だ。普段漬物を食べる習慣がない陽菜はどうしても食べることができなかった。


 それ以外のものは完食し、陽菜が後片付けをしてから禊ぎに行くことになった。

 時間は朝の8時半、よその家を訪問するには若干早いかもしれないが、他にも予定が入っているのだから気にするなと祖母は言う。


 村長の家は祖母の家よりも大きく立派で、いかにも田舎の名家といった佇まいをしていた。

 慣れているように祖母は門柱を潜り、玄関の横のインターフォンを押す。


「中の竹内です。陽菜を禊ぎに連れてきました」

『はい、お待ちください』


 インターフォンから聞こえたのは女性の声だった。間もなくバタバタと音がして玄関がガラリと開く。


「おはようございます」

「おはようございます。お勤めご苦労様です」


 玄関で頭を下げたのは、陽菜の母よりは若干若く見える女性だ。この人が「村長のところの嫁」つまりは瑞樹の母親なのだろう。息子とは違って優しげな面立ちで、陽菜にも笑いかけてくれている。


「陽菜さん、朝からありがとうね。道具は全部こっちで用意してあるから、場所を案内するわ」


 中村恵美えみと名乗ったその女性は、籠を持って陽菜とまち子を先導する。

 一旦家の敷地から出て塀に沿って裏手にぐるりと回り込むと、細い道の先に寂れた神社と小さな池があった。周囲は木々に囲まれていて薄暗く、朝のひんやりとした空気が漂っている。


「あの、神社にお参りした方がいいですか?」

「いいのよ、泉で禊ぎだけすればいいの」


 寂れた神社が気になって陽菜が尋ねると、先を歩いていた恵美が振り返らずに答えた。


「あの神社はな、もう潰れてるんだ。神様がいないんだよ」


 陽菜に顔を寄せた祖母が、ひっそりと陽菜に耳打ちをした。

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