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5-③

「わかったわ。家のことにもっと気を付ける。でも、私が疲れた時は家事を手伝ってほしい。共働きってそういうものでしょう?」

「だから、俺が、お前を働くことを必要としてなくて家にいていいと言ってるんだ! 俺に養われるだけでいいって言ってるだろう! 俺は結婚する時に家のことは基本お前に任せたいと言っていた筈だ。勿論最低限のことはする、今だって全部任せているわけじゃないだろう。風呂掃除や俺の部屋の掃除は俺が基本になっているじゃないか。俺は働き続けていても変わらずやり続けている。けれどお前はどうだ? 働き始めたことによって前のように保てていないじゃないか。なら、金が大丈夫なら働くのを辞めて家の方に専念するのが当たり前だろう。どうして働くことに執着しているんだ!」

「私を家に縛り付けようと執着しているのは貴男の方じゃない? 自分が自由に使えるお金があった方が私も安心するの。それに年を重ねていったら何が起こるかわからないじゃない。だから、将来の安心のためにも私は今のいい環境の職場で働いていたいの」

「将来じゃなく俺は今の話をしているんだ。俺がいいって言ってるだろう。なんでそんなに意地になっているんだ!……いや、もういい。わかった。そうだ、別にお前の許可なんて求める必要ない」


 子どもたちが寝静まったとある夜。私は旦那と口論になっていました。思えば、この口論はお互いが無駄に意固地になっている子どもの喧嘩のようなものでした。口論している間、私は頭の中で『なんてくだらない言い合いなのだろう』とわかってはいたのですが、自分の意見をこうもずっと否定されると流石の私もカチンときてしまいどんどん言い返してしまっていました。心もざわざわと落ち着かない状態になってしまい、かなりヒートアップした口調となっていたことでしょう。

 その結果、旦那が強硬手段に出たのです。


「え、ちょっと、なんで私のスマホを持っていくの?」


 口論を諦めたかのように見えた旦那は、突然、テーブルに放置されていた私のスマホを手に取り背を向けたのです。流石にそれには心の底から焦ってしまった私は思わず旦那の腕を掴み、この場から去ろうとする動きを止めました。旦那は止まって振り向いてくれましたが、私に向けられた目はとても冷ややかで、私は思わず息を飲みました。その際に手の力も緩んでしまったようで、旦那が軽く腕を振っただけで私の手から離れてしまいました。


「電話する」


 視線と同じくらい冷ややかな言葉に、どこに、と聞かずとも察してしまった私の顔は恐らく青くなっていたことでしょう。


「ダ、ダメ! それはだめよ! 職場の人に迷惑よ!?」

「どうせ辞めるんだ。迷惑もくそもねぇだろ」

「だから私は辞めるつもりはないんだってさっきから」

「だからだ。俺の言うことを聞かねぇなら勝手にやる」


 旦那はそう言って私のスマホを起動しようとしましたが、子どもに悪戯されないよう指紋ロックをしている為すぐの起動は叶いませんでした。それを見てホッとしたのも束の間、すぐに出てきたパスコード画面を見て旦那は手当たり次第に数字を打ち始めます。最初は私の誕生日の逆から。次に旦那の誕生日の逆から。次に子ども。今度は子ども2人の誕生日数を合わせた数を。打ち込んでいく数字を見て、徐々に正解に近づいていると気付いた私は「ねぇ、やめて。お願いだからやめてってば」と旦那の腕を引っ張りました。けれど、少し引っ張る程度では彼の腕はビクともしません。力の差に愕然とした私ですが、ここで諦めてしまってはいけません。私は、仕事を続けなければいけないのです。家族のために。今の幸せを保つために。


「ねぇお願い、やめて。私の話を――」

「うるせぇ!」


 しつこく腕を引っ張る私の手が鬱陶しかったのでしょう。そうでなくても、イライラが溜まっていたこともあったのでしょう。

 旦那が、勢いよく腕を払いのけました。

 力いっぱい振った腕は、肘を曲げながらであったがために私のおでこに強くぶつかりました。その衝撃と勢いに私は手を離し、床に倒れました。背中に走る強い衝撃に私は呻き、すぐに立ち上がれず腰を抑えながらそのまま床で蹲ってしまいました。その間にパスコードを解除した旦那は私の職場に電話をかけていました。



「もしもし。突然のお電話失礼いたします。川崎美愛かわさきみあの夫の川崎隆一郎かわさきりゅういちろうと申します。本日お電話させていただきましたのはウチの妻を退職させていただくためでして――」


 ああ、電話されてしまった。

 これで私は折角手に入れた理想の職場で働くことはもうできないでしょう。

 倒れた時に頭を打ちつけたらしく、少々の頭痛を感じる中、私は頭を抱えそのまま床に倒れ込みました。意識が遠のく中、旦那が歯科医の先生に退職の流れを話しているのが聞こえました。その声はよそ行きのためか非常に穏やかで、私はそれにどこか心地よさのようなものを感じながら目を閉じていきました。



 ――家族の問題に周りを巻き込んだのは申し訳ない、ですが


 手を出してもらえたのならば、こちらのものです。


 無関係の人ごめんなさい。

 そして、ありがとう旦那様。


 私の計画通りに動いてくれて。


 意識を閉じた私は、もしかすると、口角を上げて笑っていたのかもしれませんね。








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