どうも打掛は陽菜を喜ばせるために手前の部屋に置いてあったらしい。
祖母の部屋に隣接した隣室には、寝室から漏れ出るエアコンの冷気が漂っており、いくらかひんやりとしていた。
そこには純白の振袖や着付けに必要な小物が一式揃えられていた。振袖に歩み寄って目をこらせば、白一色に見えたそれが複雑な織りで地に模様を描いていることがわかる。
そっと陽菜が袖に触れると、正絹のとろりとした感触が指に残り、思わずうっとりとする。
「さてと、練習はしておいたけども着付けは時間が掛かるからねえ。そっちは閉めて、こっちは開けて。暑いと陽菜もたまらんだろ」
「うん」
祖母の言うとおりに入ってきた側の
全身を映せる鏡が置いてあったのでそれを通して祖母の着付けを見ていると、和装用ブラジャーと下着を身につけた上に
そういえば着物は寸胴体型が似合うと前に聞いたなと、陽菜は鏡に向かって苦笑した。
肌襦袢の上には長襦袢を着る。こちらも滑らかで質の良い手触りだ。脇の下の空いている部分から手を差し込まれて形を整えられ、衿は後ろに引き気味に形を整えられる。
裾は陽菜の身長に合う様に祖母が調節し、腰紐で一度結んで留められた。丈を調節したらまた全体の形を整えられ、さっきタオルを巻いたというのに伊達締めという帯のようなもので腹部を平らにするかのようにぐるぐる巻きにされる。
この辺りで陽菜はげんなりとし始めた。
エアコンは効いているが、2枚の重ね着をしているし、胸も圧迫されている。要所要所が締められているので苦しい。
花嫁衣装を着ることを楽しみにしていた陽菜に、母が時折苦笑していたのはこれが理由なのかと腑に落ちた。
着物を美しく着るための形ができあがると、いよいよ祖母が掛下を手にした。それが肩に掛けられ、長襦袢の袖を持たされた陽菜はその袖を掛下の袖の中に引き込む。
「着物、侮ってたかも……重い」
「まあ、正絹だからねえ。浴衣なんかは軽いけども」
まさに浴衣しか着たことがない陽菜にとっては、正絹の着物は酷く重く感じた。それでも、隣の部屋に飾られた華やかな打掛を着るためには必要なことと我慢することにして、背筋にぐっと力を込める。
祖母は着付けベルトを使って細やかに衿の見え方を調整し、真剣な顔で着付けに挑んでいる。
打掛はおはしょりを取らないが、掛下は取るらしい。これも陽菜の背丈に合わせて一度祖母が白い腰紐で結び、余った部分をまた伊達締めで平らに均していた。
どんだけお腹に巻いてるのと思わず問いかけたくなったとき、畳んで置いてあった白い帯を祖母が手にした。
「さあ陽菜、もうちょっと頑張んな。掛下帯を結んだら、打掛を着られるからね」
「う、うん。頑張る」
鏡の中の陽菜は、白一色に染め上げられていた。掛下の衿から覗く長襦袢の衿は同じ白でも色合いが違い、掛下帯も白一色に見えるが桜の模様が光の加減で浮き出てくる。
「でもちょっと、自分が将来本当に結婚するときは、ウエディングドレスでいいかなとか思ったりしたわ……」
「……それは好きにしたらいいさ。陽菜の母さんはお色直しでウエディングドレスも白無垢も着てたけどね」
祖母は陽菜の後ろでぎゅうぎゅうと帯を結んでいる。思わぬ力で締め上げられて、陽菜は足を踏ん張らなければならなかった。
だから陽菜には、祖母がその時の答えに一瞬間を開けたのは何故なのか、どういう顔をしていたのか、知る由はなかった。