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7-④

 すると楓さんは身を乗り出し「そんなことにさせないわ」と強く言い放ちました。その表情から察するに、直球に聞いてしまったことの後ろめたさがあるのでしょう。自らの身を切ってでも、私へ協力しようという強い意志が伺える純粋な瞳の色が見えました。


「そうだ、私との交友関係を許されているなら、時短で、私と同じ職場で働いてみるというのはどうかしら?」

「楓さんと、同じ職場……?」

「そう。喫茶店の店員なんだけどね、しんどい時は裏方に居て貰って、調子が良さそうな時にはホームに立つ。お店自体が小さくて、お客さんもお年寄りや女性ばかりだからやりやすいの。あと、私のシフトね、私が大体1人で出来るからって調理の人以外はレジやホームに立つのは私しかいないのよ。でも、同じ時間帯に美愛ちゃんが入ってくれたら、私のお手伝いをして貰えるし、店長もこれから私の『人が足りない!』という文句を聞かなくてよくなるしwinwinのはず。だから……どうかしら?」

「スゴク嬉しい。でも……楓さんの迷惑に、本当にならない?」

「何言ってるの。私たち、親友でしょ?」


 親友。

 初めて言われたその言葉に、私は「嬉しい……楓さん、ありがとう。よろしくお願いします」と答えながら、仮面の裏で、予想以上にうまくいったと楓さんを嘲笑う悪女の私が居ました。上手く笑える自信がなかったので、おしぼりで口元を隠したままでよかったです。

 これから私は、自分の表情を隠すためにもタオルを持ち歩くことが必要だと、この時強く感じました。


 表と裏を、上手に使い分けるために。


 結果的に、楓さんのこの提案は旦那が「また前のように話せるようになるなら、楓さんの好意に甘えよう。俺ももう、何も言わない。好きにしてくれ」と、何処かしおらしい様子で言いました。夫婦での会話が減っていましたので、旦那なりに顔を合わせていないところで思うことがあったのでしょうか。夫婦関係がこのようになってしまった根幹は私ですが、遅からず、何事もなく過ごしていてもいつかこうなるだろうと私は思っていました。旦那はいいお父さんであり頼れる夫でもありますが、いつだって自分が優位として意見を曲げません。その時には必ず、私だけでなく子どもの意見も無碍にされます。一歩間違えれば家庭崩壊となってしまう状況ですが、いきなり崩壊するのを防げたと思えば御の字でしょう。


 だって、この危うい状況こそが、悪女である私の隠れ蓑なのですから。


 対応を少しでも間違えれば、一つの家庭がなくなる。そう感じ、何故か責任を感じてしまっている楓さんは非常に頑張ってくれました。そう感じるよう、楓さんの純粋さを利用して私が立ちまわっていたせいでもありますが、楓さんは私の予想をはるかに上回る誠実さをもった女性だったのです。

 楓さんの職場に面接へ行った所、おじいちゃん、と呼びたくなるようなおっとりとした男性が出迎えてくれました。


「綺麗な人やなぁ。そうかぁ、楓ちゃんのお友達かぁ。勿論ええよぉ、むしろ大歓迎や。これからよろしゅうになぁ」


 ゆったりとしたリズムで話す店長さんには、私は恐怖を抱きませんでした。むしろ自分の親のような、言葉に言い表せない安心感を与えるような空気を感じ、私は自然に微笑みながら「よろしくお願いします」と答えることが出来ました。


「よかった。店長さんなら大丈夫だと思ってたの。なんだか、実家のような安心感? ていったらぴったりかな? まぁ、なんかそんな感じがする店長さんで話しやすくてさ。まぁ、どんな人の意見もほいほい聞いてあんまり否定しないから、学生バイトさんが多くてさ。だから人の入れ替わりが激しいのなんの。でも、理不尽な人にはちゃんと厳しい店長さんだから……私みたいな正規職員は入れ替わりが全くないのよ」


 パチ、と明るくウインクする楓さんの表情から、この職場がとてもいい所だと私も感じました。家族が上手く円満に戻れば、私もここでパートとして暫く居ていたいと思う程、店内は程よくお洒落で雰囲気が穏やかで、常連として通いたいとも思う程私はお店が気に入りました。


「最初はホールは私に任せて。美愛ちゃんは洗い物とか食器の用意をお願い。後お水の補充と……私の手がふさがっている時にレジを頼みたいの。機械の操作はわかる?」

「はい、このレジの傍のメモがとても丁寧でわかりやすいので大丈夫です。絵があるからとてもわかりやすくて。すごくやりやすいです」

「それ、店長作なの。フフ、あの人、自分がわかりやすいように描いたって言ってたけど、新しく入った人誰もがわかりやすいように工夫してくれたのよ。絵が得意らしいけど、本当にすごいよね。細かい気配りも出来ていて……最高の店長よ。私、職場に恵まれてるの」


 嬉しそうに話す楓さんの話を聞きながら、そういえば、楓さんから職場の愚痴というのは聞いたことがなかったな、と私は思い当たりました。大智君の愚痴や、小学校の保護者会が面倒くさいという話は何度も聞きましたが、その中で職場の愚痴だけはありませんでした。つまりそれは、愚痴が出ないほど、楓さんに居心地のいい場所と言えるのでしょう。


「とても、素敵です」


 私は、面接が終わる時に店長さんからもらった、お店の広告が入ったティッシュをぎゅっと握りしめて笑いました。




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