掛下帯を文庫結びにすると、祖母はお待ちかねの打掛を持ってきた。
陽菜はまた袖を持たされ、打掛の袖の中へと入れる。肩に掛かった重みは予想外のもので、陽菜は和服を侮っていたことに二度目の後悔をした。
「重っ……」
思わず漏れた愚痴は祖母の耳には届いていないようで、祖母は3歩ほど下がるとじっくりと陽菜の姿を観察した。その口元には笑みが浮かんでいて、祖母にとっても満足のいく仕上がりなのだろう。
「はあ、綺麗だわあ。ほら陽菜、鏡見てごらん、そうだ、せっかくだから紅も持ってこようねえ」
祖母が慌ただしく席を外したので、陽菜は鏡を覗き込んだ。
そこにはハッとするほど美しい、花嫁衣装に装った自分が立っていた。
気を付けて日焼けしないようにしてきた甲斐があった。白い肌に、赤い打掛が映えて実に華やかだ。髪は当日は結い上げるのかも知れないが、降ろしたままの艶やかな長い黒髪が、令和の時代の女子高校生というよりも大河ドラマに出てくる戦国の姫のように見える。
「うわあ、綺麗……うん、やっぱオシャレは我慢だわ」
だらけられる服装ももちろん好きだが、これは特別感が強すぎて「我慢も仕方ないか」と思える。
打掛の重さは、ふんだんにあしらわれた刺繍によるものも大きいだろう。
「仕方ないか。十二単だって20キロ近くあったっていうし。それに比べれば軽いよね」
鏡に向かって何度も角度を変え、掛下帯の結びで程良く膨らんだ背面の様子もなんとか見ることができた。裾を上げずに引いているので古びた畳の上だが優美に広がっていて、それを見ているだけでも思わずにやけてしまう。
「こんな立派な着物を私ひとりのために……友姫凄いじゃーん」
改めて姫役を射止めた幸運にひたっていると、玄関の方から祖母の声が聞こえた。
男性の声がして、誰かと話しているようだ。
「陽菜! 村長さんが来てくれたよ! あんまり綺麗だから見に来てくれって電話したんだ」
「えー、おばあちゃん、フライング過ぎない?」
紅を取ってくると言ってそのまま電話でも架けたのだろう。
祖母より少し歳上に見える「村長」は満面の笑みで部屋に上がってきた。
「陽菜ちゃん、久しぶりだねえ。おお、おお! こりゃまた、綺麗な花嫁姿だ。わざわざ東京からこのために来てくれて本当にありがとうなあ」
「村長さん、いつもお手紙やお祝いありがとうございます! 私、このお祭りをずっと楽しみにしてたんです。こうして衣装を着れてすっごい幸せ」
会ったことのある回数は少ないが、交流は持ち続けてきた相手だ。自然と親しげな雰囲気にもなる。
陽菜の言葉に村長が満足そうに頷いているとき、彼の後ろから思わぬ冷たい一言が響いた。
「豪華な衣装を着せられただけで舞い上がって……お気楽だね」
陽菜がそちらに目をやれば、祖母のすぐ側に陽菜と同じ年頃の少年がいた。
眼鏡のせいか賢そうに見えるが、たった今吐かれた言葉のせいで印象は最悪だ。
誰このイヤミ眼鏡? と村長に目で問いかければ、村長は彼の腕を掴んで引っ張ってきて無理矢理に頭を下げさせた。
「孫の
村長の孫、と言われて陽菜はピンときた。そういえば村長には陽菜と同い年の孫がいると聞いている。2ヶ月違いで学年は3月生まれの陽菜がひとつ上だが、彼がもし女の子に生まれていたら友姫候補だったのだろう。
この立派な衣装を見て、村の外の人間が祭の重役を担うことに拗ねているのかもしれない。そう思うと陽菜は思わずにっこりと笑っていた。
「初めましてだっけ? 小さい頃会った事ある? ま、いいや! 友姫をやらせてもらう岩崎陽菜だよ。瑞樹くん、だっけ? 女の子に生まれてたら村長さんのお孫さんだし友姫だったかも知れないね。
でも残念ー。友姫は私がやるんだ」
嫌味には嫌味で、との応酬に、瑞樹が陽菜の顔をひたと見据える。切れ長の目は明らかに陽菜を見下していた。
「お気楽をお気楽と言っただけ。挨拶だけって無理矢理連れてこられたのは僕もだよ。顔は見たから帰るね」
村長より細身に見える瑞樹は、掴まれていた腕を振り払ってその場を後にしていった。
今までに面と向かってこんなに冷たい言葉を言われたことがないので陽菜が膨れていると、村長が不憫になるほど頭を下げていた。
「悪かったね、家に帰ったら叱っておくから。どうか気を悪くしないで」
「大丈夫です。驚きましたけど」
祭が終わればきっと二度と会わない人間だ。村の他の人たちは陽菜に親切にしてくれるし、瑞樹ひとり態度が悪くても構いやしない。