耳の横に大きな手があって、私の視界が暗くなりました。視線の先には私を見下ろす旦那が居ました。脱がされるのだろうか、と身体を強張らせ構えていたら、耳を覆うように撫でて、裏を指先でなぞるように撫でられました。それがとても気持ちよくて、私はまるで猫になった気分でその掌に頬をすり寄せました。すると、反対の頬に口づけが落とされて、うなじを優しく撫でられました。
撫でた後にまた口づけが落ちて、今度は鎖骨を撫でられました。
また口づけが落ちてきて、手は私のシャツのボタンをあけ、谷間を人差し指で少しなぞって、また唇が――。
ひたすらに優しい指先と唇の愛撫に、私は、本当に久しぶりに、欲を感じました。
そこに悪女の仮面などありません。
心の底から愛されたくて、愛したい、私の表の気持ちしかありません。今まで隠すことに必死でしたが、今はもう隠す必要はないでしょう。
むしろ、これでもかと曝け出して、素っ裸になるべきなのです。
「脱がしていいか?」
ああ。
旦那は、なんて優しいのでしょう。
勝手に脱がさず、許可を得てくれる。
嬉しい、と同時に、私は自分で脱いだ方が早いのではないかと思いました。
「自分で脱いだ方が……いい?」
思ってそのまま私がそう口にすると、旦那は少し驚いたように目を見開きました。
その反応に不思議に思いましたが、私の言葉はある意味『やる気満々です』という答えにもなります。そこに思い当たり、私は全身が顔ごと燃え上がるのを感じました。
「あ、や、今の、なし、で」
「ダーメ。顔見せて」
「や……はずかし……」
「やだ、見たい。美愛の可愛い顔」
手の甲で一生懸命隠そうとしましたが、嬉しそうな響きを持った声で旦那はそれを制します。でも、強引だとか、無理矢理手首をつかむとかじゃなくて、優しくそっと前髪をどけるように制していたので、その優しさに抵抗できなくて私は目が潤むのを止めることなく優しい旦那を見上げました。
「……やば、ズボン、無理、きっつい」
言いながら、旦那はズボンのベルトを緩め、さっさと脱ぎ棄てました。そしてシャツも脱ぎ、みるみる全裸になっていく旦那に、私も反射的に自分の服を脱ぎました。
「下は、俺にやらせて」
上半身だけ下着姿になった私に旦那は囁くように告げると、慣れた手つきでするっと脱がせてくれました。衣擦れさえもどこか官能的で、私は「ん、」と声を立ててしまいました。それだけで、露わになった旦那様が反応するのが視界の端に見えてしまい、私は思わず顔をそむけました。
「美愛」
私の下着を器用に脱がしながら、旦那が囁く。
私が敏感に反応する場所をすぐに見つけて、唇で撫でるように口づける。
くすぐったいけど、気持ちいい感覚に私は身を任せて吐息を押し殺さず漏らしました。
「隆一郎」
名前を呼んで、私は両手を伸ばしました。
そんな私を受け入れるように首を差し出す旦那が愛しくて、私は彼にしがみつきました。
「愛してる」
低く、囁くような声が愛おしい。
嬉しくて、たまらない。
直接の肌の触れ合いも全く怖くなくて、私は幸福で目尻から涙が伝うのを感じました。
「私も」
囁いて、息を吸って。
私は、彼の首元にキスをする。
「愛してるわ」
吐息を絡ませて
露出した肌に唇を這わす
妖艶で、濃厚で、幸福なその時間を。
私たちは、愛を囁き合いながら堪能しました。
私は、今までの苦痛を全て覆ってもらうのを求めるがごとく、何度も両手を広げて伸ばしました。
旦那も、今までの寂しさや恋しさを全て埋めるかのように私を求め続け、何度も名前を呼び切ない声を上げました。
そうして濃密な時間を過ごした私たちは、終わった後、服を着て、ソフトなキスをして、子どもが眠る寝室に共に移動して、家族みんなで一緒に眠りに落ちました。
――ふと、私は夜中に目を覚ましました。
傍らでは、旦那と子どもが寝ています。
音を立てぬようそっと抜け出し、私は寝室を出ました。
ひんやりとする部屋の中を足音を立てずに歩き、自分のカバンがしまってある押し入れに辿り着いた私は静かに開け、カバンを取り出し、外側のポケットに手を突っ込みました。
そうして取り出したのは、お店の広告が入ったポケットティッシュです。
喫茶店に面接へ行った時、店長が私にくださったポケットティッシュ。
まさか5個も余るとは思いませんでしたが、15個程度で足りたのは予想外でありながら好都合でした。私はティッシュに入った広告を全て抜き取り、一枚一枚丁寧に爪程の大きさに細かくちぎってごみ箱に捨てました。流石にティッシュは実用可能なものなので、捨てると勿体ないですしね。
にしても、配らずとも、置いてくるだけで集客になるとは。広告って凄いですね。治安が悪いだの、不倫している人をよく見かけるだの、女に飢えた男が多いだのという町の裏サイトを頼りにティッシュを置いてきてみて正解でした。目に入るけど、拾いはしない、でも拾うかもしれないという高さと位置を見つけるのは大変でしたが、バイトの帰りに数個ずつ置いていった甲斐はあったようです。
ただのティッシュとなったものたちを大事にカバンに入れなおして私は笑います。
「ありがとう」
さて、これは誰に対してのお礼でしょう?
私自身、よくわかりません。
ただ、お礼を言いたくなったんですよね。