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5.だから私は、悪い女になりきろうと思います。

 結果的に、行為は最悪でした。ずっと背徳感がのしかかり、気持ちいいのは本当の一瞬だけ。何より、私の感覚はどこか可笑しかったらしく、痛かったはずの行為も全く痛みを感じなかったのです。だから、恐らく、私の身体はお酒の過剰摂取によりあらゆる感覚がマヒしていたのでしょう。

 彼が果てた様子を感じてすぐに頭がすっきりし始めたので、余韻で寝転ぶ彼を捨ておいて私はさっさとシャワーを浴びました。自分でも病的だと思うほど念入りに綺麗にし、水滴一つ残らず拭いとるかのようにふわふわとした心地よい真っ白なタオルで拭きとり、ドライヤーで乾かし、ベッドの横に置いてあるコロコロクリーナーを見つけると服のあちこちを念入りに掃除し、纏いました。そのまま居酒屋と出た時と変わらぬような化粧をあっという間に施していく私に「すげぇ念入りなのな」とどこか寂しそうな声が聞こえてきました。


「過去にするんでしょう?」


 言いながらスマホの画面をつけて時間を確認した私は、今すぐ帰ればいつも通りの時間に帰れると確信し内心安堵しました。でもすぐに「まぁ、そうだけど。流石に、ドライすぎねぇ?」と声をかけられ、私の安堵はかき消されました。


「なかったことにするぐらいが丁度いいのよ」

「そうだけどさぁ……それはそれで、やっぱなんか、寂しいな」

「お互い家族があるし、家族が大切なら当たり前」

「……でも……」

「私」


 彼の言葉を遮るように語気を強めて言い放ち、私はドレッサーから立ち上がりました。ここに来たのは私の人生の汚点となりますが、全ての証拠を隠滅するための道具が皮肉にも揃っているのでそこだけはよかったと思えてしまいます。鏡に映る虚ろな私に、私は微笑みました。

 もう、起きてしまったことは覆せない。

 なら、覆い隠すほどの何かをするしかない。

 私がこの行為全てをなかったことにしたいのなら。

 裏に隠してしまうなら、それを塵としか認識できない程の、表で大きい何かを作りましょう。

 だからひとまず今は、元通りに戻ることを意識しましょう。


「家族が一番大事だもの。それじゃあ、明日から元通りなんだからいつも通りによろしくね。来週は家族で遊園地でしょ? いっぱい遊ぶのを子どもたちも楽しみにしてるわ。お互い、よろしくね」

「あ、ああ……」

「それじゃあ、支払いはよろしく。そこは男らしくしてね」

「それは勿論、無理矢理連れてきたのは俺だし……ぁ」


 パシ、と両手で口を覆う大智君と、ぐるりと勢いよく振り向いた私の行動は同時でした。口を覆って目を泳がせる彼を見て、なんとなく感じていた予感が的中したことを確信した私は、自分自身から自嘲気味な笑みが漏れるのを感じましたが隠しもしませんでした。

 いつもは酔わないのに、記憶をなくすほど酔ってしまった。

 てっきり、羽目を外してしまったのか、いつもはない状況に変な緊張をしてしまい酔いが回ってしまったのか、と思っていましたが。


 やっぱり、彼のになっていたのでしょう。


「じゃあね、米田君」


 私はその言葉を投げた後すぐに部屋を出ました。そしてエレベーターに乗り、1階のボタンを押しました。幸い、エレベーターは一人でした。狭いエレベーターの中、5階からゆっくりと降りていくエレベーターの振動を背中から感じながら、私は腰元にある手すりに手をかけてもたれかかっていました。そして、頬が濡れていくのを感じました。

「アハ……アハハ……」


 彼と飲んだのは、何回目だったでしょうか。いや、もう、数えるのを辞めたぐらいになるほど飲んだから、きっと、彼は行動に移したのでしょう。慣れないことに直面するとついつい飲み物を飲んでしまう私の癖を見抜くほど、一緒に時間を共にしたから。


「フフ……アハハハハハ!」


 私は、馬鹿みたいに涙を流しながら、3階へと点滅するエレベーターを見上げ声を上げ笑いました。


 のでしょう。


 そういえば、最後のみかん酒は味がしなかったし、心なしか苦かった。彼の手がグラスから近かったような気もします。でも、味は緊張のせいだと思いましたし、味わう余裕もその時にはありませんでした。手だって、私が変に意識してしまったからそう覚えてしまっているだけかもしれません。

 だから、そう。


 全て、私の油断のせい。

 私が、悪いのだ。


 私が悪いからこんなことになったのだ。


「バーカ!アハハ!子持ちが男女で飲んじゃダメなんだよ!子持ち同士でも!アハハハハ!」


 子どもがいるなら。

 旦那がいるなら。

 家庭を持っているなら。

 例え仲のいい友達であろうが、男女が二人で飲み歩いてはいけない。

 世間一般のこの思考は間違っていないのだ。

 私の感覚が間違っているのだ。

 仲のいい友達とであれば、男女関係なく、人数関係なく、飲んでもいいなんて都合のいい甘い考えは。


「アハハハ!……ハハ……あーあ……」


 例えその関係を伴侶同士が許してくれようとも。

 理解してくれようとも。

 男女である限り、ダメなのだ。


「……ハァ」


 私は涙を拭いました。少し枯れた声を元に戻すように、常に持ち歩いているミネラルウォーターをカバンから取り出して潤しました。そして、咳を一つして。


 私は、感情のを封じました。


「悪女って、どんな感じかしらね」


 ポン、とエレベーターが鳴り、扉が開く。

 私はその扉が開ききってから、一歩踏み出しました。

 背筋を伸ばし、前を見据え、堂々と。


 こうなったからには私は覚悟を決めます。


 家族を。

 家庭を。

 自分を守るために。


 私は、この事実のせいで旦那を傷つけてしまうだけでなく、彼さえも傷つける悪女になってやりましょう。


 そのために、私は翌月の始め。

 そろそろ分厚いコートが必要と感じる季節が訪れ始めた頃。

 働くことを始めました。









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