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呼ばれたから04



 *  *  *


 アトリエから続く隣の部屋では、ジークが安らかな寝息を立てている。廊下に出て奥に行った先の部屋では、アンリが三角のナイトキャップ――材質は魔法を織り込んだシルク――を被って就寝していた。


 リュシーが窓から抜け出して以降、どの部屋もしんと静まり返っている。

 今夜は風もほとんどないため、開いている窓にかかっているカーテンさえもほんの微かに揺れているだけだ。


 そんな中、ジークは穏やかな夢を見始める。


 夢の中で擬似的にでも処理できれば手っ取り早いと、そういった説明を受けたことはあった。あったものの、実際にそれを体験したことがないジークには、いまいちそれが理解できていなかった。


 ――けれども、それが今なら何となく分かる。


 気がつくと、とてもいい匂いがしていた。

 優しくて甘い……それでいて酷く官能を擽るような、不思議な香りが漂っている。

 かと思うと、まるで誰かに抱き締められたみたいに身体が温かくなり、


「ジーク……」


 その耳元に、いつかのように囁くような声が落とされた。


「――はい……」


 それにジークは素直に答えた。

 待っていたみたいに、嬉しそうに。



 *  *


 ベッドから足を下ろすと、その先においてあったブーツの片方がぱたんと倒れた。

 にもかかわらず、ジークは何も聞こえなかったかのようにぺたぺたと裸足のまま歩き出す。


「――……」


 袖を通し、前を合わせた部屋着は一本の腰紐で縛ってあるだけだ。すでに着崩れかけていたそれが、一歩一歩進むごとにますます緩んでいく。

 けれども、それすら一切気にする素振りもなく、ジークはただ無言でアトリエへと続く扉に手をかける。


 その眼差しはどこか茫洋としてつかみどころがない。そのわりにしっかりと開かれており、それどころか笑うように細められていたりもする。薄く隙間を作ったままの唇も誘うように口角が引き上げられていて、明らかに纏う空気が普段のそれとは一変していた。


 熱っぽく潤んだ目元は、逆上せたように淡く染まっている。反して動作は淡々としていて、その不均衡な雰囲気がよけいに危うい色香を醸し出していた。


「……」


 ジークはアトリエに踏み入ると、ゆっくりと室内を見回した。


「――かご……」


 部屋を照らす月明かりの中、浮かび上がって見えたのは窓際に佇む銀の鳥かごだった。

 ジークは静かに歩み寄り、扉のないその中を覗き込んだ。

 そこには何もいなかった。ただ足元に一枚の羽根が落ちていただけだ。


「青い、羽根……」


 呟きながら、ジークは拾い上げたそれをぼんやり眺める。

 それから少しだけ笑みを深めて、手の中のそれを大切そうにポケットにしまった。



 *  *


 キ、と微かな音を立てて、アンリの寝室のドアがひらく。

 次いでその隙間から中へと身を滑り込ませたのはジークだった。


 寝るだけにしては広い部屋の窓際に、これまた一人用としては大きすぎるベッドが置かれていた。

 緩やかに盛り上がったふかふかの布団が規則的に上下している。枕元に流れる朱銀の髪は見慣れたものだったが、その頭頂部を隠している三角形のナイトキャップは初めて目にするものだった。


「……アン、リ……」


 そのせいか、半ば確かめるように名を口にしてしまう。

 けれども、改めて意識した部屋の香りに僅かに顔を上向けると、ジークは確信を得たかのように小さく頷き、再び前へと足を進めた。


 ベッドの上に腕をつき、躊躇うことなく乗り上げる。

 その程度でアンリのベッドが軋むことはなく、そのままジークはアンリの傍へとにじり寄っていく。


「……は……」


 先刻よりも熱を帯びた吐息が漏れる。

 肌蹴かけた部屋着が肌を擽る。それだけでじれったいような掻痒感が背筋を競り上がってくる。常よりも敏感になった素肌がざわりと粟立ち、触れられてもいないのに身体のあちこちに火が灯る。


 アンリの匂いが心地いい。できればもっと近くに行きたい。

 そう思うたび、ジークが纏う空気も甘くなっていく。

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