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7-⑦

「え、旦那さんに全部話したの?」


 驚くと共に、焦っている様子も表情に滲ませた楓さんに私は頷きました。


「はい。最初はちょっと悩んでいたのですが、私の様子が可笑しいのに気づかれてしまって。嘘を吐くわけにもいきませんし……話したんです。そしたら、ですね。抱きしめてもいいかって言われて……」

「え! 旦那さんと、触れ合えたの?」


 楓さんの表情は一変、今度は好奇心にあふれたキラキラとした表情に変わりました。コロコロ変わる様子に私は思わず口元が緩むのを感じながら、再び頷きました。


「ほんの少しですけど、ぎゅっとしてもらいました。そしたら、不思議と落ち着いたんです。安心感、ていうんですかね。ハグって、あんなに落ち着くものだったんですね。だから、不安なことがあった時だったり……というか、一日一回、ハグすることから初めて、大丈夫だなって思ったら、触って貰う所増やそうかなって思ってます」

「おおおお! よ、よかったぁ、凄く進展してて! 美愛ちゃんにとって悪いことばかりじゃないことが何よりだよぉ」


 喜んでくれる楓さんに微笑みを返しながら私は昨晩のことを思い出していました。

 本当は、最初は物凄く緊迫した修羅場でした。

 私の様子が可笑しいことに気づいた旦那は「話を聞いてほしい」と静かに言い、テーブルを挟んで対面で座り合いました。座って、数秒の沈黙の後に発せられた一言目が「嫌なことがあって耐えられないなら辞めていい」でした。その後すぐに「辛そうにしている美愛を見ている方が俺は耐えられない」と涙声で言われたのです。私としては仕事を続けないと意味がありません。まだ、私の悪事を塗りつぶせるほどのことが一つもないのですから。けれど、これ以上旦那をないがしろにすることも憚られました。頭を抱える旦那は、私が拒絶の言葉をかければ「ごめん、好きにしていい、この話はなかったことで」と私の意志を尊重してくれることでしょう。けれど同時に、夫婦の間の溝は埋められないほど深くなってしまうことが容易に想像ができます。

 それでは、全て意味がありません。

 私の目的は、私の悪事が一度もなかったかのように前のように戻る事なのです。

 私は、家族が大好きなのです。

 幸せなまま、家族一緒に生きていたいのです。


 だから私は

 さらなる悪女となるために旦那に自ら触れました



『美愛……?』


 頭を抱え苦悶する旦那を包み込むように、私は旦那を抱きしめていました。

 胸元をわざと横顔に押し付けるように。

 少し顔を動かせば、鼻先に触れる私の胸。

 その事実に、旦那の喉が緊張で上下するのが見えました。

 もう、かれこれ1ヶ月以上はしていませんから、仕方がないことでしょう。


『……仕事をしていたらね……疲れる、でしょ? そしたら……なんだか、こうして、隆一郎と触れたいと思うの……』


 囁くように言葉を紡いで、私は一度離れました。

 旦那の表情を見るとどこか寂し気で、名残惜しそうに私の胸元を見ていました。なんだかんだと、欲望に単純な彼の視線はとてもわかりやすいです。私は微笑み、両手を広げました。


『ギュ、と……して?』


 私なりに、可愛く首を傾げてみたのは効果があったでしょうか。

 あったと思いたいですね。だから、旦那がすぐ立ち上がって、私を力強く抱きしめてくれたのだと思います。少し痛いぐらいでしたが、私は痛いという言葉を飲み込んだ変わりに安堵の息を漏らしながら大きな背中に手を回しました。


『……時々、こうやって触れ合わない?』

『いいのか?』

『うん……仕事してたら、むしろ、こうして触れ合いたくなる』

『……多分俺は、すぐにその先までするぞ』

『すぐには難しいけど……夫婦だもん。私の震えが大丈夫だったら……いいよ』

『……っ、美愛……!』



 ――思い出すのは、ここまでで止めて、私は楓さんに「そういえば琴ちゃんは最近どうですか?」と微笑みました。


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