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7-⑫

「今他に人がいないから連れていけるんじゃねぇか?」

「流石にそれは犯罪だろ」

「合意の上だったら大丈夫じゃね?」


 若いお二人はそう言葉を交わした後、眼鏡の男性を見やりました。その視線を受けた男性は、にこりと微笑み眼鏡をかけ直すと――邪悪な笑みを浮かべました。


「断れないように上手くやってみなさい」


 その言葉に、私の意見や心への気遣いなど一切ないのでしょう。


「あの、困ります。離してください」

「大丈夫大丈夫。嫌よ嫌よもOKの内って」

「や……っ……!」


 私は振りほどこうとしましたが、動けなくなってしまいました。

 嫌でも、なんとか抵抗しないとダメなのに。

 私は、目の前で立ち上がった男性に腰を触られた瞬間、何も出来なくなってしまったのです。まさかそんな急に、身体に触れられるなんて思ってもみなかったので、私の脳が状況に全くついていってくれませんでした。

 それが恐怖での硬直だとわかったのは「ああ、怖がると動けないタイプなんだ?」と男性方が気味の悪い笑みを浮かべて言ったからです。


 どうにもできない


 そう悟った私が言葉を失い、動けず、涙を頬に伝わせた時でした。


「美愛ちゃん!!」


 この状況に気づいた楓さんが飛んできて私の視界を覆うように抱きしめてくれました。その温もりと匂いに安堵した私は「あ……かえ……さ……」と上手く回らない口で彼女の名を呼びながらその背中に手を回し、彼女の制服の背をぎゅっと握りました。


「店員の迷惑行為はご遠慮願います。先ほど警察を呼びました。あと5分で着くとのことでしたので、覚悟してください」

「は!?」


 男たちが素っ頓狂な声を上げ、唯一声を上げなかった眼鏡の男性は静かに立ち上がり「やぁやぁ、急用を思い出した。冷やかしになってしまうが、申し訳ないが帰らせていただこう」と口早に言い混乱している2人を置いて早々に退店なされました。あまりの逃げの素早さに男たちは口をぽっかりと開けて見送っていましたが、ドアのチリンリンという鈴の音にハッと我に返るとお互い顔を見合わせておられました。


「お、おれたちも早く帰らねぇとやべぇよな?」

「だよな……ああくそ! 良い思い出来るって話じゃなかったのかよ」

「知らねぇよ、俺もそう思ってたよ! さっさと出るぞ!」

「あーくそ! 本当クソ! 二度と来るかこんなとこ!」


 負け犬の遠吠えの模範のようなお言葉を吐いて足音を荒々しく立てながら退店されるお2人。ドアを力任せに開けたので壊れそうな軋む音が聞こえましたが、幸い頑丈な作りだったようで閉まる時は穏やかに鈴を鳴らしながらひとりでに閉まってくれました。

 ドアが閉まり、男性たちの影も見えなくなったところで、楓さんがホッと息をつくのが頭の上から聞こえました。同時に、私を抱きしめる手が震え始めて、楓さんも怖かったのだと気付き申し訳なく思いましたが、「もう大丈夫だからね」「けがはない?」という楓さんの言葉を聞きながら悪女は涙を流しました。



「私、やっぱり……男性が、怖いです……」



 震える言葉を紡ぎながら、楓さんの胸元で私は笑みを隠しきりました。

 泣いて震えて顔を上げれないでいる、と思っている楓さんはどうにか言葉を返そうと悩む素振りをしていましたが、笑みを引っ込め感情を削ぎ落した表情を作った私が離れて顔を上げると、もう私の退勤時間帯となっていました。私の表情を見て息を飲む楓さんの視線に「もう、帰らないとですね」と単調な響きの言葉を投げ、私は背を向けました。


 心の内にもやもやとしたものを抱えていたままだったことでしょう。

 けれど、時間というものは黙っていても過ぎていきます。

 だからその『触れそうだけど触れない空気』を利用して、私は次の手にうつるのです。


 心地よくない沈黙を纏いながら退勤するべくタイムカードのある場所へ向かいながら、私は、もっと上手く悪女になればもっと悲観的な状況を作れたのではないかと考えていました。でも、別に示し合わせたものではなく、全て自然と起きていたものです。悪女になりすぎると、悲劇が起こりやすいと物語では語られます。だから、これ以上上手く悪女になっていたら……私の身に望まない危険が降りかかっていたことでしょう。


 その危険が起きたことを『もしも』で想像すれば。


 私の身体は、簡単に恐怖に染まります


「大丈夫だったかい?」

「ひっ……!」


 優しい店長の言葉に私は反射的に怯えた声を上げ、後ずさってしまいました。その姿に、私が決して大丈夫ではないことが返事をしなくとも察してくださった2人は――悲し気に表情を曇らせました。


 その日から悪女は、店長とも言葉を交わすことが出来なくなりました。


 日を空けてから一週間通勤してみましたが、店長が横に並ぶだけで私の身体は怯え、震えました。少し前まで、お互い笑みを浮かべながら洗い物をしていたのに……もうその頃が、はるか昔のように感じるほどでした。


「すみません……」

「いや……しかたないね」


 店長に頭を下げる私の手には、退職届。

 店長は悲し気にその紙を受け取ってくれました。

 それを横で見守る楓さんの表情は……流石に、見ることが出来ませんでした。


「お世話に、なりました。お仕事は、本当に、本当に……楽しかったです」

「……最後に、そう言ってもらえるだけでも儂は幸せだよ」


 店長と面と向かって話す、最後の瞬間でした。


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