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7-⑬


 その後、家に帰った私は楓さんからの『力になれなくてごめん』というメッセージに『そんなことないです。とても助かりました。ありがとうございます』と簡潔な言葉を並べて返事をしました。そうして晩御飯の準備をし、子どもの入浴や歯磨きも終えて、寝かしつけた頃。

 旦那が、帰ってきました。

 心の準備をしっかり整えていた悪女は目尻に涙を浮かべて、帰宅したばかりの旦那に抱き着きました。


「ただい……え? お、おい、どうしたんだ急に」


 最近、抱擁する時はお互いが向かい合ってそっとハグをする、程度でした。もしくは、旦那がこらえきれなくてバックハグをする、というのもよくありました。だから、私から抱き着くことなど滅多になく、ましてや、勢いよく前から抱き着くなど何年ぶりだろう、と言えるほどのことでした。旦那が困惑するのも当然と言えるでしょう。


「抱きしめて……」


 涙に濡れた私の声に旦那はハッと身体を強張らせると、大事であるはずのカバンを床に捨てるように投げて両腕で私をきつくきつく抱きしめてくれました。その力強さに息が苦しくなりましたが、私は逞しい彼の胸元に顔を埋め、背に回した手にさらに力を込めました。


「……どうしたんだ、何があった?」


 優しく耳元で尋ねる声に、私は肩を震わせ、胸元に顔を隠したまましゃくりあげました。


「私……っ、やっぱり……ダメだった……!」

「何が、ダメだったんだ?」

「男の人が、全部、全部……!」


 それを言うと、旦那の身体が強張る様子が伝わってきました。

 離れようとする動きに気づいた私は、さらに腕に力をこめてしがみつくように抱き着きました。その私の行動は非常に珍しく、旦那は戸惑ったのでしょう。そんな旦那の動揺に追い打ちをかけるように、私は涙に濡れた顔を上げ、彼の表情を見上げました。


「美愛……?」


 揺れる瞳は、困惑の色を帯びていました。

 その奥に、期待の色が浮かぶのを、私は見逃しませんでした。


「隆一郎……」


 私は少し背伸びをして、その唇に自分の唇を触れさせました。


 本当は怖かったです。

 恐らく、身体は震えていたでしょうし、それを旦那も気づいていたと思います。


 けれど、きっと、欲望にも、逆らえなかったのでしょう。


「私、今、わかったの……隆一郎とは、こうして触れ合うのは大丈夫だって。でも、隆一郎以外のひととはもう、関われない……無理になっちゃった……こんな私でも……好きで、いてくれる……? こんな……欠陥品な私を……」


 言葉を紡ぎながら私は涙と共に悪女の仮面を落としました。

 感情が揺らいで仕方ない表の私は、旦那の目を見つめながら顔を歪めて必死に話を続けました。


「こんな、ダメで、普通じゃなくて、仕事も続かなくて」


 過ちを犯して、皆を騙して、迷惑をかけて


「人と普通に関われなくて、すぐに泣いちゃう」


 自分勝手な思いで真っ黒に染まった


「私を……愛して、くれる?」

「愛すさ!」


 旦那は私の言葉に迷いなく答え、再び抱きしめてくれました。その抱擁はとても力強かったですが、今までで一番優しくてあったかいものでした。


「……キス、していいか」

「うん」

「触って、いいか」

「うん」

「……最後まで、して、いいか」

「……」


 こく、と私が頷くと、旦那は優しく私の顎を掬い上げてくれました。

 そっと唇をくっつけて、味わうように上唇と下唇を甘く食んで、舌がそっと入れられました。まさかすぐに入り込んでくるとは思わず肩をびくっと跳ね上げてしまいましたが、熱のこもったキスは味も、匂いも麻痺させて、脳を甘美に震わせてきますから、私は、受け入れて口を少し開けて、彼の舌をたどるように絡ませました。

 その間に腰に手が回され、服をまくり上げられる感覚がありました。

 ザザ、と消したい思い出が過りましたが、それを上塗りするように旦那の手の動きだけに集中して、私は彼の首に両腕を回し深くキスを味わいました。そんな私の反応が乗り気だと感じたのでしょう。旦那は私の腰に手を回し、キスをしながら膝に手を回して私をお姫様のように抱き上げて寝室へと運んでくれました。

 乱暴に置かれはしないだろうか、と一抹の不安が過りましたが、予想以上に旦那は優しかったです。

 まるで壊れ物でも扱うように、そっとベッドに私を横たわらせました。ふか、とした布団の弾力に私の背には安心感と心地よさが広がっていました。

 ぎし、と耳の横で音が鳴りました。

 唇を離した旦那が、私に覆いかぶさるためにベッドに上がったからです。

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